望んでいるなら

 夢野さんは「お茶を入れますね」と言って、棚の奥の台所へと向かった。

 俺は左側の窓からぼんやりと外の様子を眺めていた。すぐに止むと思った雨は勢いそのままに降り続けている。部屋にはざーっという音が響き渡り、大量の雨粒が窓を濡らしていた。


 少しして夢野さんが氷の入った麦茶を二つお盆に載せて戻ってきた。カランと氷とグラスがぶつかる音が聞こえてきて、思わず喉の渇きを意識してしまった。

 俺はグラスがテーブルに置かれるとすぐに手に取って、口へと運んだ。ごくごくと喉を鳴らし、汗で失った水分を取り戻していく。夏は冷たいビールも良いが、氷で冷えた麦茶も捨てがたい。


「さて、どうです? 見たい夢、思いつきました?」


 夢野さんは向かいの椅子に座って訊ねてきた。


「まだ言ってるのか。そもそもなんでそこまで人の夢を聞きたがるんだ? 聞いてもつまらないだろ」

「そんなことありませんよ。私の場合、夢は商売に直結するキーワードですから」

「商売? そう言えばさっき店主とか言ってたな。ここってどういう店なんだ?」

「ここはですね、お客さんが見たいと思った夢を見ることができる店です」


 夢野さんは胸を張ってそう言ったが、俺にはさっぱり理解できなかった。

 見たい夢を見ることができる店ってどういうことだ?


「なに言ってるんだ? あんた」

「やっぱり口で言っても信じてもらえないですよね……実際に体験してもらわないと」


 夢野さんはため息をつきながら立ち上がり、棚から一枚の紙と黒ペンを取り出して机に置いた。

 俺は机の上の紙とペンをジッと見つめた。紙は裏表が白地のA4用紙で黒ペンはコンビニにも売っている普通の油性ペンだ。


「ただの紙とペンじゃないか」

「重要なのは紙の方でして、この紙に見たい夢の内容を書けば、その夢を見ることができるんですよ」


 いまいち要領を得ず、俺は眉間に皺を寄せた。それを見て、夢野さんは紙を指さしながらさらに説明を加える。


「坂木さんの場合、まずは自分の名前を書きます。夢を見る日時ですが、例えば今夜であれば8月10日の23時から8月11日の8時といった感じですね。自分の就寝時間と起床時間に合わせてもらえれば大丈夫です。あとは見たい夢の内容を書くだけです。過去には宇宙飛行士になるとかプロのギタリストになるとか書いている人がいましたね」


 俺が呆気にとられて固まっているのをよそに、夢野さんは話を続けた。


「忘れてはいけないのは、必要事項を書いたこの紙を枕の下に置くことです。その状態で眠ることで夢を見ることができるようになります。坂木さんは普段枕を使われていますか?」

「え? あ、まぁ普通に使っているが……」


 情報量の多さにぎこちない返事になった。夢野さんは「じゃあ問題ないですね」と言ってうんうんとうなづく。


「さて、説明も一通り済みましたし、さっそく書いてみましょうか」


 夢野さんはそう言って紙と黒ペンを押し出してきたが、俺は少しでも距離を取ろうと身体をのけ反らせた。

 怪しすぎる。

 新興宗教かなにか分からないが、これ以上は関わらない方が身のためだ。やたらとグイグイ来るのも胡散臭さに拍車をかけている。そう思うと、出された麦茶に手を出したのは悪手だったかもしれない。そのことを後悔しつつ窓に目をやると、雨の勢いが最初に比べると弱まっていることに気づいた。

 じきに雨も止むはずだし、このまま余計なことはしないようにしよう。そんな決意が態度に出ていたのか、夢野さんが悲しそうな声を上げた。


「そんな警戒しなくても……詐欺とか宗教の勧誘とかじゃありませんよ?」

「自分から入ってきて言うのもなんだが、こんな廃墟みたいなところで好きな夢を見ることができるなんて言われたら、警戒のひとつでもするのが普通だろ」

「本当に大丈夫ですよ、安心してください。この紙だって内容の確認やコピーを取ることはしません。そのまま持ち帰っていただくだけです。それに今回は特別に初回無料でやらせていただきますよ?」


 夢野さんは我儘を言う子供を諭すようにやさしい口調でそう言ったが、俺は最後に聞こえたワードに突っ込まずにはいられなかった。


「初回無料? 金とるのか?」

「一応商売ですから。でも法外なお金を請求するわけではありませんので、ご安心を」

「……ちなみに、いくらなんだ?」


 俺は恐る恐る聞いてみる。


「一枚につき三千円です。今回は無料ですが、次回以降ご利用になる場合は頂戴いたします」


 なんとも反応しがたい金額だった。相場なんてものがあるのか分からないから高いのか低いのか比較のしようもないが、決して払えない金額ではない。

 問題はこれに依存性があるのかどうかだ。好きな夢を見せるなんてことが仮に可能だとしたら、催眠みたいなことをして薬物中毒のような状態にさせることも可能かもしれない。どちらにしても馬鹿馬鹿しい話だが、念のため確認しておくか。


「これ、薬物みたいな依存性があるわけじゃないよな? 中毒にして金を搾り取ろうとか考えてないよな?」


 俺は紙を指さしながら少し威嚇する意味も込めて睨みをきかせた。しかし、夢野さんは臆することもなくはっきりと答える。


「依存性なんてありませんからご安心ください。そもそも依存させるのは私のポリシーに反します。私はあくまで手助けをするだけです。なにごともやりすぎはよくありませんから」


 そう言われて俺は自分の足元に目をやった。白い袋からは中身がちらっと見えている。

 思わずふっと自嘲的な笑いが漏れた。自分がすでに依存状態なのに、いまさら偉そうに気にしているのがなんとも滑稽に思えた。


 自己嫌悪で沈んだ気分とは裏腹にいつのまにか外は雨が上がって、日の光が部屋に入り込んでいた。外からは子供のはしゃぐ声が聞こえてくる。

 俺は立ち上がり窓から外の景色を眺めた。人気のなかった商店街はまばらではあるが人の往来が見て取れる。先ほど聞こえた声の子か、小学生くらいの女の子が楽しそうに走り回り、少し後ろから両親らしき二人が心配そうについていっている。


 俺はその様子を眺めながら夢野さんに声をかけた。後ろから「はい」と穏やかな返事が聞こえてくる。夢野さんがこちらに顔を向けているのが窓に映っていて、まるで目が合っているような気がした。


「本当に初回無料なんだよな?」

「ええ」

「本当に、好きな夢を見ることができるのか?」

「坂木さんが望んでいるなら、見ることができます」


 そのまま少し外を眺めた後、俺は黙って椅子に座り、紙に必要事項を記入した。

 夢野さんは俺が書き始めると入れ替わるように席を立って窓から外を眺めていた。宣言通り内容を見ないようにしてくれているのだろう。


「書き終えたら紙は折っても大丈夫ですよ。破れないようにだけ注意してください」


 ちょうど記入が終わったところでそう言われ、俺は紙を四つ折りにしてから短パンのポケットに入れた。

 椅子を後ろに引いて立ち上がると、夢野さんは振り返りまっすぐ扉の方へ進んでいった。


「今日はありがとうございました。興味があれば、またお越しください」


 夢野さんは扉を開けると丁寧にお辞儀をした。俺も軽く頭を下げ返してから部屋を出た。

 外は強い日差しだけでなく雨による湿度も加わって蒸し風呂のように暑かった。俺はその不快感にため息を漏らしながら家の方向へと歩き出す。

 前の方には先ほど部屋から見た親子が仲良く手を繋いで歩いているのが見えた。しばらく眺めながら歩いていたが、すぐ目の前の水たまりに反射した日差しが眩しくて、俺は顔を逸らした。

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