2.探し物

●sideL


「俺は緑華りょっかって種族でクライスは歌翼かよく

「それって珍しいの?」

 馬車に揺られ街道を走り始めて三日目。

 外の景色を眺める以外にすることもないので、あたしはこの世界や二人についていろいろと聞いていた。

 あたしと同じく暇そうにしていたリィエが答える。

「緑華はあまり表に出ないから珍しがられているが、数的にはそうでもない。歌翼は伝説上の種族だと思われているが」

「僕たちだってそうですよ。故郷にはたくさんいます」

 クライスが手綱を取りながら言う。

「……種族が違うと何か違いがあるの?」

 あたしにはリィエもクライスも三日前までいた中央都市の人々も、あたしと同じ人間に見える。人間はこんなに色彩豊かではないけれど。

 リィエが苦笑した。

「そりゃあいろいろ違うさ。緑華は他の種族が入って来られないような森の奥深くで生まれ育つ。ほとんどの者はそこから出ず一生を終える。あと、他の種族と比べて魔力の素養が高い」

「もしかして、みんな髪と目の色は緑なの?」

「いや。緑がほとんどだが青と黄色も稀にいる。赤は生まれないな」

「へえ……じゃあ歌翼は?」

「そうですね……」

 クライスは何故か黙ってしまった。

 馬車の中にいるあたしからは、御者席にいる彼の顔は見えない。それでもその背中から何か悩んでいることは察した。

 リィエもそれを感じ取ったのだろう。代わりに口を開いた。

「話せないことが多いらしい。故郷を出たのも極秘の任務だって言ってたな」

「任務? あたしに付き合って平気なの?」

「はい。それは大丈夫です。むしろいろんなところに行った方がいいくらいなので」

「それならいいんだけど。話せることだけ話してくれればいいよ?」

「すみません……。――魔力は緑華と同じくらい高いです。色素は、暗い色や濃い色の人はいませんね。赤や青はいませんが、桃や水色はいます」

 どういうところで生まれ育ったのかは言えないことらしい。

「クライスも魔力は高いのに魔術は下手なの?」

「こいつはドジなだけだ。おまけに学習能力もない。魔力が高くても宝の持ち腐れってやつだ」

 リィエの言葉にクライスが振り返って彼を睨む。しかし何も言わずにすぐ前に向き直った。

 図星だったようだ。

 あたしは魔術のことで聞きたかったことを思い出す。

「そういえばクライスがあたしの部屋にきたとき、本当は召喚術を使おうとしてたんだよね? 何を喚ぼうとしてたの?」

 何故かリィエが溜息をついた。

 クライスは姿勢を正し、こちらに背を向けたまま言う。

「誰でもよかったんです。とにかく異世界の人と友達になりたくて……」

「なんでわざわざ異世界の人間と?」

「実は昔この世界では、召喚した異世界の人を下僕のように従えていた歴史がありまして……。今は魔法で禁じられていますが、いまだに異世界の人はこちらをあまりよく思っていないんですよ。それをどうにかしたくて――」

