墓石と民草

富嶽

序章

序-1

 高校の入学式は30秒で終わった。始めに入学式の開式が宣言されたら、「1年A組、安藤和俊以下188名、起立」という掛け声がかかり、高校1年の生徒がてんでばら

ばらに立ち上がる。あとは校長が「安藤和俊以下188名の入学を許可する」という

形式的な文言を発するのを聞いたら着席の号令を待ち、生徒が全員着席したら閉式となる。安藤和俊以外の生徒は全員数字として処理されてしまうなんとも味気ない入学式であったが、去年の高校入学式も一昨年の高校入学式もその前の年の高校入学式も傍観者として見ている限り、ずっとこんな調子だったから今さら驚きはしないし、自分が単なる数字として扱われたことに憤りを覚えたりもしない。むしろ、長々と入学式をされても面倒なだけなので、未来永劫我が秋島あきしま学院の高校入学式は現行の形態のままであって欲しいとすら思う。更に身も蓋も無いことを言えば、たかだか30秒の入学式のために全校生徒に対して教室・講堂間の往復を強いることすら本来は非効率的なので、入学式など開催しなくても俺は一向に構わないのだ。

現に今も、入学式はもう終わったというのに、全校生徒が一遍に出入口へと殺到するせいでまだ講堂を出ることすらできていない。どう考えても入学式より教室との行き帰りの方が時間がかかっている。これを非効率的と言わずして何というのか、というやるせない気持ちを抱えながら無駄に高い講堂の天井を見上げていると、まだ学生の私語は解禁されていないというのに隣に立っていた男が突然話し掛けてきた。

 「この学校じゃ、中1の時のメンバーがそのまま高3まで進級していくし、高校入試もないから中学高校という区切りが意味をなさんのかも知らんが、記念すべき高校生活の始まりなんだからもう少しくらい丁寧に祝ってほしいもんだな」

 声を聞いた時点で誰が話し掛けてきたのかはわかったので、視線も向けずに「丁寧に祝っていただいたところで、式が長くなって余計面倒になるだけじゃないかね」と返す。すると、「なあに冗談だよ」という声とともに我が級友、永島雅樹の冗談めかした顔が視界に入ってきた。

 永島とは中学1年の時同じクラスになってからの付き合いだ。中2では別のクラスになったが中3でまた同じクラスになり、今年もまた同じクラスになった。出会った頃は俺とほとんど身長が変わらない細身で色白の少年だったというのに、あれよあれよという間に背が伸びていつのまにか180cmの大台に達そうとしている。(その間俺はといえばそれほど身長が伸びなかったので、永島との身長差はいまや10cmをわずかに超えてしまっている。)

 中学でテニス部に入ったせいで、白かった肌はいつの間にか小麦色になっており、筋トレを始めたせいで肩回りに筋肉が豊富についている。要するに日焼けした体格の良い大男というわけだが、やけに整った顔をしているためか、そこまで暑苦しい印象は受けない。彫りの深い顔立ちやよく鼻筋の通った高い鼻などはどこか日本人離れした印象をさえ与えるが、顔全体を見ればそこまで日本人離れした風でもないのが不思議だ。たまにそんなことを永島に言うと「両親もじいさんばあさんもみんな日本人なんだから当たり前だろう」と笑われるのがオチなのだが。

 奇人変人の多いこの秋島学院にふさわしく永島もまた奇妙奇天烈な人間であり、奇行にまつわるエピソードは枚挙にいとまがない。出会った当初は「なんだこの変人は」と思って遠巻きにしていたのだが、いつの間にか気づかぬうちに永島の奇行に振り回される日々を送るようになり、はや3年が経ってしまった。

 新年度初日も永島の奇人ぶりは勿論健在であり、すっかりそれに慣れ切った自分に一抹の恐ろしさを感じながら人の流れに流されていると、やがて教室にたどりつく。教室につくとすぐにホームルームが始まったので永島との会話はそこで打ち切りとなった。

 担任は昨年と変わらず、クラスメイトも見知った顔ばかりの中行われたホームルームは全く緊張感のないまま恙なく進行し、すぐに放課後となる。最寄りの私鉄の駅まで永島と歩いて帰ろうと思っていたのだが、精が出ることにテニス部の自主練に参加するそうなので、俺一人で帰ることにした。


 我が秋島学院はその安直な名の示す通り、秋島県秋島市に位置している。正式名称は秋島学院中学校・高等学校であるが、そんな長ったらしい名前で呼ぶ人は滅多に居らず、大体は「秋島学院」か単に「学院」とだけ呼ばれることが多い。学校建築としては珍しいクリーム色の校舎でよく目立つうえ、秋島市街地の西側に連なる丘陵地帯の中腹に位置しているため、市内中心部からでも見つけようと思えば見つけることができる。もともとは秋島藩藩主の別邸があったような場所なので「風光明媚」という言葉がぴったりで、秋島の市街地はもちろんその向こうの瀬戸内海の多島美も楽しむことができ、天気が良いときには海を越えた向こうの石鎚山脈さえ望むことができるそうだが、丘の中腹にあるという立地から察せるように、通学には非常に難儀する。

 一応秋島市中心部から伸びてきたJRと私鉄の線路が丘陵地帯に沿うように走っているのだが、JRの最寄り駅は学校から3km離れたところにしかないし、私鉄の最寄り駅にしても丘の麓に位置しているため、1kmほど急な坂道を登らなければ学校にたどり着くことができないのだ。おまけに私鉄の最寄り駅から学校までは住宅街が続くので細く曲がりくねった道が多く、経路がわかりにくいことこのうえない。唯一の救いは秋島市が瀬戸内海に面しているため、かなり温暖な気候であることだろうか。もしここが長野や新潟のような雪国であったなら、冬期の通学は困難を極めたに違いない。


 校門を出たら早速急な下りが始まるので、足を痛めないように気をつけながら降りていく。4月の上旬にしては気温が高く、羽織った学ランの下が少しずつ汗ばんでくるが、15分ほど歩けば電車に乗れると考えてとりあえず我慢する。急な下りが終わると勾配が緩やかになるので自然と歩幅が大きくなる。

 ここから先は立ち並ぶ一軒家の間に通された小道を歩いていく。このあたりが通学路の中で一番曲がりくねりが多いところだが、車が通行できないくらい道が細いので、車両に気を使わなくて良いのが気楽である。道端に家庭菜園のようなものをつくっている家もあったが、さすがに何の植物も植えられていなかった。

 しばらく小道を歩くと勾配が更に緩やかになって、道も車両が通行できる程度には広くなる。ここまでくると私鉄の駅まではあと少し。神社の参道の急な階段の下をくぐるようにくり抜かれた短いトンネルを抜け、コンビニのある交差点にたどり着くと目の前にJRの踏切が現れ、その数m先に私鉄の踏切と駅が見えるのだ。このあたりではJRと私鉄が並走している関係で踏切が非常に多く、渋滞がよく起こっているのだが、俺が通りかかった時の車の流れは拍子抜けするほど順調だった。

 足早にJRの踏切を渡って私鉄の駅のホームに上がり、ベンチに腰を下ろす。暑い中学ランを着たまま歩いてしまったので、かなり汗をかいてしまった。体温を下げるために学ランを脱ぎ、水筒に入ったお茶を飲んで一息ついていると、唐突に駅のスピーカーが不穏なことを言い始める。

 「本日も秋島電鉄斎島線をご利用くださりまことにありがとうございます。お客様にお知らせいたします。新戸口駅付近で発生した踏切トラブルにより、斎島線ではただいま安全確認のため全列車が運転を見合わせております」

 …道理で車の流れが順調なわけだ。踏切が閉まらなければ車の流れは影響を受けないのだから。

 別にJRの駅まで2kmくらい歩けば家に帰ることはできるのだが、何となく帰る気がなくなった。今日は入学式が終わったらすぐに解散だったので、時刻は未だ11時。あまり腹も減っていない。暑い中わざわざ家から学校まで行ってほとんど何もせずに帰るのも癪な気がする。なんとなく散歩する気分になった。


 駅のベンチから立ち上がり、ホームから出る。さっき渡ったJRの踏切をもう一度渡り、コンビニのある交差点を左に曲がって進路を南西にとる。しばらくはJRの線路に沿って市道を歩くことになる。小さな公園で遊ぶ子供たちや郵便配達の原付、薬局を見ながら歩いていくと、突然道がJRの線路と踏切で交差する。この踏切を超えた先は木津と呼ばれる地域。電車に乗って通過したことは何度かあるが、自分の足で歩き回ったことは一度もない場所だ。何があるのかよく知らないが、何もなくても運動にはなるし、もし何か面白いものがあれば儲けものだ。そう思いながら足を踏み出す。

 先ほどまでの住宅街とは一変して、木津の街並みからはどことなく中世的な雰囲気を感じた。どこか古めかしく間口の狭い家、道沿いに並んだ寺院の甍、奥の方に見える八幡宮の鳥居、白壁の酒蔵。同じ市道を道なりに歩いてきただけなのに、いつの間にか旧街道のような雰囲気が色濃く漂うようになっている。なんとなく近くに立っている石碑を見ると「旧斎島街道」と書いてあった。意外に自分の勘も当たるものだ。正直あまり期待していたわけではなかったのだが、予想していた以上に見どころが多く気分が上がる。何から見ようかと少し悩んだが、すぐ近くに風情のある小さな寺院を見つけたので、何となく門をくぐってみる。門の脇にささやかながら菫の花が咲いていて、隣にもまた別の花が咲いているのだが、生憎花には疎いもので名前がわからない。後で図鑑でも引いて調べてみるかと思いながら敷地の奥の方に目を転じると、本堂の横の墓地の中で人がうずくまっているのが見えた。

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