魔王

 妖気は消えない。寧ろ進むに連れて禍々しい妖気が瘴気となって、肌をひりつかせる。


 ノートが不安気な顔つきで俺を見てくる。


「おしっこか?」

「そっ、そう言うところだんべ!? ルカはデリカシーが無いって言われるしょや。 私がいつもおしっこ我慢してるみたいだんべ!?」

「違うのか?」

「ち、違わなくは……むぅ〜!」


 俺は頬を膨らませるノートの頭を撫でると、屈んで背中を差し出す。


「ん!」

「ん♡」


 嬉々として背中に抱きついてくる。俺も何だかんだで、ノートを甘やかしてしまうのも悪いのかも知れない。しかし、ノートを守るにはこれが一番なのも確かだ。


 さあ、ここに来た目的を果たそう。テネブルは聖典を持っていなかった。となると持っているのは天帝と言う事だろう。仮に持っていなければそれまでだ。


 マグタラ大聖堂の最深部に祭壇の間があり、そこから教皇のものであろう妖気が漂ってくる。


 ……暗い。


 テネブルは闇の使い手だったが、天帝は闇そのものか?

 祭壇の間は天井がステンドクラスになっているために、日中は明るい筈だ。仮に夜になったとしても精霊灯が光って、少なくとも薄っすらと明るい筈なのだ。それが。


 暗い。


 祭壇に誰か座っているのが、かろうじて窺える。間違いなく天帝、その人だろう。


 カチ、カチ、カチ、爪で祭壇を小突く音だけが反響して聴こえてくる。


 前回、天帝は御簾の向こう側に居て、顔を見せることはなかった。別に興味もなかったが、祭壇の上に腰掛けている天帝とやらは、俺とさほど変わらないくらいの青年に見える。


 カチ、カチ、カチ……


「ふむ、テネブルは死んだか……まあよい。発言を許そう、名を申せ?」


 興味が無ければ名も覚えない、そう言うことか。


「俺は、まはたーとん、だ!」

「私は、オシッコ、したい!」


 ……おい? 俺がフザケたのは認める。ノート、お前のはおフザケでも何でもなくないか?と言う言葉を飲み込んだ。


 カチカチと鳴っていた音が止んだ。


「そうか。コレを求めて来たのであろう。朕にはもう用はない、そなたらにくれてやろう」


 天帝はそう言うと、手元にあった聖典をこちらバサリ、放り投げた。

 俺はそれを拾い上げ、少し確認するとノートに手渡した。


「テネブルが死んだのは、あやつの力不足である。よって、それを咎めることはせぬ」


 ……何が言いたいんだ?


「そなたら、朕の配下にならんか?」

「断る!」

「……即答であるな。少しは考えてみてはどうだ?」

「ひとつも興味が湧かねえからな?」

「左様か、ならば用はない。死ぬがよかろう……」


 ゾゾゾ……と空気が引っ張られる。ノートの腕の力が強くなる。俺は聖剣を構えた。


 気を抜けない。


「剣気・剣鬼!」


 肌が赤色化して、空気が硬直する。天帝がどんな奴なのか得体が知れないので、迂闊に手を出せない。


 天帝がノソリ、と祭壇を降りた。そしてブワッ、と向かい風。


──ビキ! 凄い……凄い威圧、いや、覇気か!? マリアに貰ったマジックガードの指輪が砕けた。


「ふふ、マジックアイテムか……」


 俺の力は剣聖のソレに近い筈だ。強者であるならばそれくらいは解る筈だ。しかし天帝はそれに臆すること無く対峙してくる。


 圧倒的強者の風格と言うのだろうか。ノートを背負ったままで大丈夫だろうか?


「ノート……」

「ん、大丈夫だよ」

「そうか」

「ん!」


 大丈夫だ、やれる!


 と、思った次の瞬間。


「アイフヘモヲスシ!」


 俺の首は切断されていた。


 ノートのお陰で直ぐに繋がったものの、思考が追いつかない。何なんだ天帝こいつ!?


「剣気・覇眼!」


 ひとつも視えなかった。捉えられなかった。つまり避けられない。もしノートがヤられたら詰みだ。それだけは避けなければならない。


「ノート、やっぱり離れてろ! 回復は任せる!」

「……大丈夫?」

「……やってみる!!」

「……解った。ルカは私が死なせない!」

「ノートは俺が死なせない!」


 ノートの聖典が光る。


 同時に俺の聖剣も光る。


「何だ!?」

「何だべ?」


 ぬらり、天帝が身体に纏った影に揺らいで見える。


「ほう……久しぶりに見たな、聖剣の輝き。朕が手にした頃はそれくらい輝いていたものだ。しかしまあ、今の私にはどうでも良い話だ。大人しく死ぬがいい」


──キン!


 聖剣で弾く。辛うじて視えた。


 ノートは祭壇の裏に隠れた。しかし、奴の前では隠れてないに等しい。俺が守らなければ!


「ふふふ。さあ、聖剣の力を解き放て!その真価を見せてみよ!!」

「何を言ってる?」

「解らぬか?」

「知らねぇっ!」


──ゆらり。避けられた!


 俺の剣鬼の剣戟は奴に届かない。何故だ。何故こんなに遠い? ギルバートの比ではない!!


「ならば解らせてやろう……」

「何を──っ!?」


──ザン!!


 踏み込んだ奴の剣撃は俺には当たらなかった。


 にやり、不気味に嗤う天帝。


──ビキッ……。


 背後で祭壇が崩れる音……!?


「ノートっ!?」


 祭壇の後ろで真っ赤な血を噴き出して倒れるノートが視界に入る。


 直ぐに駆け寄るが、ノートは首元から下腹にかけてスッパリと斬られて声も出ない。


「回復魔法が使えない……のか」


 ノートを守れなかった。守れなかった。守れなかったんだ俺。ノートが死んでしまう。死んでしまう。死なせたくない!


 くそう……。


 死にそうなのに……。


「……何で笑ってんだよ、ノート?」

「る、かぁ……すき♡」

「バカノートっっ!!」


 死なせるもんか、死なせるもんか、死なせるもんか!!生きろ、生きろ、生きろ!!


「生きろノート!! 剣気・息吹!!」


 俺は聖剣に剣気を流し込むと、オーディンの瞳のがギラリ、光る。そのまま聖剣が聖典に引き寄せられる様に、聖典ごとノートの胸に聖剣を突き立てた。聖典のカーバンクルの宝珠が、眩しいくらいの輝きを放ち、二つの光がノートを包み込む。


 俺は有りっ丈の剣気を聖剣へと注ぎ込む。ノートのパックリ裂けた傷がみるみる癒えて、真っ白になっていたノートの顔色が少しづつ良くなる。しかし、ノートが握っていた賢者の宝珠にピシ、とヒビが入り砕け散った。


「ノート!?」

「……」


 返事はない、が、息はしているようだ。


 良かった。いや、良くない! 全然良くない!!


 俺はノートを一度殺したも同然だ!


 もっと強くならなくちゃ!


 もっと強くなりたい!


 強くなりたい!


 父ちゃん!


 母ちゃん!


 俺に力を!!


 聖剣に嵌められたオーディンの瞳がメラッ、と燃える。


 俺は聖剣をノートから抜き、滴る血を舐めた。


 鉄臭い血の味がする。


 ノートが俺の中に入ってくる。そうだ。入れ。俺の中に。入れ。血となり。肉となり。俺の一部に。ノートとひとつに。


 絶対に負けねぇ!


「うおおおおおおおおお!!」


──バチッ! 身体に紫電が疾走る。


 天帝が目を丸くして俺を見ている。


「聖剣と聖典は力を戻した……そしてその角。よかろう、面白い……ふははははははは!」


──バリリッ! 天帝も同じく帯電したかの様に紫電を纏う。


「そうか、貴様はヘレンの息子、即ち、朕のむすこであったか!」

「うっせえ! ヘレンは母ちゃんだが、俺の父ちゃんはアルマンド・シグルズ・ベオウルフひとりだけだ!! お前なんか知らねえ!」

「ふふふ、まあよい。かかって来ぬなら、こちらから行くぞ?」


 ぶわり、天帝の妖気が濃く、大きく膨らむ。


──バリッ! 天帝が消える。


 俺の眼前に天帝。バチッ、 弾ける様に飛ばされる俺。バリッ、背後に天帝。バチッ、また弾かれ、バチバチッ、打ち上げられ、バリリ、叩き落される。


 ドンッ、地面に減り込む俺。


「朕の見込み違い……か」

「……」

「……ならば死ぬがよい」


──バチバチッ! 天帝が消える。


 地面突き刺さった俺の眼前を紫電が疾走る。


 血飛沫。

 

 返り血が俺の顔に飛散する。見ると天帝が斬り刻まれてゆく。バリリッ、と天帝が消えたと思えば、バチッ、血飛沫を噴き出して現れる。

 天帝は自分の血糊をペロリ、ひと舐めしてこちらを見る。


「ふふふ、血だ。自分の血を見るのは久方振りである。しかし……」


 天帝がにやりと嗤う。


 同時にブワッと背中から漆黒が噴き出して、大きな翼の様なものが現れた。


 天帝は片腕を前に出して大きく指を広げ、その先に漆黒が渦巻くように集結して、横に薄く棚引いてゆく。徐ろに手を握るとそこに黒光りした一振りの剣が現れた。


 ブン、一振りして構える。


「暗黒剣・常闇」


 ボコ、俺は減り込んだ地面から脚を抜き出し、そこに対峙する。


「剣神と言う言葉を知っているか?」


 ……剣神。剣の神……だと?


「知らん」


 そう答えると天帝はコクリ、頷いて。


「さもありなん」


 とだけ言って、剣を横に振った。


──ン……。


 俺は咄嗟に聖剣で剣気の幕を張ったが……。


──ゴゴゴ……ガラガラガラドドドド…


 見渡す全てが斬られた。斬られていないのは俺の背後だけの様だ。


 ぞくり、背中に冷たい何かが走り抜けた。


「ふふふ、防げたか、見事だ」


 手足が震える。どうやら俺は奴に恐怖を感じているようだ。おかげで……。


「何故笑っておる?」

「さあな? 止まんねえんだ、笑いがよお!?」


 俺の眼の前に俺よりも強い何かが存在している。それも神を冠する存在、剣神とやらだ。


「俺は今、神を相手にしているのか?」

「ふふ、違うな? しかし──」


 奴の身体が宙に浮き、剣を高く掲げた。

 

「──似たようなものだ!」


 奴の背後に空を覆い尽くすほどの、無数の闇が生まれた。


 「地獄門・剣雨!」


 奴が剣をこちらに向けると、ズズズ、闇から漆黒の剣が顔を出し、ビュン、一斉に降って来た。


 剣気・三千大千世界!


 俺とノートを覆うように剣戟の幕を張った。空から無数の剣が降り注ぐが、俺達の周囲に来ると千々に霧散する。


 しかし降り注ぐ。降り注ぐ。降り注ぐ。止むことのない剣の雨。


「さて、その笑いがいつまで続くかな?」


 奴が次の動きを見せる。高く振りかざした剣を下ろす。


「地獄門・断頭台ギロチン!」


──ズバン! 地面に巨大な溝が出来るほどの斬撃。


 上空で透かした顔して剣を降らせ続け、無慈悲な斬撃ギロチンを放って来る。


 大聖堂は跡形も無く倒壊し、斬り刻まれ、粉微塵と化してゆく。

 俺とノートを中心に放射状に溝が刻まれ、湖の水が流れ込み、足場が無くなってくるほどだ。


 なるほど、人知を超えている。奴の懐の奥が窺い知れない。そして一方的で、反撃の余地がない。


 確かに神じゃない、あれは悪魔だ。しかし──。


「──よお、当たってねえぞ?」

「ふぬ、貴様が反撃するのを待っておるのだ。それとも降参か?」

「……冗談」


 くそ、笑いが止まんねえ!


「剣気・竜牙!」


 斬撃が奴を目掛けて飛ぶ。しかし、難なく往なす。まあ、そうだろうな。


「遠い。恐ろしく遠い……」

「どうした、絶望したか?」

「へへ……へへへ……」

「……狂ったか?」

「嬉しくってたまんねえんだ! まだ高みがあるって事がっ!!」


 ふぅ、息を吐き、目を瞑る。


 身体中から剣気が溢れ出し、それが収束してゆき、ぶわっと髪が逆立つ。身体の赤みも薄れてゆき、うっすら光を纏う。


 ゆっくりと目を開ける。


 虹彩の色が虹を散りばめた様な、極彩色の光を放つ。


「……ほう。貴様、たった一代で覚醒に至れるとは見事!」


 俺が父ちゃんと帝国から脱出する際に感じた俺自身の内なる力。その解放条件はずっと解らなかったが、死を間近に感じる今なら手に取るように解る。


 覚醒? よく解らんが気分が良い。今なら奴と遣り合える気がする。バチバチッ、身体中をプラズマが駆け巡る。まるで身体がプラズマそのものだ。


 スッ、俺は聖剣を構えた。

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