「そんなことでどうにかなるとは思えないと言ったんだが、コイツは聞かなくてな」

 クライスが再びリィエを睨んだ。睨まれた本人は全く気にした様子はないが。

「じゃあ目的は果たせたんじゃない? あたしも異世界人だし。友達って言うか、仲は悪くないでしょ?」

 二人は目を丸くしたが、すぐに納得顔になる。

「確かに。言われてみればそうだな」

「一歩前進ですね!」

「前進と言うほどのことじゃないだろ」

「前進です!」

 また睨みあいになりそうだったので、あたしは割って入った。

「さっき魔法って言ってたけど魔術と何か違うの? 今まで魔術って言葉しか使ってなかったよね?」

 二人が目を見開いてこちらを見る。

 どうやら一般常識だったらしい。

 気を取り直したリィエが説明してくれた。

「魔術ってのは、魔力を媒体にして召喚や送還、呪術や陣術といった術を行使すること。で、魔法は『魔術に関する法律』を略して魔法。だから全くの別物だ」

 なるほど。それなら知っていて当たり前か。

「お二人とも! 町が見えてきましたよ」

 クライスの言葉にあたしは外に目を向けた。

 馬車は緩やかな丘を上っている。その丘のさらに向こうに確かに町が見えた。

「あれはなんていう町?」

「図書町です」

「その名の通り、この世界で一番の蔵書量を誇る町だ。あそこになら地球に関する本があるかもしれない」

 期待できそうだ。

 しかし、外を見ると馬車を引いている馬が目に入るわけだが。

「何度見ても馬じゃない」

 顔は馬に似ていて面長で、頭の上の方に耳がある。問題は身体だ。細長い鉤爪のついた脚は二本しかなく、体の横に羽のようなものがついている。『のような』だけであって、断じて羽ではない。体にぴったりくっついていて人間の肩甲骨のよう。そしてなにより、体や顔のどこにも毛がない。のっぺりとしていて爬虫類にも似ているのだ。

 あたしから見れば、立派な馬もどきである。

「莉乃さん。これがこの世界の馬なんです。慣れてください」

「絶対無理」

 あたし達を乗せた馬車もどきは図書町にたどり着こうとしていた。



●sideR


 わたしは水晶玉のジィに乗って往来を行き交う人々を眺めていた。

「やっぱりジィと一緒にいるのが一番落ち着くの」

「ほっほっ。有り難きお言葉でございます」

 ジィは魔術研究の第一人者であり、術者としても最高位にいる。故に彼の透化の術は強力で、相当な魔術の使い手でないと見破ることができない。

 おかげで子どもに追い駆け回されずに済むというわけだ。

「――でも面白そうな人いないね」

「そうですなあ。二人も、良い人物は見つけていないそうです」

 図書町だけあって学者が多い。ひ弱そうなものばかりで壊し甲斐がなさそうである。

「ここもハズレかな」

 思わずため息が出たとき。

「……ほお。これは……!」

「何? どうしたの?」

 体の下のジィを覗き込めば、彼は興味深げに点滅している。

「近くに面白い魔力の者が二名ほど。こちらに近づいてきております」

「どこ?」

「あちらの方角からです」

 ジィがわたしを乗せたまま右を向いた。

「あちらの三人組です。緑髪の男は私と同じ種族ですね」

「緑華? 珍しいね」

「ええ。金髪の男は……なんと、幻の種族か! このような純粋な魔力は初めて感じましたぞ!」

 件の二人は綺麗な顔立ちをしていて、周囲の目を引いていた。そんな周りの様子を気にした風もなく、何かを話しながら彼らは通りを歩いている。

 が――。

「あの二人、こっちに気づいてる?」

「ええ、そのようです。こちらの姿までは見えていないようですが」

 最後の一人は彼らの少し後ろを歩いている。物珍しげに辺りを見回していた。

「私は永く生きておりますが、このような珍しい一行は見たことがございません! あの娘、異世界人ですぞ!」

「アタリ、だったかな?」

 ジィの興奮した声に、わたしも胸が高鳴った。

 丁度その時緑華と歌翼の間から、異世界人の顔が見える。

「――?!」

 信じられないことに、彼女の黒い瞳と目が合った。こちらは見えていないはずなのに……!

