橋田風のおっちゃんと俺

ブライアン伊乃

橋田風のおっちゃんと俺

 「これ、三千円やねんけど、買わん?」

  そう言っておっちゃんの浅黒い手から伸びてきたのは一冊の本だった。


  おっちゃんは自分の事を橋田と名乗った。だから何だと言うこともないが、何となく橋田と言うよりは……いや、特に何か別の苗字を思い浮かんだ訳ではない。ただ橋田っぽくはないな。ぐらいの風体だった。おっちゃんはくてんくてんにヨレたシャツに薄汚れたグレーのズボンを履き、髪は灰色で中途半端かつぶっきらぼうな無造作ボブ=伸びっさらし、歯は黄ばんでいた。ホームレスと間違えられたって文句は言えない格好だった。以下この人は橋田風のおっちゃんという呼称にする。


  「買うか?買ぅてぇや。困ってんねん。おっちゃん助けると思って」

  「俺におっちゃん助ける義理無いねんけど」

  橋田風のおっちゃんとはついさっきたまたま、本当に偶然、普段一度も降りたことのない駅を降り、気になっていた喫茶店へ向かう最中に道で出会った。鉢合わせた。遭遇した。してしまった。


  「薄情な奴やなぁ。困ってる人間おったら助けるのが人情やろ?浪花節やろ?」

  「おっちゃんが本当に困ってるんか分からへんやんか。もしかしたらめちゃくちゃ金持ちかもしらんやろ?」

  「金持ちやったらこんなとこで本売ったりせぇへんやろ。国外に逃げてるわな」

  「まぁ、せやな。こんな辺鄙なとこで本売ったりせぇへんわな。ごめん」

  「ええけどな。ほんで本、買うんか?どや?」

  「買わへんよ」

  「買う流れやったやろ」

  「買う流れ。ではなかったやろ」

  「ごめんごめん。そう言う流れ。って言ぅたらそう言う流れなるかな思て」

  「強引過ぎへん?おっちゃん商売下手やなぁ。本売ったりせぇへんと、普通に働いた方が早ない?」

  「おっちゃんにとっては、これが普通や」

  「おっちゃんの普通は、普通じゃないで」

  「ほな、兄ちゃんにとっての普通ってなんや?」

  「本を売ることやなぁ」

  「どういうことやねん!禅問答か」

  「禅問答ではないねんけど」

  「ほう、ほな聞かせてもらおか。どういうことか」

  「おっちゃんはな、売る相手を間違えてんねん」

  「ほう。売る相手……」

  「そう。俺みたいな貧乏なフリーター捕まえて本売りつけるより、もっとお金もってそうなご年配とかにターゲット絞ってアプローチした方がいいと思うで」

  「そんなもんオレオレ詐欺と一緒の手口やないか!」

  「今と何が違うねん!この詐欺師!」

  「詐欺師とは何や!名誉毀損で訴えんで」

  「裁判起こせる金あるんやったらこんなとこで本売らんやろ」

  「せやな」

  「折れるん早いな」

  「素直さアピールしといたら心象良くなるかな思て」

  「誰に媚び売ってんねん」

  「生い先短い老人から搾取するのは気がひけるやん?」

  「もう搾取言うてるやん。心象ズタボロやで」

  「その点、兄ちゃんには未来があるやろ?」

  「未来を担う若者からなら搾取してもいいって、そんな論理の大人がおるから日本はいつまで経っても良くならんねん」

  「お、何や、日本の政治斬りにいってるやん」

  「茶化さんといてや」

  「まぁまぁ兄ちゃん。ちょっと待ってぇや」

  橋田風のおっちゃんは工事現場の看板みたいに手のひらを突き出す。

  「何?」

  「話戻すで。そもそもやねんけど、この本に三千円の価値が無いと思とるやろ?」

  「当たり前やん」

  「これ、……初版やで?」ドヤ顔でふんぞりかえるおっちゃん。

  

  ……と少しの間があってから僕は口を開く。

  

  「初版の本が何でも値打ちあるわけちゃうで」

  「いやいや、……昭和初期やで?」

  「古いからって何でも値打ちあるわけちゃうで」

  「……そう……なん?」

 橋田風のおっちゃんは愕然とした表情で膝から崩れ落ちる。

  「本売るんやったら、せめてその本の値打ちくらいは分かった上で売りぃや」

  「…………」


  橋田風のおっちゃんは茫然自失の崩れ落ちた体勢のまま固まっている。


  おっちゃんが手に持っていた昭和初期の初版本が、ポトっと地に落ちる。


  僕はそれを拾い上げ、「まぁ一応ナンボのもんなんか調べたげるわ」とスマホのアプリでコードを読み取って調べてみる。

 古いものだからなかなか見つからない。

 苦戦しながらも検索を続けてみる。



  …………見つけた。



  「おっちゃん…………俺、この本買うわ」

  「え?」おっちゃんはやっと我に返り返事をする。

  「三千円でいいんやんな?」

  「え、えぇで。え?ちょっと待って?何?」

  「はい、三千円」と僕は財布から三千円を取り出し、橋田風のおっちゃんに差し出す。

  「おっちゃんは、詐欺師じゃなかったんやな」

  「最初からそう言ぅてるやろ」

  「ありがとう。えぇ買物できたわ」

  僕の三千円が橋田風のおっちゃんの手に渡り、おっちゃんの本が僕の手に渡ろうとしている。

  が、本は引いても引いてもびくともしない。

  「おい、おっちゃん。どう言うつもりや?」

  「……売らへん」

  「は?」

  「売らへんで!これやっぱりエラい値打ちもんやったんやろ⁉︎」

  「……ちゃうで」

  「嘘こけ。目が泳いどるわ」

  「調べたけど、そんなものごっつい値打ちあるもんちゃうて」

  「ナンボや?」

  「せいぜい二、三十万ぐらいやって」

  「ぐらいって何やねん!めちゃくちゃ値打ちもんやないか」

  「まぁまぁ。おっちゃんからしたら、大した額じゃないやろ?」

  「大金や。三ヶ月遊んで暮らせるわ」

  「遊ばんかったらええのに」

  「とにかく、悪いけど兄ちゃんには売らんことにするわ」

  「じゃあ誰に売るん?」

  「貧乏なフリーター相手にせんと、もっとお金持ってそうなご年配に売るわ」

  「俺のアドバイスここで聞くんかい」

  もしくは、

  「オレオレ詐欺と一緒の手口やないか」

  と、伏線回収する。

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