2/7 学生時代
2.学生時代
葉子の大学生活は充実していた。親身に相談に乗ってくれる友人が何人もいたし、懇切に指導してくれる教師もいた。彼女はオルガニストになりたいと思っていた。
しかし、彼女の両親に関して言えば、別だった。ピアノやオルガンを習わせたのは教養のためであって、娘を芸術家にするためではない、と思っていた。葉子が大学の音楽講師という「平凡」な仕事についてからも、それは変わらなかった。
葉子の両親が彼女に連絡を取ってくることはなかったし、彼女自身も実家には一度も帰らなかった。普通、娘が東京の大学に進学すれば、親は心配して何かと世話をしたがるものだ。しかし、葉子の両親は年賀状一枚送ってきたこともない。ただ一度、在学中に「母親が病気になった」という手紙を父が送ってきたきりだった。
母の病気は間もなく治癒した。その間も、葉子は実家には帰らなかった。大学に在学中も彼女の経済状態は厳しいものだったし、アルバイトの仕事を放り出して実家に帰るというわけにはいかなかった。母の病状は弟が知らせてよこした。それによれば、命に別状はないし、もうすぐ退院できる、ということだった。
音楽大学という自由な校風のために、葉子はバンドメンバーとして誘われたこともある。キーボーディストが必要だ、ということだった。しかし、彼女自身はクラシックを志向していた。葉子がロックバンドのメンバーに加わることはなかった。それには、作曲の才能が皆無だったことも影響していたかもしれない。決められた通りに楽譜を演奏する、それだけが彼女の才能だった。
大学の講師たちは、そのことが彼女の優れた点でもあるし、劣った点でもあると考えていた。有名な演奏家に例えれば、葉子はマルタ・アルゲリッチのような演奏をした。グレン・グールドのように個性的な演奏を期待していた講師たちはそのことを残念がったし、逆に保守的な教師たちはそれが葉子の美点だと考えていた。
彼女が音楽以外に興味を持ったものは少なかった。ファッション、映画、絵画、文学。そのどれにも葉子は興味を示さなかった。ただし、文学の中でも詩だけはよく読んだ。詩は、文学のなかでもとくに音楽によく似ていた。
(いつか、これらの詩たちにメロディーを付けることが出来れば)
そんな望みは、もし葉子に作曲家としての才能があれば叶っただろう。しかし、彼女には作曲家としての技量が欠けていた。頭の中に思い浮かぶイメージは、既存の曲を聴いたり、その楽譜を見て初めて生まれるものだった。そのイメージが指先に伝わって、彼女は演奏をする。まるで自動人形のように。
彼女の演奏を「神がかっている」と評した者もいたが、たいていの聴衆はがっかりした。それは、葉子の演奏があまりにも譜面通りだったからだ。だから、例えば楽譜の余白を読み取らなくてはいけない、モーリス・ラヴェルのような作曲家の場合、彼の作った曲を演奏することは葉子にとっては苦手だった。
(せめてフォーレやサティ、ドビュッシーのように分かりやすい曲を作ってくれれば)
と、葉子は思う。彼らの曲は譜面だけを見れば演奏出来るのに、同じ時代に生きた音楽家の中でも、ラヴェルの曲だけはどこか違っている。譜面通りに演奏すれば、それはどこか間の抜けたオルゴールか、人形の演奏のように聞こえてしまう。実際、葉子の演奏は「人形による演奏」と呼ばれることが度々あった。
それでも、葉子の学生時代は順調に過ぎていった。複数の奨学金が得られるようになってからは、アルバイトに割く時間を減らして音楽活動に深く打ち込めるようになった。ただそれでも、彼女の作曲技術は向上しなかった。きっと、天性の何かが彼女には欠けていたのだった。
(父や母はわたしにピアノを習わせた)
それは何のためだったのだろうか……と、時折葉子は悩むことがあった。
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