 それは一瞬のことで、すぐに彼女は前を見た。

「ジィ、アタリなの」

「そのようですな。いかが致しましょうか?」

「……カインくんに試してもらおうか。壊れない程度にね」

「御意にございます」

 わたしとジィはその一行が人ごみで見えなくなるまで無言で見詰めた。



●sideL


 宿の部屋に着くなり、クライスは西日の差し込む窓に張り付いた。

「……やっぱりいませんね。大通りからは出なかったみたいです」

「他に尾行は?」

「いないみたいですね」

 クライスとリィエは真剣そのものだが、あたしには何のことだかさっぱりわからない。

「ちょっと二人とも。一体何の話?」

 クライスがハッとした表情でこちらを振り返る。

「そうか。莉乃さんは一般人ですもんね。気がつきませんでしたよね」

「俺達、大通りあたりで妙な連中に見られていたんだよ」

 リィエが部屋の真ん中にあるテーブルにつきながら言う。

 あたしも彼にならってその向かいの席に座った。

「そりゃあそうでしょ。二人とも目立つし」

「そういう視線じゃなくてもっと物騒な視線だ」

「あれは観察って感じでしたね」

 クライスはあたしとリィエの斜め向かいの席に着く。

 リィエは図書館から借りてきた本を人差し指でトントンとたたき始めた。

「この町、どうにも嫌な感じがする。早く出て行った方がいいかもしれない」

「でも図書町ですよ? すべての本を調べるのに二、三日じゃ無理ですよ」

「まあな。でもアンタだって感じてるんだろ? この町はいつもと違うって」

「それは、そうですけど……」

「――なら、借りた本調べ終わったら町出ようよ」

 二人が目を丸くしてこちらを向く。

「あたしは嫌な感じとかわからないけど、二人は感じるんでしょ? それなら無理に長居する必要ないって。他の所で帰る方法探そう」

 リィエが呆れたような声を上げた。

「アンタ本当にそれでいいのか? ここの本に帰る方法が載ってるかもしれないんだぞ」

 あたしも半眼で彼に言い返す。

「あのねえ、言いだしたのはリィエだよ? それにこの町にあるんだったら他の町にもあるかもしれないでしょ」

「もしなかったら?」

「またここに戻ればいいじゃん。最後まで付き合ってくれるんでしょ? リィエは心配性だなあ」

「そうなんですよ。おまけに素直じゃないんです」

 リィエが顔を引きつらせてクライスを睨む。

「三歩歩いたら忘れる鳥頭は黙ってろ」

「三歩じゃ忘れませんよ!」

「じゃあ何歩で忘れるんだよ?」

「僕はそこまで忘れっぽく――」

 二人が唐突に立ち上がった。それも、厳しい表情で。

 あたしもあわてて椅子を蹴る。

「ちょっと、殴り合いとかは勘弁してよ?」

 それに応えた二人の声は妙に冷静だった。

「違いますよ」

「莉乃、武器持ってろ」

 一体どういうことか聞こうとした時。

 部屋のドアが乱暴に開かれた。それと同時に侵入してくる短剣を持った男。

 ようやく事態が呑み込めた。

 それよりも先にクライスが襟元の深紅のリボンを解き一振りする。リボンから薄紫の衝撃波が放たれ、男はまともにそれを喰らって壁まで吹っ飛ぶ。

 男は吹き飛びながらも体勢を立て直し、壁を蹴ってリィエに襲いかかる!

「汝は氷。我に害なす者をその身で貫け!」

 リィエが叫びながら腰に下げた袋の中から何かの粉をまく。魔術を使うために造られた砂糖――魔糖である。その魔糖は三本の太い氷柱となり、男の腹、右腕、胸に突き刺さった。

