回想日記

海乃マリー

第1話 傍観者の罪悪感

 私が高校生の時の出来事だ。

 学校帰りバスに乗っていた時のことだった。私は左側の一番前の席に座っていた。そこは座席の位置が高くて、前面の窓からは前の様子が見渡せた。乗客の数は疎らで立っている人がいるとしても一人か二人ぐらいだったと思う。


 駅から発車して間もなくのことだ。進行方向左側には大きなショッピング施設がいくつかあり、人通りも多かった。信号のない横断歩道を渡る人達を待つ間、私の乗っているバスは停車していた。


 私は特に何も考えず窓の外を見ていた。すると左側から小さな男の子が歩いてきて横断歩道の前で止まったように見えた。


 私は声を上げたほうがいいのか迷った。


 バスの運転手はその男の子のことを気付いているだろうか?

 もしかして、ちょうど死角ではないだろうか?

 でもまさか気付いてないはずないよね?

 運転手に気付かない部分があるはずないよね?

 ほんの一瞬の間に様々な思考が錯綜し、私は声を上げるのを躊躇した。


 そして、私は少し遅れたタイミングで

 「危ない!!」

 と叫んだ。


 そのタイミングは男の子とぶつかるのと同時だった。


 バスはゆっくり発進していて、すぐに急ブレーキを踏んだので、大事には至らなかった。もちろん命に別状はなかった。


 でも、私の心はとんでもなく動揺していた。

 男の子があそこにいると気付いていたのに、どうしてすぐに言わなかったんだろう。

 今回は大事故は免れたけれど、最悪の場合、あの子どもは亡くなっていたかもしれないのだ。


 運転手が気付いていないこともあって

 他の人も気付いていないこともあって

 自分一人だけが気付いていることがあるんだ。


 私は大声で叫んだ時に「そんなこと分かってますよ」と運転手に思われるのが怖かった。

 あんたみたいな高校生にわざわざそんなこと指摘されなくても分かってます、私のこと馬鹿にしてるんですか、余計なお節介ですよ、と思われるのが怖かった。

 大声で叫んで他の乗客に「あの人何言ってるの?」と見られるのも怖かった。


 でも、自分を守りたいが為に声をあげられなかった自分が情けなかった。


 本当は、大声をあげてそれが何かの間違いだったとしても、

「あ、すみません、間違えました」

 でいいじゃないかと思う。

 私が恥ずかしいだけで済めばそれで良かったんだ。それに咄嗟に安全の為に起こした行動は、恥ずかしいことでも何でもないはずなのに。


 その時に思った。緊急時で咄嗟の判断が求められるときは躊躇せずに行動すべきだ。後から後悔しても遅いことがある。その時にやらないといけないことがある。



 傍観者効果というのがある。


『援助が必要な人の周囲に傍観者が多数存在することによって、本来迅速にとられるべき援助が抑制される』というものだ。

 1964年ニューヨークでこんな事件が起きたそうだ。女性が夜道で乱暴された時に、その叫び声と助けを求める声を大勢の人が耳にしながらも誰も被害者を助けようとせず、結局その女性は殺害された。


 自分一人が見ていて助けなかったら、責任は自分一人が背負うことになるが、多数の人がいる場合責任は分散し自分一人の責任ではなくなると考える『責任の分散』。


 もし行動を起こしても、その結果に対して周囲から否定的な評価が起こるかもしれないと考える『評価懸念』。


 他の人々が積極的に行動しないので、事態は緊急性を要しないと考える『多数の無知』。


 傍観者になってしまうのは、これら三つの原因が考えられる。人間の無意識の集団心理である。



 私のバスの経験も少しこれに当てはまるのだと思う。

 私は運転手が見ているだろうからと『責任の分散』を感じていたし、行動を起こして周囲から否定的な評価が起こると考える『評価懸念』もあった。


 ずっと忘れていたような話だった。

 ずっと忘れていたけど、何年経っても、自分の中には拭いきれない罪悪感がずっとあったんだな、と思った。


 自分だけが気付いていることがあるかもしれない。その時は一瞬の判断が求められるかもしれないし、少しは考える時間があるかもしれない。最近繰り返しこの出来事を思い出してしまったので、書いてみました。

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