崇拝者(3)

 気色悪い。気持ち悪い。社さんは兄との思い出を語るときは幸せの絶頂にいるかのごとく、自分に酔っているみたいだった。神様でも崇めているような、綺麗だけど直接的な言葉を使って、おそらくかなり美化していたのだと思う。兄が社さんに言ったという言葉も、全て一言一句本当であったとは思えない。そして、その語りの中ではどうしても兄の死に行き着いてしまう。その幸せを壊した横田葵のことは、ずっとあの女とか阿婆擦れとか、クソ女とか、とにかく汚い言葉で罵って、表情にも怒りで溢れている。本当に、あの女にそっくりだ。それは、私が家近さんと話した時にも感じていたものとも同じだ。

「私と飛鳥くんは特別な関係だったの。だから、あのマグカップだって、一緒に使うことを許されていたのよ。社員が使ってる紙コップが経費の無駄になるって言い出した馬鹿がいて、みんなそれぞれマグカップを持参するようになったの。でも、私が使っていたものは割れちゃって……そしたら、飛鳥くんが『使っていい』って。それは私だけの密かな特権だったの。みんなそのことを知らないから、形見分けのときに問題になってね。やっぱり、好きな人が毎日使っていたものは欲しいでしょう?」

 当然のこと、何の問題もないことのような表情をして、私に同意を求めないで欲しい。気持ちが悪くてたまらない。いい年をした大人が……私にとってはお姉さんどころがおばさんだ。母ほどの年の離れた大人が、一体何をしているんだと思った。他人の私物を勝手に分けあって、それぞれ持ち帰ったらしい。本当に、気持ち悪い。

「仕方がないから、マグカップはみんなのものってことで、神棚に置いたの。みんなが見える場所にね。本当はこの給湯室の一番上の棚に置いてあったんだけど、誰もいない時に取られたら大変でしょう? マグカップはみんな自分のものは自分で洗っていたから、飛鳥くんの手垢がついているものなのよ。毎日使っていただろうし、きっと事件が起きた日だって……」

 事件が起きたのは平日の夜。兄はその日も普通に出勤し、普通に退社して家に帰っていたはずだ。社さんの話が事件当時のことに切り替わったおかげで、私はここに来た目的を思い出して、気分が悪すぎるこの状況に耐える。聞かなければならないことがたくさんある。これ以上、兄との甘いひとときの話なんて聞きたくない。そもそも、本当にそれが現実の出来事なのかも怪しいが……

「あの、私、電話でも話しましたけど、お聞きしたいことがあって」

「え? ええ、そうだったわね。何だったかしら?」

 私は髪の毛と一緒に送られて来た写真を見せた。さすがに髪の毛と一緒に入っていたことは言わなかったが、一緒に写っている女性の顔は赤く塗りつぶされていて、目に穴が空いている。それが異常な写真であることは、すぐに社さんも理解して、目を見開いて押し黙ってしまった。

「この女性、どなたか知りませんか? 私はてっきり、社さんかと思っていたんですが————」

「…………」

 しばらくじっと写真を見つめたあと、社さんは眉間に深いしわを寄せて、その答えを口にする。

「これ、私よ」

「え!? そんな、眼鏡も、髪型だって……」

 私には別人にしか思えなかった。けれど、社さんは淡々と続ける。

「眼鏡はかけていないことの方が多かったわ。飛鳥くんとお付き合いしていたんですもの、少しでも若く、綺麗に見られた方がいいと思って、メイクも頑張っていたのよ。でも、飛鳥くんが死んじゃって、それからもう、外見とかどうでもよくなって、年相応にしようと思ってね。綺麗にしていても、見てくれる人がいないんだもの、意味がないわ。髪は最近切ったの。気分を変えようと思って」

「……切る前は、どのくらいの長さだったんですか?」

「そうね……背中か腰くらいまであったかしら? それがどうかした?」

「……いえ、何でもないです」

 家近さんと同じだ。そういえば、逮捕された横田葵も、同じくらい髪が長かったはず。七海ちゃんが言っていた通り兄は本当に、ヤバイ女に好かれすぎている。


「それじゃぁ、えーと、社さんの他に、兄と親しかった人はいますか? 私、妹なのに兄のことを全然知らないなって気づいて……」

「親しかった人?」

「仲が良かったというか……社さん以外にも男性の社員さんとか、取引先の人とか、そういう人です」

「うーん、そうねぇ」

 この他にも、もう一つ頭をよぎっていた質問があった。兄と付き合っていたのなら、あのベッドの下から見つかったピンクのTバックは、社さんの忘れ物だったのだろうかということだ。でも、もし違ったら……? 兄があのアパートに引っ越したのは確か三年くらい前のことで、社さんが付き合い始めた四年前より後のことだ。あれが他の女のものだったら、兄は浮気していたということになる。それが、横田葵だったのだろうか?

 横田葵もこの社さんのような人であったなら、兄に対して、強い想いを抱いているストーカーだったなら、兄に裏切られれたと思って犯行に及んだのかもしれない。横田葵じゃなく、別の女だったとしても、同じことだ。写真の状態から考えられるのは、兄と社さんの関係を知っての犯行であったということで、一応筋は通っている。

 そうでなければ、兄が殺される理由にまったく見当がつかない。あの兄が、人から殺意を持たれるほどに嫌われていたとはどうしても思えなかった。

「女子社員では、私以外にはそこまで特に親しいって人はいないはずよ。男性社員なら、商品開発部の人と仲が良かったわね」


 この後、社さんに商品開発部の人がいるフロアに連れて行ってもらったが、誰も兄の交友関係、特にプライベートのことを知っているという人はいなかった。兄は商品開発部の男性社員と何度か飲みに行ったことはあるが、それくらいだと言っていた。それでも、違う部署の人たちも兄の事件には心を痛めている人が多いらしく、「どうしてあんなにいい人が」と、生前の兄に対する社内での評判は、男女問わず悪いものでは決してないことがわかった。ところが、一通り見学させてもらって、帰ろうとしていた時、予想外の人物から呼び止められる。


「ちょっといいかな?」


 清掃員のつなぎを着た、年配のおじさんだった。おじさんは持っていた箒とちりとりを置いて、ポケットから名刺を取り出して言った。

「君、飛鳥くんの妹さんだろう? 前に写真を見せてもらったことがある……」

 名刺には『株式会社ハマコウフーズ 代表取締役 浜田はまだ光一朗こういちろう』と書かれていた。


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