第4話 天秤に掛けるもの

(1)――だから俺は心置きなく、心を鬼にする。

「ん? なんだあいつ、あんなところに蹲って。おーい!」

 ある日。

 グラウンドで体育の授業を受けていたアサカゲさんは、その隅で蹲っている幽霊を見つけると、それまで行っていたハンドボールの外野手としての役割を放り投げて、幽霊に声をかけに行った。

「おいてめえ! 廊下で暴れんじゃねえっ! 窓ガラス割るんじゃねえぞコラ!」

 またある日。

 教室で英語の授業を受けていたアサカゲさんは、廊下で暴れる霊が現れるや否や、教室を飛び出し霊の沈静化に向かった。

「刃物は危ねえだろ! んなことしたら、お前だってタダじゃ済まねえんだぞっ!」

 そして別の日。

 昼休みに学食で昼食を摂っていたアサカゲさんは、厨房でパニックに陥り手近な刃物を投げつけてくる幽霊と遭遇し、その幽霊が落ち着くまでじっくり話し合いをしていた結果、午後の授業を丸々欠席した。

 次の日も、そのまた次の日も。

「一向に生前の記憶も戻らない幽霊の俺が言うのもなんだけどね、アサカゲさん」

 六月下旬。

 梅雨明けが待ち望まれる本日、俺は放課後に入ってから、アサカゲさんを旧校舎の空き教室に呼び出していた。旧校舎なだけあって教室内は多少埃っぽいが、彼女の尊厳を守る為には、この程度の不快感はやむを得ないだろう。

 これから俺が切り出す話題を知ってか知らずか、アサカゲさんは空き教室に入ってからこっち、わかりやすくご機嫌斜めである。

 君がそういう態度で来ることは、予想の範囲内だ。

 だから俺は心置きなく、心を鬼にする。

「もうちょっと真面目に勉強しよっか」

 意を決して放った俺の言葉に、アサカゲさんは、ぐう、と唸る。その声の低さたるや、獰猛な獣を前にしているようであるが、ここで怯んではならない。

「このままいくと、次の期末は赤点不可避で、夏休みは補習フルコースになるみたいだよ」

「てめえ、それ誰から聞きやがった」

「企業秘密デス」

 実のところ、俺に情報提供をしてくれたのはハギノモリ先生なのだけれど。アサカゲさんのこの様子から鑑みて、情報元は言わないほうが良いだろう。

 ことの始まりは、アサカゲさんのクラスを担当している国語科の先生が、ハギノモリ先生に彼女の成績不振について相談に来たことらしい。ハギノモリ先生が、まさかと思い他の教科の先生へも確認をしてみたところ、全教科壊滅的な状況ということが判明したのである。

 本来なら、ハギノモリ先生からこのことを伝えるべきなのだろう。しかしながらアサカゲさんの場合、それが必要以上にプレッシャーになるかもしれない。そういった経緯があって、伝言役として俺が選ばれたというわけだ。

 俺としても、これを期に、アサカゲさんがクラスメイトと交流を持てたら良いなあという野望がないわけではない。

「多少成績が悪くても、オレは任された役目を果たしてるんだから、仕方ねえだろ」

 アサカゲさんは、開き直るように言った。

「だけど、それを理由に補習はなくならないって聞いてるよ?」

「ろむてめえ、先生を何人味方につけてやがんだ」

「企業秘密だってば」

 いくら俺の考えていることが顔に出やすいと言っても、協力者の名前までは出るまい。しかし、あまり追求され続けると、先生方の名前を口から零してしまいそうな気もして、俺はアサカゲさんに、それよりも、と話題の軌道修正にかかる。

「俺も、アサカゲさんの霊能力者としての役割は大切だと思ってるよ。だけどさ、そっちに注力し過ぎて、学業を疎かにしても良くないと思うんだよね。夏休みの大半を補習に取られちゃったら、結界の補強も終わらないんじゃない?」

