第31話 甘噛み

 由羽愛ゆうあは全身をピクピクと痙攣させている。

 下顎が吹き飛ばされていて、呼吸はなんとかしているようだが、息を吐くたびに血がブシュッ、ブシュッと吐き出されていた。

 これはまずい、配信していい内容じゃない。

 光希はタブレットを操作してドローンのカメラをオフにする。


「おいツバキ、これはいったいどういうことなんだ? なぜ由羽愛ゆうあは一人で突っ込んだ!?」

「それは私の責任じゃないよ。この子が自分で判断してあのモンスターを追いかけていったんだ。それより、黙っていてくれ。私は魔女だから治癒魔法も使えるが、今はこんな薄い霊体だ、そうもいかない。この子自身が自分で治癒するしかない」


 そうはいっても、と光希は思った。

 ダンジョン内では人工的な火薬や電気が使えなくなる代わりに、人間はスキルや魔法を使える。

 魔法戦士である光希は攻撃魔法を使えるし、そして聖剣士である由羽愛ゆうあは治癒魔法が使える。

 だが。

 この世界において、魔法というものは必ず詠唱を必要とするものなのだ。

 つまり、発声しないとその効果を発揮できない。


 今、由羽愛ゆうあはとても魔法の詠唱ができる状態にはない――。


「大丈夫さ。この子には特別なスキルがあるじゃないか。さて、教えてやるか」


 ツバキはそう言って、横たわっている由羽愛ゆうあの耳たぶを触った。


由羽愛ゆうあ、起きろ、起きなさい。私だ、ツバキだ。今お前の深層心理に直接話しかけている。ただそのまま聞きな。今、お前の身体は損傷していて死にかけている。自分で自分に治癒魔法をかけるんだ」


 由羽愛ゆうあはいまだ血とともに苦しげな息を吐いている。

 聞こえているようには見えない。


「大丈夫さ、聞こえている。人間は、魂が本体なんだ。その魂に私は語りかけている。いいかい、由羽愛ゆうあ。魔法の真髄を教えてあげよう。まず、自分の心と身体を引き離すんだ。身体の痛みは心を蝕む。だから、自分の魂が自分の身体を上から見ているところを想像してごらん」


 そんなことを言いながらツバキは由羽愛ゆうあの耳たぶを優しくこすっている。


 ツバキの声も表情も柔らかい。

 まるで自分の子どもに語りかけている母親のようだった。

 いや、ツバキは由羽愛ゆうあが妹に似ていると言っていた。

 すると、母親というよりも姉の顔というべきだろうか。

 

 気のせいか、由羽愛ゆうあの呼吸が少し落ち着いたように見えた。


「そう、いい子だ。由羽愛ゆうあ、君はいい子だ。魂が汚れていないし、将来自分で自分のことを尊敬できる、素敵な女性になれるよ、私のようにね。さあ、離れたところから今度は自分の身体を操縦するんだ。自分の左の手のひらがみえるかい?」


 ツバキの言葉に、由羽愛ゆうあは横になったまま手のひらを上に向けた。


「ふふ、ずっと剣の稽古をしてきたんだね、すごいマメだ。まだ小さいのにかわいそうに。いままでよく頑張ってきたね。偉いよ、君は。偉い子だ。さあ、手のひらに集中して。力まずに、リラックスして。いつものように魔法副唇を開くんだ」


 魔法副唇。

 それこそが由羽愛ゆうあの特異な固有スキルである。

 

 今までにもその固有スキルを見せたことがる。


 手のひらにもう一つの口を作り出し、本来の自分の声とは別の詠唱を行えるのだ。


「いいかい、由羽愛ゆうあ。魔法副唇をゆっくりと開きな」


 すると、由羽愛ゆうあの手のひらの皮膚が歪んでゆっくりと裂けていく。

 ぷっくりとした唇、白い歯。

 もうひとつの口が由羽愛ゆうあの左手に形作られていった。


「いい子だ。きれいな副唇だ。かわいいよ。最高にかわいい。君は素敵な女の子だね。さっきの衝撃で君は内蔵も損傷している。特に肺だ。まずは、そこに治癒魔法をかけるんだ。一番得意なのでいい」


 すると、由羽愛ゆうあの左手の唇がゆっくりと魔法の詠唱を始めた。


「かけまくもかしこきおおみかみ……天つ神、国つ神、八百万の神にかしこみかしこみももうす。血は不浄なり……穢れなり……我が身の不浄を浄め給え……傷を癒やし健やかなる姿をおおみかみの光によって照らし出し給え……『神癒ノ禊』!」


 手のひらの唇が詠唱を終えると、柔らかな光が由羽愛ゆうあの全身を包む。


「いい子だ、次は自分の顎だよ……元通りにするだんぞ? 君はそのままでも可愛いんだから、顎を細くしてやろうなんて考えちゃ駄目だよ、ふふふ。神様も怒っちゃうからね」


 そんな冗談を交えながらも、ツバキは由羽愛ゆうあの耳たぶを優しく撫でている。


 由羽愛ゆうあの顔がまたも光りに包まれ、破壊されていた顎が再生していく。


 見た目にはすっかり元通りだ。


「おい光希、この子を抱き起こしてやれ」


 ツバキの言葉に従って光希は由羽愛ゆうあの上半身を起こす。

 するとツバキは由羽愛ゆうあの耳にぴったりと唇をつけた。

 そしてその耳たぶをパクリと前歯で甘噛みした。


「うん、おいしい、甘い」

「なにしてるんだ」


 光希が聞くと、


「こうして直接接触して、由羽愛ゆうあが魔力を制御するのを手伝ってやるのさ」


 ツバキは耳たぶを噛んだまま唇で喋った。


「まだ血が足りない。私も手伝ってやるよ、今度は自分の口も一緒に使って治癒魔法をかけるんだ。大丈夫、魔法のコントロールは私がしてやるよ、見本を見せてやるからさ。二つの口で同時に詠唱するんだ。できるよ、私が手伝うんだから。怖くない。ただ、魔力を開放してみな」


 由羽愛ゆうあはまだ目を閉じたまま、自分の本来の口と左手の副唇で同時に魔法の詠唱を始める。


「天に輝く星に届ける、この言葉を。見えなくともそこにある、神聖なる星よ。我が肉体があるべき姿を取り戻し、そなたのように輝けるように力を分け与えよ……」


 今度は先ほどよりも強く眩しい光が光希とツバキの身体ごと由羽愛ゆうあを包みこんだ。


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