崇拝者(4)

 まさか社長自ら清掃をしているなんて思わなかった。あの炎上事件で業績が傾いて、経営陣を新しくしたはいいものの、社長自身は責任を取って辞任という話にはならなかったらしい。炎上直後はしばらく各方面に謝罪に行ったり、引き継ぎだったり、事業の見直しだったりで色々大変だったらしいけれど、ここ数年は息子たちのせいで心に傷を負った人たちへの補償業務に専念していて、空いた時間はこうして清掃をしてるそうだ。今は肩書きだけの、ほとんどお飾りみたいな立場になっているらしい。

「飛鳥くんのことは、私も残念に思っているんだ。まさか、殺されてしまうなんて……うちに転職して、もう大丈夫だと思っていたのに」

「もう、大丈夫? どういうことですか?」

「……あれ? 飛鳥くん本人から聞いていないのかい?」

 なんの話をしているのか、さっぱりわからなくて、私は首を傾げる。浜田社長は私の反応に驚きつつ、最初から説明してくれた。

「飛鳥くんがうちに転職したのは、前の会社でパワハラとセクハラの両方を受けたからなんだよ」

「え……?」

 浜田社長は、兄がこの会社に転職した理由を知っていた。そもそも、この会社に兄を紹介したのが、兄が最初に就職した大手食品会社の社員だったそうだ。新人研修の後、配属先の発表があったのだが、兄の配属先はその会社の孫娘が部長を勤めている広報部だった。兄はその孫娘に気に入られ、採用されたのだ。完全に顔で選ばれた。本来なら、直属の上司にあたる課長の下で新人は仕事を覚えていくはずだったのだが、兄は最初から部長に秘書のように使われていたらしい。雑用や運転手を任されて、プライベートの用事でも送迎をさせられるようにもなった。

「彼女は会長が一番可愛がっていた孫で、しかも、海外で経営を学んだ才女だった。まだ若いのにかなり優秀で、やり手だったから、みんな最初は気に入られた飛鳥くんを羨ましく思っていたようだよ。出世コースに乗ったってね。でも、実際は出世コースとは程遠い、ただの自分の欲を満たすための道具に過ぎなかったそうだよ」

 過剰なボディータッチは日常茶飯事。休日に部長命令だと呼び出されて、指定された住所に行ったらホテルだったこともあったそうだ。もちろん、兄は断った。だがある日、つきあいで行った取引先との会食で、酒に薬を盛られ、気づいた時にはホテルに運び込まれて、裸にされていたらしい。兄はなんとか逃げ出して、会社に訴えた。そこで広報部から異動して、その孫娘とは関わらない部署へ。本人も謝罪し、深く反省しているということで、それで丸く収まったはずだった。

「もちろん、彼女も部長から降格したよ。未遂だったとはいえ、同意のない性犯罪だからね。それからしばらく、彼女は会社に顔を出さなくなったらしい。家に引きこもっているって話だったんだが……彼女は飛鳥くんを諦めきれなかった。その後————」

 浜田社長は少し言いづらそうに、何か躊躇っているようだったが、一度咳払いをしてから、続けた。

「飛鳥くんが出社したら、デスクの上に箱が置いてあった。綺麗にラッピングされていて、誕生日が近かったから誰かからのプレゼントだと思ったそうだ。そして、蓋を開けたら、中に入っていたのは、生理用のナプキンだった」

「せ……え?」

 兄は男だ。意味がわからない。女の私ですら、そんなものをプレゼントに渡されたら戸惑う。


「赤黒い血液が染み込んでいたそのナプキンに、カードが添えてあって『あなたに私の生理をとめて欲しい』と書かれていたそうだ」


 あまりの衝撃に、私は声も出なかった。気持ち悪いし、信じられない。そんな奇行に走るような女が兄よりも上の立場にいたなんて、ゾッとした。そんな状況で、まともに働けるはずがない。

「犯人はわかりきってる。彼女だよ。防犯カメラに映っていた。飛鳥くんを諦めきれずに、いつの間にか家を抜け出して、飛鳥くんへのつきまとい行為までするようになっていそうだ。飛鳥くんは警察に届け出ようと思ったが、会長は孫娘の将来を考えて、多額の慰謝料を払った。もちろん、もう二度と彼女を飛鳥くんには近づけないようにしっかり監視することを約束してね。さすがにこのまま働くことはできないから……それでうちの会社に転職したんだよ」

 大手企業とまではいかないが、もらった慰謝料で下がった分の給料を補填するには十分だった。なんなら、数年は働かなくてもいいくらいの額をもらっていたそうだ。

「大変な目にあったけれど、彼自身はとても優秀で、いい青年だった。人当たりもいいし、何よりあの顔だろう。年代を問わず、女性から人気が高い。彼のおかげでうちの業績は上がったし、他の社員とも上手くやっているようで安心したよ」

 ところが、その後、自分の息子たちが起こした炎上事件で業績は傾いてしまった。兄は会社のために今まで以上に頑張って営業を取ってきていたらしいが、浜田社長は改めて以前より社員たちと会話するようになってからようやく気がつく。

「飛鳥くんは、いつの間にかうちの女性社員にとって王子様のような存在になっていた。愚息たちのせいで、若くて優秀な他の社員は次々辞めていたからね。女性社員たちは一番若い飛鳥くんに好意というか、ファンのようなものになっていた。目の保養とでもいうべきだろうか……他人から好かれることを、悪いことだとは私は思ってはいない。だけど、それがここ数年、妙な方向になってきているようだった」

「妙な、方向……?」

「私が飛鳥くんから最初に相談されたのは、給湯室のマグカップがきっかけだった」

「え?」

「経費削減のために、社員が使っていた紙コップが廃止になってね、マグカップや湯のみを持参する方針に変わったんだ。ところが、飛鳥くんのマグカップに、明らかに誰かが口をつけた……口紅のあとが付いていた。驚いた拍子に落として割ってしまったらしい。最初は色の濃いマグカプを使っていたから気がつかなかったから、わかりやすいように今度は白っぽい色のものに変えた。そうしたら、今度は口紅じゃなくて、よだれのようなものがべったりと……」

 残念ながら、社内には監視カメラは付いていなかった。もともと出入り口のところにだけは設置されていて、あとは全部ダミーだそうだ。全く機能していなかった。

「それで、社員には内緒でね、監視カメラを給湯室にだけ設置してみることにしたんだ」

「それじゃぁ、犯人はわかったんですか?」

「うん。はっきり映っていたよ……————社くんの姿がね」


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