05
この町には二つの大きなビーチがあって、よく行く家から近い海岸の方がやはり愛着もあるし好きなのだけれど、あのカフェから近いのは別の海岸だった。でもたまにアイスラテを持ってそっちの海岸に行くのも悪くない。いまの時期はどのビーチも海の家だらけになってしまっていて、ほかの季節よりなんとなく夏の方が海から足が遠ざかるけれど、食事だけしに行くこともある。ある海の家のガパオライスがお気に入り。
夏休みに入り、罪悪感のようなものが消え少し元気が出てきた。課題もある程度やっているし、朝も昼も夜も
『NOL の頭の中ってどうなってるんだろうね 見てみたいな』
EMPTY GLASS の曲を聴いていたミチからのDM。大好きな歌詞を褒めちぎっている。NOL の頭の中か。見たくないな。私のことなんか欠片も入っていない、ただっ広い宇宙みたいなところ。いまこんなにも確実なのは、私が愛してやまない NOL は私のことを欠片も知らないということ。ずっと書いている手紙。重くならないように、と思うとほとんどのきもちが書けなくて二枚くらいで書き上がりそう。NOL の手に、届くだろうか。
八月。人がごった返しているビーチではなく、涼しいカフェの店内のテーブル。ミチとお母さんたちとオーダーを済ましてスマホをタップする。あと七分で正午。当選した追加公演が開催されるライブハウスに入場する順番がわかる、整理番号がダウンロードできるようになる時間。
羽田のライブハウスの一列に入る人数は四十から五十。整理番号が五百番以内だったら、ステージから十列目までに入れそうだった。最前列を祈るきもちと、もみくちゃになりそうで怖いきもちが半々。それでも十列以内に入りたい。NOL の頭の中の片隅に、ほんの一瞬でもいいから入りたい。どうか私のことを知って。
「305」
「388」
待機場所は同じ301番から400番。388番の私の方が呼ばれるのが後だ。1番から10番まで、一人ずつ呼ばれはじめる。11番からは十人ずつ呼ばれるようになった。羽田のライブハウスの入り口前のスペース。さっきまで一緒だったお母さんたちと別れ、陽が傾いた空の下、階段を降りてきた。階段の上の方のスペースでは601番以降の待機場所が作られていた。少しずつ夕闇を増していく中、呼び出しの声が続いている。待機場所が繰り上がり、入り口に近づく。
『101番から120番のかた』
メガホンから声が響く。
「二十人ずつになったね」
「うん」
カーゴパンツの中で握っている六百円の硬さ。手のひらが汗ばんで金属の匂いがしそう。そっと開いて手をポケットから出す。
『いま120番までのかたをお呼び出ししています』
姿を消した太陽と、残照に浮かぶライブハウス。入り口横に建物の名前が光っている。ミチはベージュのチノパンとハイカットのコンバースにさっき着替えたツアーのグッズのTシャツを合わせている。私はツアーTとカーキのハーフカーゴパンツとローカットの VANS。いつかバイトができるようになったら買おうと思っている、NOL とお揃いのドクターマーチンの
『121番から140番のかた』
「これさー時間までに全員入れるのかな」
確かにかなり時間をかけている気がするけれど、プロのスタッフがいつも通り呼んでいるのだろうし大丈夫だと思う。あまり大丈夫じゃないのは私のほう。ああツアーグッズのタオルがあったら汗を拭きたい。いや使うなんてもったいなくてできないかな。ううん、使わないほうがもったいないか。持ってもいない物のことに思いを馳せながら、耳はメガホンからのスタッフの声に集中していた。
「あまり進まないね」
「だろー。俺らくらいになったら五十人ずつくらい呼ばれるのかな。80番差くらいだっけ? さすがに一緒には入れないよね」
俺を見つけたらうまいこと前においでよ、と言うミチに、無理じゃない? と返す。ミチには悪いけれど、できるだけ真ん中の前方に行かないといけないのだ。ミチを見つけている暇はない。
『201番から220番のかた』
200番台に入っても呼ばれる人数は二十人のまま変わらなかった。多分、私たち300番台も二十人ずつ呼ばれるのだろう。待機場所が前方に繰り上がり、明るさを増したように見える入り口のネオンサインが近づいてきた。
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