第2話

 彼女の逝去した後、教室は変わることもなく彼女だけが、あの一点に取り残されてしまったようで、どうも僕はやるせなさを感じた。

 ゴールデンウィークが明けて、訃報は直ちに教室、学年全土に知れ渡り、言うまでもなく教職員共々は我々の変に湧き上がった悲観を押さえつけようと、そして彼女の存在を消そうと躍起なっていた気がする。

 最初は彼女がいなくなって前から経年劣化して荒んていた机が一層と哀愁を感じさせるものになってしまい、その上には一本の瓶に一輪の花が添えられているだけの寂しいものだが、それで形式的な哀悼の意でも示していたほうだった。

 それから、彼女の死に周りが慣れてきた頃にはいつの間にか彼女の机は撤去されて、まるで彼女がいなかったかのように教室も整然としてしまっていた。

 彼女との関わり合いがあった俗に言う一軍女子たちも殺伐とした雰囲気を出していたものの、いつの間にか彼女のいないコミュニティで回るようになってしまっている。

 この時、僕は嗚呼、彼女は死んだだけでなく存在として消えてしまったのだとなんとなく落胆とともに、それと同時に僕の中でも踏ん切りがついたのだった。僕も死人をいつまでも思っているのではなく、いい加減いつものように自分のことだけに専念すべきという諦念があった。

 事に発展するまでもう少し経緯を追っていこうと思う。

 死後の数週間もすれば死後の解明はなされる。

 その話は内輪に限らず、学校でも、僕の家族内でも聞くようになっていた。

 僕は何をいまさらと飄々と、そして少しばかりの苛立ちとを合わせ持ちながらも何か行動するわけでもなく、終始自己完結で片がついてしまった。

 僕の中では完全に事後であり、後は適当に時間が処理してくれると思っていた。

 日常に死が隠れているなんて言うのを吹き飛ばすくらいに盲目的に日常を過ごせると思っていた。

 しかし、実際はそうではなかった。

 彼女の死に怒り、この教室のあり様、もといい社会への冷徹さに憤然な態度を示す者がいた。


 ホームルーム、後は難なくやり過ごしたいとあたりは粛々とした姿勢で教室は静かに包まれていた。

 僕はクラスの日誌を仕上げるために、少しばかり担任の話を耳から耳へと聞き流しながらも、頭で何を書くべきかと逡巡をしていた。その間、手持ち無沙汰でシャーペンをクルクルと手の中で回し続けていた。

 そして、声が響いた。

 僕はその声に驚いてペンを自分の手の中から落としてしまい、机をコロコロと流れてゆき、遮蔽物もなく床へと自由落下を始めて、

 ―――声と声の間。息を取るような瞬時の合間に耳朶を打つようなシャーペンが落ちる音が僕の耳膜を揺らした。

「反戦します」

 その声に僕はその声のもとの方へと視線を向けた。

 一人の少女、彼女との同じくらいの年齢の女の子。髪を肩まだ流していた。

 僕はその女学生とは斜め後ろの位置にあるために、顔まで見えなかったが、それでも声音から憤りが声とともに漏れ出ていて、怒っていることだけは分かった。

「西原(さいばら)さん。落ち着こう」と担任の女教師が宥める。

「いえ、私は十二分に落ち着いた上で抗議しようと思うんです」

「そうね。四十川(あいかわ)さんが亡くなってしまったことに心が痛むのね」と同情する文言を吐いた。が、実際彼女ら教師がしたことは同情という情緒的な裁断などではなくて、合理的で事件の早期収束を願んでやまいないようなものだと思っていた。

「心が痛む。笑わせないでください」と彼女は依然として憤懣な態度であった。

 彼女は椅子を引いて前へと歩き出した。その一足一足には固唾を飲むように静かに見守っている。

 担任を差し置いて、教壇の前に立直して、公に見られる彼女が僕の視界に入り盛大に声を上げる。

「我々学生の統率は我々学生が担うべきであり、教師たる偏屈者どもに我々の権利を握らすわけにはいかない」

 偏屈者―――。大層な言い回しだと思いながらも、僕は彼女の勇気ある行動に内心拍手を送っていた。

「先生をそんな偏屈者と呼ぶようなことは黙認できませんよ。それに―――」と次の言葉を発する前に合いの手のごとく、すかさず彼女は言葉を加えた。

「教師がやったのは早期にこの騒動を収めることだけでした。それには彼女への憂慮というものがなかったのですか」

「憂慮って―――」

 女教師は何かを言い返すこともなく、黙りこくってしまった。上段している彼女はまさに一人だけ浮いているようでもありながらも人一倍真剣さだけは伝わってくる。

「正当な判断。合理的の思考。資本主義な運営。どれをとっても彼女を救ったことにはなりやしないんですよ」

「そうだけれども、いまさら事を起こしても意味がないでしょ」と再び女教師は彼女を宥めるように言葉を並べ立てる。しかし、その他人行儀、他責思考の考え方には彼女は一層と我慢がならないようで、切れた堪忍袋の緒は芥にでもなったかのように言葉を弾ませる。