 リィエまであと一歩のところで男は短剣を落として倒れる。

 リィエはかがんで男の首筋に触れた。

 あたしは恐る恐る尋ねる。

「死んだ、の……?」

「――ああ。死んでる」

 身体から血の気が引いていくのを感じた。

 人が目の前で死ぬのを見るのは生まれて初めてである。しかも事故や病ではなく、殺人で。

 もちろん、殺さなければリィエの命が危なかっただろう。正当防衛なのだからリィエもクライスも何も悪くない。

 わかっているが、頭が真っ白になる。何も考えられない。見たくないのに、死体から目を離せなかった。

「――莉乃!」

 名前を呼ばれて我に返る。

 リィエが死体に白いシーツを被せて見えなくしてくれた。

 いつの間にか外から悲鳴や破壊音が聞こえるようになっている。

「どうやら最悪の事態になったらしい。武器を持て」

 リィエが手早く荷物をまとめながら言う。

 あたしはなんとか冷静さを取り戻す。彼の言葉に頷いて自分の荷物から、賊から拝借した槍を引っこ抜いた。鞄を背負ってようやく一人足りないことに気がつく。

「リィエ、クライスは?」

「下の階の様子を見に行った」

 リィエは自分とクライスの荷物を背負い、入口から廊下の様子をうかがう。

「クライス一人で大丈夫なの?」

「奴はああ見えて実力はそこそこある。宿に入ってきた奴らの人数も少ないようだから問題ない。――行くぞ」

「うん」

 廊下を出て左手に階下へ続く階段がある。リィエの後に続いてそれを降りた。

 広間は酷い有様だった。床に大穴が開き、長椅子は倒れて受け付けは半壊。壁には血痕。

 だから受け付けの奥から人が現れた時、あたしは思わず槍を強く握りしめていた。

「リィエさん、莉乃さん」

 クライスだった。安堵して力を緩める。

「どうだった?」

「生き残りは、いませんでした……。さっきの人の仲間がいたので眠らせて縛っておきました」

「殺さなかったのか?」

「すぐに逃げれば問題ないでしょう? それと、やはり彼らは【破壊者】みたいですね」

「そうか……」

「破壊者?」

 確かにその言葉でも間違ってはいない。が、犯罪者や殺人犯と言った方が近い気がする。それに現行犯だというのに「みたい」とはどういうことか。

「後で説明する。今は早く町を出よう」

 リィエの言う通りだ。こんなところからは早く離れたい。

「クライスが先頭を」

「はい」

「莉乃は俺の後ろにいろ。敵が出てきたらできるだけアンタに近づかせない。俺達の手伝いはしなくていい。自分の身だけ守ってくれ」

「……わかった」

 二人に危ない役を押し付けるのは気が引けた。だがあたしは、柄にもなく酷く動揺している。

 まさかこんなことになるとは思っていなかったのだ。町の中なら安全だと思い込んでいた。

 こんな状態で戦えば二人の足を引っ張ってしまうだろう。何より、目前に迫る死が恐ろしかった。だから今は、二人の好意に甘えることにしたのだ。

 外に通じる扉にクライスが手を掛ける。



●sideR


 カインくんは何をするでもなく町の門の前に立っている。

 わたしとジィはそこから少し離れた井戸の陰に隠れていた。透化の術は掛けているが念のためである。

 わたしは相変わらずジィの上に乗って例の三人が来るのを待っていた。

 町のあちこちからは絶えず悲鳴や破壊音が聞こえている。しかしこの辺りは異様なほど静まり返っていた。ルインちゃんがこちらに邪魔な人間が来ないよう見張ってくれているのだ。

 沈み行く夕陽に染められ、町は赤い。それだけが原因ではないけれど。

「来たようです」

 ジィの囁きとほぼ同時に、カインくんが左手を上げた。すると目の前の井戸から球状に凝縮された水がゆっくりと浮かび上がってくる。かなりの大きさで大人が三人入っても余裕がありそうだ。

