5/7 「幻想曲とフーガ」

5.「幻想曲とフーガ」



 それは、


「先生、モーツァルトとバッハはどっちがすごいの?」


 と聞かれた日のことだ。ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト、ヨハン・ゼバスティアン・バッハ。音楽家のフルネームを知っている生徒は意外に少ない。一般人は、と言い換えても良いだろう。


 J・S・バッハと言えば、真っ先に思い浮かぶのは「ブランデンブルク協奏曲」だった。オルガニストを目指していた葉子にとっては、バッハのオルガン作品のほうが親しいのではないか、と思われるかもしれない。しかし、葉子の大学時代の友人は「ブランデンブルク協奏曲」を好んで聴いていた。最初はその良さが分からなかったけれど、葉子は次第にその曲に惹かれるようになっていった。


 今では、バッハと聞けば「ブランデンブルク協奏曲」の甘い旋律だけを思い浮かべる。それはどこかロココ調のようで、バロック時代の音楽としてはふさわしくないようにも思われた。もっとも、この偉大な作曲家の膨大な作品には、様々な技巧や意匠を取り入れた作品が入り乱れているのだけれど。


 そう。そして今、葉子はオルガンの前に座っている。気づまりになった時によくそうするように、服をすべて脱いで下着だけの格好になっていた。身体が内部から火照るような気が、なんとなくしていた。


(本当に、バッハとモーツァルトではどちらがすごいのだろう)


 答えようもない問いに、葉子は振り回される。


 葉子はオルガンの前に座って、「トッカータとフーガ」を弾き始める。そして、「なんとなく違う」と思う。それは今の彼女の気分に合うものではなかった。あの時代、楽器と言えば弦楽器や管楽器、オルガン、そしてピアノではなくてクラヴィーアが主流だった。


 ただし、古い時代の曲を古い時代の楽器で演奏する、というこだわりに葉子はあまり関心を持っていない。ピアノで演奏出来るのであれば、ピアノで演奏してしまえば良い。こういうところも、音楽学校である種の教師たちから嫌われる要因になったところだろう。


 葉子は本棚から様々な楽譜を引っ張り出してくる。ベートーベンでもない。モーツァルトでもない。ましてや、フォーレでもドビュッシーでもラベルでもなかった。オリヴィエ・メシアンやジョン・ケージの楽譜もぱらぱらとめくってみたが、今の彼女の気分に合いそうなものはなかった。そしていつか、譜面を完全に暗記している曲に戻ってしまう。


「トッカータとフーガ」の次には、「幻想曲とフーガ」を弾いた。これもなんとなく違う。そして、「前奏曲とフーガ」。意外なことに、この旋律は今の葉子の気持ちに不思議に合致していた。気づまりな仕事、気づまりな街。バッハは教会に所属して作曲活動をしていたが、中には気乗りのしない仕事もあったのだろう。


(『前奏曲とフーガ』はどうなのだろう?)


 葉子は考える。その時、なぜか家じゅうの物たちが頷いたような気がした。


(えっ?)


 と、葉子は思う。


(物が物を言うはずがない)


 葉子は周囲を見回す。「今のあれは何だったのだろう?」と。


「前奏曲とフーガ」はそれほど長い曲ではない。およそ10分くらいで演奏が終わる。そして、曲の出だしから何かが始まり、そして終えてしまっているような曲だった。「トッカータとフーガ」が驚きをもたらすための曲だとすれば、「前奏曲とフーガ」は落ち着きをもたらすための曲、そういう言い方をすることも出来そうだった。


 そして、また周囲がざわつく。


(いつの間に、この家は幽霊屋敷になってしまったのだろう?)


 葉子は怪訝に思う。もちろん、幽霊や霊魂の存在など葉子は信じてはいない。この家に住んでいても、父親や母親の気配は感じたことがなかった。だから、この異様な気配は葉子の思い過ごしのはずなのだ。

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