(6)――「こいつが、この辺りの地区を担当してる死神の一人だ」
とうの昔に止まった心臓の鼓動がばくばくと跳ね上がる錯覚を覚えながら、俺はアサカゲさんに連れられ、第二教室棟の屋上へとやって来た。
普段、屋上への生徒の立ち入りは禁止されている。過去に未遂事件でも起きたことがあるのか、屋上へと続く扉の前には物々しい立入禁止の立て看板が置かれ、何重にも施錠されていた。しかし、学校公認の霊能力者権限でマスターキーを渡されているアサカゲさんにとっては、それは全く意味を成さない。瞬く間に全ての解錠を終えると、俺の緊張などどこ吹く風といった様子で、扉を開けてしまった。
さっさと先へ行こうとするアサカゲさんの後ろについて、俺も覚悟を決めて屋上に足を踏み入れる。
「待たせたな、死神。今日は一人か?」
アサカゲさんは、久しぶりに友達に会うかのような気楽な声音で言った。
俺は、どんな悍ましい存在が目の前に居ても悲鳴を上げないようにと腹を括り、そっと前方に立つ人影の様子を窺う。
そこには、真っ赤な髪色をした青年が立っていた。
その人は、アサカゲさんの声に反応して、こちらに顔を向ける。
目が見えていないのか、目元は黒い布で覆われている。ワイシャツにボウタイ、その上から橙色のパーカーを羽織り、黒のチノパンに革靴という、どこかちぐはぐな印象を与える服装に身を包んでいた。
「ちーちゃんは今、魂の回収に行ってるんだ。俺一人で悪いねえ、ひーちゃん」
そうして口を開けば、なんとも軽薄な口調である。
見た目も話しかたも、俺が想像していた、おどろおどろしさと陰気の権化のような死神像とはかけ離れていて、強張っていた肩の力が抜けていくのがわかる。
アサカゲさんは、そんな俺の状態を横目に確認しつつ、ろむ、と呼びかける。
「こいつが、この辺りの地区を担当してる死神の一人だ」
こいつ、とアサカゲさんに指を差された赤髪の青年は、それがわかっているのかわかっていないのか、どうもー、と笑顔を浮かべて答える。
「
「……ろむデス」
必要以上に警戒しなくて良いとは言っても、こうもハイテンションで自己紹介されると、困惑するというものだ。胡散臭いったらない。
「ちなみに、本当はもう一人、俺と一緒にここの担当をしてる死神がいるんだ。さっき言った通り、彼女は今、魂の回収に行ってて不在だよ。彼女の名前は、
刹那、緩みかけていた警戒心が、きゅっと引き締まる。
この死神は『やべーやつ』な感じがしたのだ。
不在の相方を紹介するのに、全力で牽制を仕掛けてくるなんて、怖いが過ぎる。
「お前らって付き合ってるんだっけ?」
しかしアサカゲさんは、勇敢にもそんな質問を投げかけた。
怖いもの知らずが過ぎやしないか。
「え? 違うよ? だってちーちゃん、他人に関心ないもん。俺が勝手にちーちゃんを好きになって、偶然にも同じ地区の担当になったから、俺が勝手にちーちゃんにつきまとってるだけ」
それはそれで些か問題があるようにも感じるが、敢えて指摘しようとは思わなかった。触らぬ神に祟りなしである。
アサカゲさんとしてもあまり興味のある話題ではなかったらしく、ふうん、とだけ頷いて、話題を変えることにしたようだ。
「早速だけど、本題に入らせてもらうぜ。オレがお前ら死神に呼び出しをかけていたのは、ろむの状態を見てもらいたかったからなんだ」
赤髪の死神――イチギくんに向かって、アサカゲさんは簡潔に説明を始める。
「少し前に現れた地縛霊なんだが、生前の記憶がなくて成仏させてやれねえんだ。だからといって、不安定なりに安定してるから悪霊化の気配もない。死神から見て、どう思う?」
イチギくんは顎に手をあてて、小さく唸る。
「視力のない俺からすれば、正直、そこに居るのかどうかも怪しいくらいに存在が希薄だねえ。記憶がなくても安定してる魂っていうのは、過去にも前例があるし、俺も何度か見たことあるけど。でも、ここまで薄いのは初めて会うよ。そうだ、むっくん、ちょっと握手させてもらっても良い?」
「……むっくんって、俺のこと?」
「君以外に誰が居るのさ。ね、握手しよ?」
アサカゲさんのことも『ひーちゃん』と呼んでいたし、どうやら彼は他人にあだ名を付けて呼ぶのが好きらしい。あのアサカゲさんが『ひーちゃん』なんて呼びかたを許可しそうにはなさそうだけれど、案外、イチギくんの押しの強さに、諦めたのかもしれない。
「……」
ちらりとアサカゲさんに視線を送ると、問題ない、とばかりに小さく首を縦に振った。それを確認してから、俺は差し出されたイチギくんの右手を握り返す。
「……なるほどねえ。ありがと、むっくん。もう良いよ」
握手をしていたのはほんの数秒だが、それで納得のいったらしいイチギくんは、そう言って俺から手を離した。ハギノモリ先生のときのように探るような気配はなかったけれど、その辺は死神という存在固有の能力かもしれない。回収する対象に、あれこれ気取られるわけにはいかないものな。