 カインくんが上げていた手を前方に振る。水の球体はそれに従って素早く飛んでいく。

 そこには目的の一行がいた。

 金髪の少年がいち早く気がつき、後ろの黒髪の女性を突き飛ばした。彼女はなす術もなく尻もちをつく。

 だから彼女だけは助かった。少年二人は球体に閉じ込められる。

 これがカインくんの十八番『水獄』だ。

 ジィがわたしの下から関心の声を上げた。

「流石ですね。あの数秒間で簡易結界を張るとは」

 その言葉にわたしは水獄をもう一度観察してみる。

 少年二人は全身を水獄に閉じ込められ、上手く体を動かせない様子。しかしよく見てみると頭の周りには水がない。見えない壁で守られているようだ。

「でも長くはもたなさそうなの」

 空気の層は徐々に狭まっていた。

「ええ。簡易ですから。三分ももたないでしょう」

 一人取り残された女性がゆっくりと立ち上がる。うつむいているので、顔は内巻きの黒髪で隠れていた。

「――」

 彼女は何かを言ったようだ。小声だったので聞き取れない。

「恐怖に震えているようですね。期待外れかもしれませんぞ」

 確かに彼女は肩を震わせているようだ。

 しかしわたしには彼女が恐怖しているようには見えなかった。

「それはどうかな? ……ほら」

 彼女は勢いよく顔を上げると叫ぶ。

「守るとか偉そうなこと言ったくせにあっさり捕まって! あんたらはドジっ子か?!」

 その台詞は多少予想外だったけれど。

「……ね? やっぱり面白そうでしょ?」

「はい。非常に」

 ジィの声も楽しそうに笑っていた。



●sideL


 あたしは叫んで二人を睨みつけた。

 水球の中にいる二人は困惑顔である。

「す、すみません……」

「捕まったのは悪かったが、コイツと一緒にしないでくれ」

「そんなことはどうでもいい! どうすんのさ、この状況?!」

 青髪のイケメン青年が何か言いた気にこちらを見ているが無視する。

 クライスが真剣な表情になって言った。

「逃げてください。僕たちは――」

「それでその後は? あたしはこの世界のこと全然知らないし、頼れるのは二人しかいないんだよ?! 一生面倒みるとかプロポーズまがいのこと言っておきながら無責任じゃない?!」

 クライスが言葉をのんで押し黙る。

 リィエは諦めたような表情で溜息をついた。

「術は術者が自分の意思で解くか、集中力をそがれるか意識を失う、もしくは魔力切れになるかしないと解けない。つまりそれまで俺達は動けない」

 あたしはイケメンを睨みながら言う。

「要はあの人をどうにかすればいいんだね?」

「ああ。俺の簡易結界はもって後二分だ」

「わかった」

 あたしはその場に荷物を落とし、槍を握りしめて駆けだす。不思議とさっきまでの動揺は嘘のようになくなっていた。

 青年はただ青い瞳でこちらを見ている。

 走る勢いは殺さないまま、槍を両手で握って青年の右脇腹を狙って突き出した。

 男はそれを少し身をそらしてかわす。

 もちろんあたしもこんな見え見えの攻撃が当たるとは思っていなかった。突き出した槍をそのまま脇腹目がけて横なぎにする。この距離では避けられないはずだ。

 確かに彼は避けなかった。右手で槍を掴んで止めたのだ。

「――っ!」

 あわてて引っ込めようとするがびくともしない。こちらは両手で相手は片手だというのに。

「あの二人が捕まったのはお前のせいだ」

 囁かれたその言葉に思わず顔を上げる。

 男は酷く冷たい目でこちらを見下ろしていた。

「あの二人はお前を逃がすために動いた。だから自分たちは逃げられなかった。お前という足手まといがいたから」

 紡がれた言葉も声もあたしの存在を否定するような冷たさだった。

 それでもあたしは男を睨み上げる。

「馬鹿にしないで。そんなことわかってる!」

 二人は命がけであたしを守ってくれたのだ。だからそれまで動揺していたあたしがいつも通りに自分らしさを取り戻せた。さっきは頭に血が上っていたが今は感謝してもし足りないくらいだ。

 その二人の想いに今ここで応えられなければ――。

(あたしは本当に、ただの足手まといだ!)

 槍から両手を離して青年の胸倉をつかむ。間髪容れずに左足で彼の右足を払う。

 男は驚愕に目を見開いた。しかしそれも一瞬のことで、いつの間にか抜き放っていた細剣をあたしの顔目がけて突く。

 あたしは首だけ動かしてなんとかかわしたが右頬に傷ができた。

 更に彼は倒れながらも蹴りを放ってくる。

 あたしはまともにそれを腹に喰らって地面を転がった。うつぶせで止まる。身体のあちこちを地面にぶつけて痛かったが、なんとか顔を上げた。

 ――バシャン!

 後ろで大きな水音がした。どうやら術が解けたらしい。

 確認しようと上半身だけ起き上がらせる。だが目の前に男が立っていた。

 細剣が閃く。

(避けられない……!)

