ほんのり鬱な僕の日常

ソラゴリ

第1話

 

 意識の遠くで何かが鳴る音がする。

 どうやら朝を迎えたようだ。

 今日も今日とて携帯にセットした目覚ましをぼんやりと聞き取る。

 そして、僕は閉じていた目をゆっくりと開く。

 

「朝か……」


 誰に聞かすわけでもなく、僕はぽつりと言葉を溢す。

 いつからだろうか、僕の独り言が多くなってしまったのは……。

 それでも独り言程度で僕の状態が保たれるなら、この癖を治そうという気にはなれない。

 自分の中の気怠さを隠すことが出来ない僕は、のそのそと布団から這い出てくる。

 ゆっくりとした動作の中で僕は思う。


「僕っていつ寝たんだろう?」


 


「おはよう」


 朝七時を少し過ぎたころ、リビングに出ると、そんな言葉を母親から掛けられる。

 もちろん、僕は返事をする。


「おはよう、母さん」


 僕はいつも通りのテンションで、いつも通りの声音で挨拶を返した。

 返せたはずだ。

 その証拠に母親も姉も、僕のことを心配そうに見ていない。

 その事実に僕は少しホッとする。


「アンタ。今日は調子よさそうね?」

「そう? 確かにそうかも」


 姉との何気ないやり取り。

 僕は姉が苦手だ。

 今もそうだけど、小さい頃は特に力関係が姉の方が上だったから。

 そもそも僕自身、人間関係を構築するのにかなりの緊張や労力を必要とする。

 それは姉や両親でも変わらなかった。

 でも、僕のことが分かった今なら、家族の皆が不意に僕を傷つけることはなくなった。

 その事実だけで僕の心は僅かに軽くなる。


「お父さんは?」

「もう仕事に行ったわよ~」


 僕の質問に、母はゆっくりと間延びした返事をする。

 父が仕事に出ていることに僕はほっとする。

 別に父が嫌いという訳ではない。

 むしろ、父のことは尊敬している。

 でも、厳格だった父は僕の恐怖の対象だった。

 だから、僕は常に“いい子”を演じていた。

 まあ、そんなことは誰もが大なり小なりしていることだと分かった今なら、こんな僕でもまともだったんだなと思える。


「いただきます」

「は~い、どうぞ」


 母が用意してくれた朝食を食べる。

 昔ならパクパクとよく箸が進んだものだが、今の僕に食事は若干だが苦手なものだ。

 昔よりも味の感じ方が変わったせいかもしれない。


「ごちそうさま」

「はい、お粗末様~」


 たっぷりニ十分ほど時間をかけ朝食を食べ終える。

 パン一枚と野菜や卵などのおかず、そして何かしらの乳製品を食べるのがうちの朝食だ。

 いつも朝食を準備してくれる母には感謝している。


「今日はどう?」

 

 母が訪ねてくる。


「今日も大丈夫」


 僕は母に返事をする。

 そんな僕と母さんのやり取りに姉は眉を軽くしかめる。

 おそらく母さんの過保護に呆れたのだろう。

 でも、姉は姉で僕のことを心配してくれているのだろう。

 その証拠に。


「アンタ、ぼーっとしているんだから気を付けなさいよ」

「うん」


 姉がぶっきらぼうに言う。

 僕への少しの気遣い。

 そんな何気ない一言に、僕は温かい気持ちになる。


「準備したら、行ってくるね」

「そう、いってらっしゃい」


 母さんの落ち着いた言葉。

 僕は頷いてから、トイレと歯磨き、そして顔を洗うのを済ませる。

 自室に戻り、今日の準備をした僕は着替えた制服がきっちりとしているか確認して、家を出た。

 



「おはよう」

「おはよう」


 教室に着いた僕はそこかしこでの級友同士の挨拶を聞きながら、自分の席へと着く。

 席に着いた僕に話しかける友達はいない。

 それも仕方ない。

 僕は学校をたまに休んでいるのだから、もうそれぞれの仲良しグループが出来ているのだ。

 そんな中に、僕の割り込める場所なんてない。


「ねえ、あの人、誰だかわかる?

 (ねえ、誰なのアイツ)」


 とある女子生徒の声が聞こえた瞬間。

 あ、始まってしまった、と僕は自覚する。

 僕はたびたび副音声のように、他人が僕を攻撃しているように感じてしまう。

 そんなとき、僕はただじっと黙って、机に顔を伏せる。


「あの休みがちの人じゃないかな?

 (休んでばっかりの怠け者じゃない?)」

「あ、確かによく休んでいる人がいたわね。大丈夫なのかしら。

 (確かに、そんなのがいたわね。いろいろと大丈夫なのかしらね。)」


 そんな風に、チクチクと僕に刺さるような言葉が聞こえる。

 この症状が酷い人は完全に人の声が悪口に感じるらしい。

 僕もたまにそうなるけど、それは妄想なんだと自分に言い聞かせるようにしている。

 周囲の人は、僕が考えているよりも僕に無関心のはずなんだから、わざわざ僕の悪口を長々と話しているわけないのだ。

 そうやって頭では理解しているつもりでも、僕の頭は他人の言葉を自然と悪口に変換してしまう。


「……」


 僕を注目しているように感じて、無意味に泣きだしてしまいそうなほどだが、じっと堪える。

 もちろん、他人の悪口の妄想だけでこうなったわけじゃない。

 そもそもは高校の受験に失敗したことが始まりだった。

 その失敗が今でも僕の記憶を蝕んでいるのだ。

 ふとした瞬間に思い出す記憶。

 受験に落ちたことを伝えたときの父の無感情な表情。悲しそうな母の顔。見下すような姉の雰囲気。

 すべては僕の妄想だったけど、僕の記憶にくっきりと跡を残してしまった。


「……」


 今でも僕は過去の妄想を振り払えずにいる。

 やっとの思いで来た学校での生活はいつも机に顔を伏せることから始まる。

 

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