夢のつづき②
以前までの自分だったら、「行動あるのみ」とか「可能性が広がっている」とかそんな言葉を素直に受け止めることはできなかっただろう。大学の頃の挫折と社会人生活の厳しさが自分の未来を閉ざしていたから。まるで達観でもしているみたいに、なにをやっても無駄だと諦めていたのだ。
だけど、いまは違う。自分のことを信じてみようと思えるようになった。まだ見ぬ未来に少しだけ希望を持てるようになった。
あの日、夢を見てから変わった。すべてつながっている。夢が現実を変えるって、きっとこういうことなんだ。
「どうしました?」
物思いにふけっていた僕に、夢野さんが声をかける。
「いえ、なんでもありません」
僕が笑って言うと、夢野さんは不思議そうにしていたが、すぐに「あ、そうだ!」と手を叩いた。
「せっかくですし、おひとつどうです?」
夢野さんは棚から紙を取り出し、ひらひらとなびかせながらニヤリと笑った。
その仕草がおもしろくて僕は思わず笑ってしまったが、すぐにおさめて、さらっと告げた。
「いえ、遠慮しておきます」
僕の返答に夢野さんは露骨に肩を落としてみせた。
僕はまた笑いがこみ上げてきたが、なんとかこらえて一言添えた。
「夢のつづきは、自分の力で見ようと思います」
夢野さんは驚いたように眉を上げた後、顔をほころばせた。
そして、「それがいいですね」と言って紙を棚に戻した。その姿がなんだかとてもうれしそうに見えた。
夢野さんは僕の方に向き直ると、今度は恭しく頭を下げた。
「ご利用いただきありがとうございました」
「……こちらこそ、ありがとうございました」
僕も深く頭を下げて、店を後にした。
雑居ビルを出てからは、肉屋でコロッケを買って商店街を抜けた。
このままあとはいつも通り家に帰るだけ、そう思ったところでスマホが鳴った。プライベートの方のスマホに着信が入ったのだ。誰だろうと思いながら画面を見ると、母親からだった。
母親とはたまにLINEでやり取りすることはあっても、電話はほとんどしない。なんだろうと不思議に思いながら、立ち止まって電話に出た。
「もしもし?」
「あ、もしもし? お母さんだけど」
落ち着いた声が耳に届く。実家にはお盆と年末の数日しか顔を出さないから、母の声を聞くのは久しぶりだった。
用件を聞くと、どうやらお米やらお菓子やらを送ったらしく、近日中に届くから受け取ってくれとのことだった。その程度の連絡ならLINEで済ませればいいのにと思ったけど、口には出さなかった。それからは「ちゃんとご飯食べてるの?」とか「ゴールデンウイークは帰ってくるの?」とか他愛のない雑談に変わり話題が尽きかけたところで、僕はふと、疑問に思っていたことを訊ねた。
「あのさ、なんで引っ越しの時、ギターとかを持って行けって言ったの?」
「どうしたの? 急に」
「いや、ふと思い出してさ。二人して持っていけって譲らなかったから、なんでだろうって思って」
「あー、それは、あんたに必要なものだと思ったからよ」
「え?」
僕は思わず後ろを振り返った。
商店街を抜けてだいぶ歩いてきていたので、もうあの雑居ビルは見えなかった。
「どういうこと?」
「勉強が得意なわけでもスポーツが得意なわけでもなかったあんたが、あんなにも熱中していたものだったから……辛い思いもしただろうけど、この先あんたを支えてくれるものでもあると思ったのよ」
僕は言葉が出なかった。
ずっと、両親は僕のバンド活動に関心がないんだと思っていた。二人の方から話題に出すことはなかったし、プロを目指すと伝えた時なんかは心底呆れたような様子で関わらないようにしているようにも見えた。実際、理解や納得をしていない部分はあったと思う。だけど、少なくとも僕にとってギターや音楽が大切なものであることは理解してくれているみたいで、それがすごくうれしかった。
「いまもギター弾いてるなら、今度一曲聴かせてよ。私、あんたが実家に居た頃に漏れ聞こえてきた弾き語りがけっこう好きだったのよ」
母の言葉が、まるで肌触りの良い毛布のようにそっと身体を包んだ。
そんなこと、いままで一度も言わなかったくせに。胸の内で憎まれ口を叩きながらも、僕はまた口には出さず飲み込んだ。
「分かった。ぜひ聴いてよ」
「ふふ、楽しみにしてるわ」
それからまた少し雑談を挟んで通話を切った。
僕はスマホをポケットにしまい、宙を見上げて息を吐いた。
まさか、同じ屋根の下に自分のファンがいたなんて思いもしなかった。あの時間は無駄じゃなかったんだと、改めて強く思った。
つながっているんだ。過去と未来。そして、夢と現実。全部、つながっている。
僕は再び歩き出す。
ひとつひとつ、積み重ねていこう。
僕という名のメロディの新たな一音が、いま大きく鳴り響いた。
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第一章はこれにて完結です。
読んでいただきありがとうございました。
残り三章もよろしくお願いいたします。
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