 剣があたしに届く寸前。

 薄紫の衝撃波が男を襲った。彼は民家の壁に激突する。

「莉乃さん、大丈夫ですか?!」

 振り返るとびしょ濡れのクライスが駆け寄ってきていた。

「なんとかね」

 苦笑しつつ彼の手を借りて立ち上がる。

 あたし達の横を駆け抜けながらリィエが言う。

「グズグズするな! 今のうちに逃げるぞ!」

 二人を助け出したのだから、もうあの男に用はない。

 あたしとクライスもリィエの後を追って走った。

 町の門を出てすぐの右手に馬車置場がある。当然あたし達の馬車も町に入るときにそこに置いていた。

 休ませていた馬もどきをリィエが馬車に繋ぐ。その間にあたしとクライスは馬車に乗り込んだ。クライスが手綱を握ったのと同時にリィエも馬車に飛び乗る。

 馬車が動き出した時、リィエが舌打ちして自分の鞄の中に手を突っ込んだ。彼は窓の外を見ながら鞄の中を漁っている。

 リィエの視線を追うと門にもたれる例の青年が見えた。それから、こちらに猛スピードで向かってくる水球も。

 流石にあれはあたしではどうすることもできない。

「リィエ!」

「わかってる!」

 リィエは鞄から手を引っこ抜いてその手を窓の外へと出した。そして手に持っていた何かをまく。

「汝ははこ。我を害するものをとざせ!」

 まかれたのは魔糖だった。

 それは一瞬輝くと巨大な箱へと変じる。馬車の目前まで迫っていた水球を中に入れ蓋を閉じた。ゆっくりと地面に降り動かなくなる。

 箱を置き去りにして馬車は町を離れたのだった。



●sideR


 拠点の会議室。

 カインくんは入ってくるなり深々と頭を下げた。

「申し訳ありません、ラック様!」

「恐れながらラック様。あのような大役を卑しい男などに任せるべきではなかったのですわ。わたくしにお申し付けくださればよろしかったですのに……」

 カインくんには目もくれず、わたしを見詰めて言うルインちゃん。もっとも彼女は黒の外套についているフードを目深に被っているので、顔で見えているのは真っ赤な唇くらいなのだけれど。

「あの人達なら今どこに向かっているかジィが探ってくれてるから問題ないの」

「逃したこともそうですが、素人相手に惨めに負けたそうではありませんか。そのような者が幹部の座にいる資格など――」

「仲良くしろとは言わないけど」

 聞くに堪えかねて、わたしはルインちゃんの言葉を遮った。

「差別するようなことは言わないでくれる? わたしは二人とも好きなの」

 二人がほぼ同時に顔を上げる。彼らの頬が赤く見えたのは気のせいではないだろう。

「では私めのことはお嫌いですかな?」

 いつものように唐突に虚空にジィが現れた。ちゃっかり会話を聞いていたらしい。

 わたしは笑って答える。

「もちろんジィのことも大好きよ? 二人と同じくらいね」

「もったいなきお言葉、感謝いたします」

 これで幹部は全員そろった。本題に入れる。

「それであの人たちの行き先はわかったの?」

「はい。彼らの馬車は北東へ向かいました」

「そう……」

 思わず笑みが零れる。

 素人でありながらカインくんの気をそらせたあの人――。

「彼女なの」

 はっ、とカインくんとルインちゃんが息をのんだ。ジィは気付いていたらしい。驚いた様子はなかった。

 カインくんが厳しい表情で口を開く。

「本気なんですか……? 破壊者の中から選ぶのではいけないんですか?」

「そうですわ! この男……カインはともかくわたくしではいけないのですか?!」

 変なところで気が合う二人だ。

「破壊者の中に合う人はいなかったの。あなたたちも含めてね」

 ルインちゃんが必死の様子でこちらに迫ってきた。

「なぜですの? 何がいけないのですか?」

「それがわかっていないから、余計にダメなの」

 彼女はぐっと押し黙る。

 カインくんも悔しそうにうつむいた。

 反論はないようなのでわたしはジィに向き直る。

「明日からしばらく留守にするから、あとよろしくね」

「御意にございます」

 探し物が、ついに見つかったのだ。

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