「ぐうう……」

「特に最近は校内をさ迷ってる霊が多くて、授業に全然追いつけてないでしょ。クラスの人にノートを見せてもらうだけでも違うと思うんだけどな。ほら、アサカゲさん、少し前に、クラスの男子をじっと観察してたことがあったじゃん。あの子、しっかり授業受けてるみたいだし、ノート見せてもらったら?」

「はあ? ……ああ、あいつは妙な気配がしたから観察してただけだ。あの様子なら、今は放置しといて問題はねえよ。というか、ろむ」

 アサカゲさんは腕を組み、俺をより一層強く睨む。

「お前、なにか企んでねえか?」

「ぎくっ」

「おいコラ、白状しろや」

「……ナニモ、タクランデ、ナイヨ」

「ふうん……?」

 それとなく自然な風を装い誘導したつもりだったのだけれど、露骨過ぎたのかもしれない。これは、やんわりと俺の意図を察せられてしまっただろうか。

「大方、オレにクラスの連中と関わりを持って欲しいっていう魂胆だろうけどよ」

 前言撤回、しっかりバレてた。

 ここからどう巻き返そうかと思案する俺よりも先に、アサカゲさんは言う。

「勉強について言えば、クラスの連中よりも、ろむのほうが適任なんじゃねえのか?」

「え?」

 予想だにしない提案に、俺は首を傾ける。

 しかしアサカゲさんは、お構いなしに話を続ける。

「お前、授業時間中に校内をうろついてるとき、たまに廊下から授業を聞いてるだろ。興味本位っていうよりかは、懐かしそうな顔してたし。一年一学期の期末範囲内くらいなら、余裕で教えられるんじゃねえのか?」

「そりゃあ、わかるけど……」

 複雑な校内を自分の庭のように理解できていることと同様に、授業の内容も過去に習ったような気分で理解している。果たして俺の享年がいくつかはさておき、確かに一年一学期のテスト範囲なら造作もないだろう。

 いやしかし、ここで折れるわけにはいかない。

 アサカゲさんは高校入学から三ヶ月が経とうとしている今も、同級生と積極的に関わりを持とうとしない。クラスメイトのほうも、アサカゲさんに対する勝手なイメージが先行している所為か、完全に拮抗状態に陥っている。だが、今なら、成績不振を理由に、クラスメイトへ自然と話しかけられる、またとないチャンスなのだ。

 俺がアサカゲさんの勉強を見れば、そりゃあ、成績は良くなるだろう。だけど、いつの日か俺がこの世から成仏して居なくなるとき、アサカゲさんを孤立させたくない、というのも、俺の心からの願いなのだ。

「頼むよ、ろむ」

「ぐ、ぬぬ……」

 普段の様子からは考えられないほどしおらしくお願いしてきたからと言って、ここで折れるわけにはいかない。これは、アサカゲさんの為でもあるのだ。

「ろむ、お願いだからさ」

「うぐぐ……」

 甘やかしちゃ駄目だ。

 心を鬼にするんだ。

「なあ、オレたち相棒だろ?」

 それを言われてしまえば、俺の決意はぽっきりと折れた。

 相棒を見捨てるなんて真似、俺にできるわけがない。

「――今回だけだからね!」

「よっしゃ!」

 アサカゲさんは右手を振り上げて喜んだ。そんな屈託のない笑顔、初めて見たんだけど……。

「ただし、ひとつ条件がありマス」

「条件? なんだよ、それ」

 言ってしまえば、クラスの人に勉強を教えてもらう云々は、オレの願望に過ぎない。

 事前にハギノモリ先生と打ち合わせをした結果、より重要なのは、俺がこれから言うことにある。

「明日から、極力授業に出席すること。なにか異変が起きたら、俺がすぐに様子を見に行って、ハギノモリ先生に対応してもらうから。アサカゲさんには、とにかく教室から飛び出さないで授業を受けてて欲しいんだ。……この条件が飲めないなら、俺もアサカゲさんに勉強を教えないからね」

「……わかったよ」

 苦い表情を浮かべるアサカゲさん。

 とはいえ、これで最低限の状況を整えることができて、俺としては一安心である。

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