第4話

 健児はその後、意識不明の重体で救急車に運ばれた。見たところ銃弾が四発も上半身に撃ち込まれており、普通の人間なら助かりようもない重症を負っていたが、やはり彼は見た目からわかるように普通の人間ではなかった。


 百九十センチの巨漢で、頭は坊主、更には筋骨隆々という逞しい体の彼は、三日の昏睡期間を集中治療室で経た後、奇跡的に目を覚ましたのであった。


 その驚異的な回復力をもってたったの三日で集中治療室を卒業し、今日から六人部屋の病室の一角にあるベッドで寝泊まりをすることとなった。


 今まで親族ではないために面会を拒まれていたこはくは、そうと聞くとようやく水を得た魚のように、炎天下の中を徒歩で見舞いに来たのであった。電車代は高いから、こういうところでも節約である。十八にもなろうかという可憐な都会の女子に、不快な汗を滝のように流させる今の日本社会は酷であった。

 歩くこと数十分。化粧をしてない口元を誤魔化すためのマスクに、不快な熱気がこもりに籠もった頃であった。ようやく目に見えた目的の病院は、二十階建の壮麗な大学病院。こはくは九州は福岡の博多という、腐っても地方都市出身であったが、やはり東京の建物はすべてが桁違いにでかい気がする。


 自動ドアを抜けて待合室の受付に向かう。白いソファーに座っている待合人の中に、老人の姿は見られなかった。少し前では考えられない光景であるが、たぶん、先の戦争で引き起こった生活難にて、日本の老人の大半は家族に見捨てられたのであろう。


 両親は虐待まがいの教育を施してきた、いわゆる毒親であったが、祖父母だけはこはくの味方であった。よく、頬を腫らしてまぶたに涙を浮かべた彼女は、逃げるように大牟田の田園地帯にある祖父母の家へといったものだ。そこが唯一の癒しであり、逃げ場所でもあった。そんな彼女であるから、昨今の「お荷物」というふうに罵られて捨てられる老人を見ていると、心になにか暗いものがさしてくる気がした。


 さて、そんな事を考えながら受付で手続きを済まし、健児がいるという七階へ。白一色の廊下は冷房完備で快適な涼しさ。ただし、この施設の利用費のことを考えると、また違った寒気がするのも事実であった。 


 健児がいる部屋はエレベーターから最も向かい側にある七二二号室で六人部屋。気性の荒い健児のことだから、病み上がり早々に同室の連中の喧嘩なんて……することはないでありう。流石にそんな大事は起こらないはずだ。もちろん、同室の患者が全員日本人であればだが。


 六人部屋の窓側の隅っこに、健児はカーテンも閉めずちょこっと座っていた。陽の光を一身に浴びながら、窓から変わり果てた東京の街を見下ろしていた。



 いかにも物思いにふけってそうな顔であった。こはくからみると、彼の横顔がよく見える。整った顎と高い鼻は、こはくが惚れた理由の第一と言ってよい。

 

 それにしても、呆然としている彼であるから、そっとしてあげるのも愛情であるが、誰よりも健児に対する愛が深いこはくは


「健児!」


 と名前を大きな声で呼んで、まだ病み上がりで患者衣姿の彼の上半身を抱きしめた。


「なんだ……?痛……」


 急に抱きしめられた彼はもちろん困惑するし、銃弾の傷跡が痛むのも事実である。


 こはくは確信していた。きっと自分が誰であるかを健児が知れば、ここまで駆けつけたことをまた「大和撫子の模範」とか奇天烈な事をなんとか言って抱き返してくれる、と。


 突然の抱擁に声を発すことができずにいる健児の状態を悟って、こはくはゆっくりと彼から離れた。自分のはっきりとした姿を見せるために、一歩下がって


「よかった、生きてて」


 と、目を弧の形にして微笑む。目元の化粧は尋常ではないほど気合を入れた彼女であったから、目元の笑み極上の美しさがあっただろう。

 

 そんな彼女をまじまじと見つめた健児は、少し考える間を挟んでから、ようやく低い声で


「夕那(ゆうな)……?夕那じゃないか……なんでここに……?」


 返答した。いかにも頭に「?」マークがデカデカと浮かんでそうな、疑問に満ちた声であった。



 対して、こはくは全身の血が止まった感覚がした。


(知らない女の名前……!)


 世界で最も聞きたくなかった発言である。自分の愛した男が、知らない女の事を口走っている。


 やがてこはくは、怒りで全身の血が逆流するように感じた。こいつは自分のことを清廉な日本男児だとか大口で自称していたのに、本当は不貞のクズ男だったのかと。


「だれ?それ」


 先程までの目は弧を描き、朗らかな明るさで包まれた彼女の目元は、すぐさま影で暗くなった。顔を少し下げたためにできた影なのか、それとも気迫が影を作ったのか。ともかく、彼女から発せられる怒気、というか殺気は異常なもので、辺りの空気に百倍の重力をかけたみたいである。 


 同室の入院患者は隅っこで年頃の女がとてつもない覇気を発していると感じ取ったであろう。目の前で面白そうな修羅場が見れる、といったふうで、みんなチラチラと彼女と目を合わせずにこちらへ注目を向けていた。


 が、その怒りもお構いなく、健児は


「夕那、なんで俺は東京なんかにいるんだ。旭川にいたはずなのに、気づいたらこんなところで、しかも体に銃創まで!何があったんだ!?」

 と、大声でこはくの肩を鷲掴みにした。しかし、それがあまりに力強い握り方だったのであろう。


「いってぇ……!」


 全身に力を入れたがために傷跡が痛んだのか、悶絶の声を上げた。


 だが、こはくはなにも構わない。彼女にとって必要なのは、自分しか見ていない健児であって、他人に下目を使うような体たらくの健児ではなかった。


「誰なのよ!その女!」


 と大きく叫ぶと、相手はまだ包帯に血痕が残っているという重傷なのにも関わらず飛びついた。周りの人間を不快にさせるような金切り声を上げて、全体重をかけながら健児の上半身を押し倒そうとした。


「な、なんだ!夕那!?頭おかしくなったのか!?」


 健児ももちろん抵抗したが、いかんせん重傷上がりの彼であるから、いつものあの怪力ぶりを発揮させることなく


「やめ、やめろ!やめてくれ!」


 と、力なく倒れ込んだ。


 この後、すぐさま異変を聞きつけた看護師が駆けつけて、こはくを剥ぎ取るようにして外に出される。入院部屋の部屋は閉ざされ、看護師数人から引きづられながらも、蹴ったり暴れたりしてなんとか部屋前の扉にしがみつき、ひたすらに


「誰だよ!言えよ!」


 と、甲高い声で鳴き続けた。

 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

地雷✕爆弾〜地雷系女子こはくちゃんと極右系健男児江田島くん〜 @hamazyuntaitei

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