短編 あなたの背中で笑います
ホノスズメ
前編 ともすれば最後
大事な人ほど近くにはいたくない。
私は自分の存在価値とか目的や主義に興味がないけど、はっきりそう思う。
あの人たちは日向で笑っていればいい、それが世の
一人は友、一人は初恋の人。
友はよく笑い、日がなお気楽にしゃべり続ける止まらない
笑顔、しかしそれは嘲笑的ともとられて仕方ないもので、私もそう最初はとらえた。
一文字の糸目に吊り上がった口の両端、これでこんとでも語尾につければ立派な狐人間だ。
自信がなかったのは彼も同じなようで、口端は震えていた。余談だが、私はそういうことにすぐに気づいてしまう。彼と違うことがあるとすれば、彼のような会話への勇気を一歩を、踏めるか否かに違いない。
それは彼の勇気からくるものかどうか再考する必要こそあったが、結果として彼のとった行動に私はふと余裕を取り戻してまだ桜の散っていないことを蕩々と嘆いてみたら、彼が声をうわずらせず静かにそうだねと、案外やさしい声音で答えてくれたのをよく覚えている。
彼はその顔ゆえ友と呼べるまで仲良くなった人はいなかったと言っていた。なにか、私は“友”という存在であればいいのか。であれば他を渡ってくれて構わないと突き放そうかとも思ったが、それは自分も同じであることを悟り、言葉にしなかった。
あまり人間的だった彼に、正直な彼に嫉妬していたのかもしれない。私は口が裂けても言えないだろう、醜顔を自覚したうえで朗らかに言葉をかけることなんて。
その年の秋は嵐の日が多く、高校も休校の日が異例に多かった。そんなある日、彼が川におぼれて死んだという一報が、ちょうど学校で調べ物をしてた私の耳に入った。意外ではないし、驚きもそこまで……。
ただ、手に持っていた本がやけにずっしりと重く、あわただしく伝えに来た男子生徒がうっとうしくて仕方なかった。祈りさえ邪魔されてしまうのか、とことんついていない日を雨粒が打ちつける窓のまえから静かに呪った。
笑顔とはこの世で最も苦しんでいる動物が生み出したらしい。この論に従えば、彼が笑顔が外れない鉄仮面であった理由にも納得がいく。
私が動けたのは終業の予鈴が鳴ったおかげで、もしかするとあれがなければ私は一生そこで像となって天に呪詛をつぶやき続けていたことだろう。慰霊碑ではなく、負の遺産として。
葬式は身内で行われたそうで、二週間もたてばみな彼のことを記憶から薄れさせていった。彼の席はなくなり、あったはずのそこはもはや無い方が自然であった。
私は彼が好まれた人間でないことを知っていた。地獄耳はなんでもひろい集めて、そらしたい現実を無残になんどもつきたててくる。陰口を聞いたのは、一度や二度じゃない。それを彼が知らないわけもなく、むしろ私より耳ざとく聞いていたのかもしれない。カクテルパーティ効果も負にはたらくという実例に外ならないのだ。
そんな些事にしか思考がゆかない私も同様に彼を追い詰めた一因かもしれない。環境素因に注目すればあるいはそれも確たる事実として採用すべきだ。なにもしなかった空気の罪として、三十人を超える犯人名の記載欄に。
私は特段彼に感謝していたわけでもない。彼が自殺か否かなど起こってしまえばすべて同じ、結局彼の遺体も拝めずに火葬を迎えて真実も尋ね損ねた。
その冬はとなりが寒かった。うるさいあいつがいない。それだけで無人のプラットフォームはより厳冬の猛威を私に知らしめる。いつか彼の、ほんとうに近しい人がわ私たちを殺すかもしれない。彼と心を通わせた誰かが、理に沿って私達を濁流の中につき落とすならば座して待つ必要があるかもしれない。いや、ある。
それはその人しだいだ。そんないつかを安んじることも杞憂だと笑い飛ばすのはお勧めしないが、そうしたクラスメイトの誰かはまた次の冬で刺殺されたそうな。
さて、私の友は恐ろしく美しい笑みを絶対にとりさることはなかった。あれが生という地獄をもがく活き笑顔なら私が魅せられたのも納得がいく。
彼の墓標の前に立ち、細やかなカモミールを手にして私は問うた。
「聞いていたのかい
空の涙は彼の墓を洗い流す。私はその花を台前の水たまりに置き、墓碑によりかかって西あかねの曇天を見送った。
高校三年の八月二十九日、私以外のあのクラスに属していた最後の生徒が事故死した日である。
————望むべくしてある、望まずしてあらず————
口から漏れ出でる短文は、私の心を閉じた。
私はやはり彼と交わるべきではなかった。魂の絶叫を無視した私が悟るのはもう少しのちのことだったのだから。
私は彼と離れたい、なぜなら彼はどうしようもなく人間であったのだから、私という利己的生物へ情を寄せることなどしなければよかった。それだけは彼を嫌悪するたった一つの邪心である。
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