「で、どうなんだ?」
尋ねたアサカゲさんに、イチギくんは、
「うん。全然わかんないね」
と、いっそ潔いくらいきっぱりと答えた。
「普通に生まれて死んでこうなった……とは考えにくいから、なにか要因があってこうなんたんだろうけど。それにしたって存在が希薄過ぎるよ。ひーちゃんは悪霊化の気配はないって言ってたけど、もしかしたら逆に、悪霊化した魂の残滓なんじゃないの? 或いは、〈よくないもの〉の集合体とかさあ」
イチギくんの言葉に、ふと図書室での一件を思い出す。
この学校は、悪霊にも生霊にも成りきれない〈よくないもの〉の吹き溜まりになりやすい。
除霊された悪霊の残り滓、或いは、〈よくないもの〉の集合体が、いくつかの偶然が重なり『ろむ』としての自我を得た――というのは、存外筋の通った仮説かもしれない。
「滅多なことを言うんじゃねえよ」
と。
声に怒りを滲ませてそう反論したのは、アサカゲさんだった。
「あくまで可能性の話だよ。ゼロとは言い切れないでしょ?」
「だけど――」
「ひーちゃん、君はあくまでも、幽世と現世の中立的立場の人間なはずだ」
イチギくんは、俺の言っている意味がわかるかなあ、とその軽薄さは崩さず、しかし声を一際低くして、言う。
「自分にとって都合の良いことだけを是とするのは良くないぜってこと。そういうのは、正解を不正解にするし、現実に理想を上塗りすることになる。それは、君の立場の人間がすべきことじゃないよね?」
「……」
アサカゲさんは、堪らず押し黙った。
イチギくんの言ったことは、正しい。
俺自身でさえ状況を正確に読み取れない以上は、あらゆる可能性を考慮すべきだと思う。だから本来、死神からも人間からも、適度に警戒されるべきなのだろう。こうして自由に歩き回らせてもらっているのだって、先生とアサカゲさんからの信用と温情に過ぎないのだ。アサカゲさんは違うかもしれないが、少なくとも、ハギノモリ先生はそのつもりだろう。
「ま、推測でものを言ったところで意味がないことも確かだね。現状、俺から百パーセント自信を持って言えるのは、今のむっくんは、死神でもどうにもできないってことくらいかな」
イチギくんはぱっと声音を戻し、笑みを深めて、続ける。
「ちーちゃんのほうが俺より死神歴は長いし、あの子なら、なにかわかるかもしれない。今度会ったときに、この件については共有しておくよ。それで良いよね?」
「……ああ、そうだな」
しばしイチギくんを睨むように見ていたアサカゲさんだったが、いくつかの言葉を押し込むように唾を飲み込むと、それだけ言って頷いた。
「それじゃあ俺はもう行くよ。ああそうだ、この間の音楽室で執着に巻きつかれて動けなくなってた子、冥界に送ってくれてありがとね。助かったよ」
イチギくんは、アサカゲさんの返事を待たず、すたすたと屋上の縁まで行き、軽く地を蹴ると、飛ぶように、或いは落ちるようにして姿を消した。話をした時間はほんの僅かだったというのに、その爪痕たるや、目眩がしそうなほどである。
「あのさ、アサカゲさん」
俺たちの間に横たわる思い沈黙に耐え兼ねて、俺は口火を切った。
「……なんだよ」
張り詰めていた糸を緩めるように息を吐き、アサカゲさんは返事をしてくれた。
しかし俺は、ただ沈黙を破りたかっただけであり、明確になにか話したい話題があるわけではなかった。
いや、本音を言えばないわけではない。それどころか、今きちんと話し合っておかなければならないまである。
イチギくんの言っていた、俺という存在が孕む危険性。
いくら存在自体が希薄で、現状無害であったとしても、ある日突然豹変する可能性がないとは、誰も言い切れない。
もしもそのときがきたら、アサカゲさんは俺を祓えるのか。
その用意と覚悟はあるのかを、改めて問い質さなくてはならない。
同時に、そうなった場合、俺には祓われる覚悟があるということも、この際まとめて伝えておくべきだろう。
だけど。
「――いや、なんでもない。用事が終わったんなら、結界の補強作業に戻ろうよ」
どうしても、俺からその話を持ち出すことはできなかった。
アサカゲさんがどれだけ霊能力者として優秀であろうと、それ以前に、彼女はどこにでもいる十五歳の少女なのだ。不確定要素も多い今、そのことを考えさせるのは、あまりにも酷だと思った。こういう話はアサカゲさんではなく、ハギノモリ先生とすべきだろう。
だから、この話題は、これで終わり。
今は『ろむ』という人間の魂は、死神にもどうすることもできないということがはっきりしたことを、素直に受け止めるだけで良い。
「ああ、そうだな。今日で第一教室棟は終えちまおうか」
「うん。俺も道案内、頑張るよ」
「今日もよろしく頼むぜ、ろむ」
「任せといて!」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます