第2話 手に入れる方法は報酬、手段は欲望 男が感じたのは不安

美醜というものは人によってどれほどの差があるのだろう。

 生まれたときは、それほどでもなかった。

 だが、決定的な瞬間があった、原因は火事だ、繁華街のビルで巻き込まれてしまった、夜の街で、そのとき、怪我をしてしまった。

 大抵の人間なら悲観するだろう、ただ、このときの自分は違っていた、嬉しくなったのだ。  

 人間の本質を見すぎてしまったせいかもしれない。

 大抵の人なら一目、見た瞬間、顔を背けても不思議はないだろう。

 だが、考えた、ここから新しくやり直すのだと。


 自分に協力してくれるなら欲しいだけのものを遠慮なく、それこそ、満足するだけという言葉に相手は喜色の笑顔で答えた。

 といっても最初から、すんなりと承諾したわけではない。 

 最初は騙されているのではないかと思ったはずだ。

 勿論、事前に大事なことは説明した、これは悪いことではない、いや、反対に人助けになるかもしれないのだと。

 勿論、全ての人間の納得するものではないかもしれない。

 だが、質問を投げかけるように問いかける。

 わずかな沈黙の後、渡すのは札束、相手は驚いたようだ、予想していた以上だったからだろう。

 「それを持って、ここから出て行っても構わない」

 ドアを指さす、無理もない、多分、予想を裏切る、想定外の行動だったたろう。

 「求めているのは協力者だ、事が終われば一切、関係なし、意味がわかるかい」

 多分、頭の中で考えているのだろう、この取引に、どれだけの価値があるかということを、いや、それだけではない、メリット、デメリットを。

 決心した顔、ほんの少し前まで顔に出ていた困惑と迷いがない。 

 男は頷いた、相手の答え、彼女の返事がわかったからだ。

 


 おとうさんと呼ばれて男は驚いた、娘から声をかけてくるなど珍しいと思ってしまった。

 機嫌がいいのだろうか、朝食の席に着くと、すぐに食べ始めて時計を見る、落ち着きがないとたしなめようとしたが、遅刻したら大変と急いで出て行く。

 いってらっしゃいと玄関まで送り出した妻が嬉しそうな顔で台所に戻ってきた、彼ができたんですって、その言葉に男は驚いた。

 

 その日は珍しいことがあった。

 娘から自分が作ったというクッキーを渡されたのだ、珍しい事もあると思ったが、早く食べて、感想を聞きたいと言われて男は、そのクッキーを食べた。

 普段は菓子など食べないのだが、娘が作ったのだ。

 「美味しかったよ」

 手作りの菓子などあまり食べたことがなかったので自分の言葉が、ちゃんと伝わったのかと思ったが、娘は嬉しそうに笑った。

 

 「珍しいですね」

 その日、午後の休憩で男は珈琲を飲んでいると後輩に声をかけられた。

 「いつも、ブラックでしたよね、今日はカフェオレですか」

 言われて男は甘いのが欲しくなったんだと答えた。

 だが、数日前からだ。

 何故か、最近、甘いものを食べてしまう、それも抵抗なくだ。

 腹の出た中年にはなりたくないと節制していたにもかかわらず、何故か。

 学生時代、かなり太っていたこともあり、そのときのことを思いだすと食事には気をつけなければという意識もあった。

 

 「ねえっ、あなた、太ったんじゃない」

 愛人から恋人へと昇格した女の言葉に男はどきりとした。

 「顔がふっくらしてきた感じ、でも、お腹とか」

 女の言葉に返事をしようとして男は窓ガラスに映る自分の菅を見ると確かめるようにじっと見た、だかすぐに目をそらした。

 見たく なかったのかもしれない。

 

 「太ったんじゃない」

 その夜、夕食の後、娘の言葉に男はどきりとした。

 妻が自分をチラリと見る、少し、いや、何か言いたげな表情だ。

 「最近、食べる量も、この間、飴、グミだったかな、気をつけた方がいいよ」

 「あれは、サプリだよ、会種の人にもらったんだ」

 その言葉に妻は驚いたように、だが安心したようにほっとした表情になった。

 「サプリ」

 娘の何か言いたげな視線に男は思わず尋ねた、すると。

 気をつけた方がいいんじゃないと言われて、すぐには返事ができなかった。

 どういう意味なのか、疑問を感じとったのだろう。

 「知らないの、ニュースになっていたじゃない」

 その言葉に男は笑いを返した、信用のおけるメーカー(女)から貰ったものだから心配いらないよと。

 

 その日、会社に行くと社内の空気が違うことに男は気づいた、いや、視線を感じたのだ、自分に向けられている、何故と思ったが、理由が分からない。

 彼女に聞いてみようと思ったが、姿が見えない。


 「退職した、本当ですか」

 「ああ、突然だったが、少し前から事情は聞かされていたからね仕方ないよ」

 彼女の上司が残念だという、退職の理由は身内の病気ということだ、そんな話は初めて聞く、何故、自分に話してくれなかったのか。


 「そうなんだ、彼氏の言葉で退職を決心したんですって」

 「介護って大変だからね」

 「頼りになる恋人の台詞に心が動いたってわけ」

 「でも、あの人、付き合っている人いなかった、社内に」


 社員達の会話が聞こえてきた、誰のことを話しているのか、分かった瞬間、はっとした。

 「ああ、単なる気晴らしに決まっているじゃない、妻子持ちでしょ、本気なのは」

 その場から逃げ足したい気持ちになったが、男の足は何故か、動かなかった。

 

 「勘違いもいいところだわ」

 

 女性社員の笑いが耳の奥底に響く、男は怒りを感じた。

 だが、それだけではなかった、別の感情が湧いてくるような感覚を覚えたのだ。

 それは不安という、今まで男には無縁といってもいいものだった。


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