「これは我々学生が背負うべきことであり。そこから目をそむけ続けたらまさに今まで変わりませんし、

彼女もうかばれません」と声を大にして話した。

 僕は彼女の講義に噛みつくほどまでに聞き入ってしまっていたために、シャーペンのことなど忘れていた。

 そして、僕の視界には他クラスの担任が闖入者のように移りながらも彼女の下まで歩いてきた。

「すこし、こっちへ来なさい」とその他クラスの男教師は彼女を連れ去ろうとしていた。

 男教師は少し、彼女から視線をそらして一段下に置物のようにぞんざいに立っていた女教師に目配せをした。それに応じるように彼女も会釈をする。

 男教師は西原を連れて教室を後にした。

 まるで嵐のごとく現れた西原は僕にとって何かの兆しを埋め込んでいった。

「・・・、気を取り直してホームルームを終わりにしますと」

 女教師が何事もなかったかのように日直である俺に視線を向ける。

 俺は不意を突かれたかのように一瞬だけ、遅れてしまったがあたりは気にすることもなく僕の号令とともに起立、と礼を行い授業が終わった。

 教室はめいめいの用事で少しあたふたしているようであったが、さっきの彼女の言動に何かが起きるわけでもなく、何事もなかったかのように生徒たちの足は教室から遠のいてしまった。

 俺は落ちたシャーペンを再び握りなおして、日誌の空欄を埋めることに専念した。

 

 結局、ホームルームの一切に関しては触れることなく、一人寂しい教室を後にする。

 日誌を帰しに職員室へと向かうと何か気だるさを感じ、扉を叩くことすらもためらわれた。

 一度挙げた握りこぶしを降ろしてしまい。深呼吸をついた跡に再びドアのノックを試みた。

「失礼します」と平坦な声とともに扉を開いた。

 僕の視線には彼女の姿と悠然と座るさっきの男教師の姿が目に止まったが、それを遮るように担任が横から顔を出して前の光景に蓋をされてしまった。

 臭いものにはなんとやらか・・・。

「ありがとうね。岸峰くん」と言われて思わず、我に返った。

「あ、はい」と我ながらなんともつまらない返し方だ。彼女に触発されたわけじゃないけど、何か気の利いたいや、アイロニーな言葉でも言えたほうが面白かったかもしれない。

「少しいい?」と担任はこちらの予定を聞いてくる。

「別に少し程度だったら」というと彼女は僕を廊下へと追いやった。

 職員室内では出来ない話。立ち入った話ということなのだろうか。

「岸峰くんは四十川さんの件についてはどうかな、と思って」

 その話かと僕は得心がいって返事をする。

「別に僕は西原さんみたいなことは思ってもいませんよ」

「そうね。西原さん・・・ね・・・」

 気まずい雰囲気が漂う。どうやら彼女が聞きたかったのはそのことではなく、単に僕の精神的負担を気にしてくれていたようだった。

 僕は改まって言い直した。

「四十川さんが死んじゃったことは悲しいですけど、今は踏ん切りがついてますから気にしなくても大丈夫です」と話の方向性を彼女に合わすと、彼女は苦笑いともつかない笑みを浮かべた。

「まだ、心を痛めている子もいるみたいだから、教師側としても十分に注意を払わないといけないから・・・」と彼女言葉はさっきの西原の言い分に対しての正当性を見せるものだったのか。それとも僕が触発されて変なことを言いふらすじゃないということへの注意喚起なのかは分からないが、それでも教師たちも彼女の死に対してはかなり気を巡らせているようであった。

「先生も心配で気をもんで病まないようにしてくださいよ」と僕はふと思ったことを口にしただけなのだが、彼女は少しうれしそうだった。

「意外と岸峰くんはいい人だったんですね」と彼女の心外な言葉には息をつまらせた。

 教師からも俺は憮然な生徒だと思われていたようだ。

「じゃあ、僕はこれで失礼します」と言葉を残してその場を去った。

 置いてきてしまった鞄を教室に取りに戻り、昇降口へと向かうとそこに西原のまさに帰宅に向かう姿があった。

 僕はすのこに足を乗っけると、カタンとすのこの足が均衡の取れていないためにタップダンスを踊るかのように音を出す。

 彼女との視線を合いたくもないのに合ったしまった。しかし、彼女は僕のことを認知しているようでもなく、上履きを靴へと履き替え直す。

「あなた、四十川さんのことどう思ってるの」

「どうって・・・」

 僕は下駄箱の小扉を開いて中から靴を取り出した。

「無念な死だったって思うよ」

「そう・・・。無念な死ね・・・」

 彼女にとってはあまり良い返事ではなかったようだ。

「けど、彼女の席を教室から出しちゃったのは少しぞんざいな扱いだったと思うよ」

「そう。分かった」

 彼女は期待を裏切られたような思いだったのか憮然とした言葉で僕よりも早い足取りで昇降口を出ていってしまった。

 

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