(4)――「視えねえから、こんなえげついことになってんだ」
「改めて、この子がさっき言ってたアサカゲさん。で、こちらはユウキさん」
二人で音楽室に戻り、俺が双方を紹介する。
アサカゲさんは落ち着いている様子だが、明らかにユウキさんの表情は硬い。緊張半分、警戒半分といったところだろうか。
「一年の朝陰
それを慮ってか、握手を求め先に右手を差し出したのは、アサカゲさんのほうだった。
ユウキさんは差し出された手を見たあと、不安の残る視線をちらりと俺に向けた。
除霊はされないし、アサカゲさんは普通に
「……三年の結城奏子よ」
もう少しだけ逡巡したあと、ユウキさんはアサカゲさんの手を握り返した。
「単刀直入に言う」
と。
握手を交わした手を離し、その手でアサカゲさんはユウキさんの足元を指差す。
「あんた、現世に縛りつけられて成仏できねえんだろ。んで、その犯人は、さっきまでここでピアノを弾いてた男子。そうだな?」
「……」
ユウキさんは黙りこくったまま、なにも言わない。
「え、なにそれ、どういうこと?」
音楽室に入ってまだものの数分しか経っていないというのに、もう解決編に突入したのか。
半ば混乱する俺に、アサカゲさんは床を指差すようにして、言う。
「先輩の足元、見てみろって。オレでなくとも、一目瞭然だ」
そう言われて、俺はユウキさんの足元に視線を落とす。
するとそこには、縄のようであり人間の手のような――とにかく得体の知れないものが、がっしりとユウキさんの足元に巻きついているではないか。
一度その存在を知覚すると、何故今まで気づけなかったのか不思議なくらいだが、しかし、初対面の相手の足元をじっくり観察するような機会はそうないだろう。俺のように、露骨に膝から下が透けてなくなっているのでなければ、そう簡単に気づけるものではない。
こんな悍ましいものをユウキさんに巻きつけている犯人が、あの男子生徒であるとは、俄には信じがたい。規律正しく挨拶をし、朗らかに笑っていた彼に、果たしてこんな真似ができるのだろうか。
「でもアサカゲさん、あの子、
「逆だ、逆。視えねえから、こんなえげついことになってんだ」
俺の言葉を遮り、アサカゲさんは続ける。
「それを形成してんのは、未練と執着だ。結城先輩のことが視えてたら、ここまで悪化はしてなかっただろうよ」
生きてる人間が一番怖いって言うだろ、なんて冗談にならない冗談を、アサカゲさんは吐き捨てるように言いつつ、腕を組む。
「オレなら、あんたの足元のそれを祓って、あんたが本来逝くべきところへ送ることができる。いわば浄霊ってやつだが、どうする?」
と、アサカゲさんは、ユウキさんへ決定権を委ねた。
とはいえ、少なくとも確実にあの悍ましいものから解放してもれるのであれば、成仏云々は一旦置いておくとして、アサカゲさんの提案は決して悪いものではない。俺としては、そう思ったのだけれど。
「……あと数日だけ、待ってもらえないかしら」
しばしの沈黙のあと、絞り出すような声で言ったユウキさんに、アサカゲさんは間髪入れず、
「理由は?」
と返した。
その隙の与えなさに、ユウキさんは僅かに両肩に力を入れつつ、言う。
「たぶん、だけど。彼は――
ユウキさんの言葉で、俺はひとつ腑に落ちるものがあった。
ユウキさんは、若くして命を落としたにしては、いやに落ち着いていると思っていた。でもそれは、彼女が既に自身の死を受け入れきっているからなのだろう。この子には、未練も後悔も、本来はなかったのだ。
「それは、あんたが縛られてるから、そう思うだけじゃねえのか?」
アサカゲさんは、容赦なく質問を重ねた。
しかし、本人に未練がないのであれば、それは十二分に考えられる可能性だ。
「違うわ」
ユウキさんは、きっぱりと否定する。
「むしろ、私が先に、大桃くんをピアノに縛りつけてしまったようなものだもの。だから『きらきら星』を弾けるようになれば、大桃くんはきっと、大丈夫になる。私はそう信じてるわ」
「……三日だ」
アサカゲさんは、喉まで出かけていた言葉を、いくつも強引に飲み込んだようなしかめっ面で、言う。
「三日――それ以上は、あんたがそれに呑まれて悪霊化するリスクが一気に高まる。三日後の放課後には有無を言わさずそれを祓って、あんたを冥界に送る」
ユウキさんの『あと数日』という言葉に、嘘偽りはないだろう。しかし、三日という長いようで短い期間では、いささか難しいのではないだろうか。
俺と同じような不安を抱いたらしいユウキさんの表情が、一気に曇る。
「だけど、たった三日じゃ、完璧に弾けるまでは……」
これでもアサカゲさんが最大限譲歩した結果なのだろうということは、頭では理解できる。ユウキさんだってそれがわかっているから、強くは出られないのだろう。でも、ユウキさんの浄霊まで猶予が与えられたところで、オオモモくんが弾けるようにならなければ、どうしたって遺恨が残ってしまうのではないか。
「それは、その大桃ってやつが一人で練習した場合だろ?」
と。
反論は想定済と言わんばかりに、アサカゲさんは朗々と続ける。
「あんたが直接教えることができれば、三日ありゃ充分じゃねえのか?」
「そ、それは、そうかもしれないけど、でも大桃くんには、私が視えていないのよ?」
動揺し視線を彷徨わせるユウキさんに、アサカゲさんは自身の胸をどんと叩いて、言う。
「方法ならある。オレに任せろ」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます