第27話 氷決のサルッカス


 ちょうどいい。今日はこの川をある程度遡って調査する事にしよう。古来、文明は河川周辺に誕生するものだった。ならば自然、その周辺を調べる事はこの世界の理解につながるはずだ。


 一応、何がいるのか分からない川を直接遡上するのは危険が伴う。ここは川沿いの土手を進むべきだろう。周囲に気を配りながら上陸し、川に沿うようにして、梢に身を隠しながら探索を進める。


 周辺は静かなものだ。私の存在に気が付いた小動物が藪の中から慌てて逃げ出すのが見て取れるが、そのぐらいである。てっきり、虎とか狼とか熊とかいるかと思ったのだが、水中と同じく陸上にもさして大きな生き物はいないようだ。


 正直拍子抜けだが、理屈としてこういう時ほど何かが起きやすい、と自分を戒めて先に進む。


 梢を揺らし、藪を踏みつけて奥へと進む。


 このあたりの木々はあまり背が高くない。プレーリードッグのように背を伸ばすとたやすく木々の上に顔を出す事ができた。南東の方、私がやってきたあたりに目をむけると、規則正しく生えそろった針葉樹林が見て取れる。そしてそれが、線引きされたかのようにあるラインから突然、手の入っていない野生の原生林に切り替わっている。


 なんだ国境線みたいだな、と思って、私は己の発想にぴしりと固まった。


 国境線。


 そういえばここに来てから考えた事がなかったが、ここに住む霊長達はどのぐらいの単位で社会を成立させているのだろう。都市国家のようなものは見たが、総体としての国家はあるのか、政治形態はどうなのか、私は何も知らない。


 世間的には私は湖に新しく現れた怪物でしかないはずだが、それが国境線を越える事で何かしらのトラブルが発生したりしうるのだろうか?


 いや、トラブルは発生“させる”ものか。国家間同士のやりとりなんぞ基本的にいちゃもんと言い掛かりだ。国家間に真の友人などいない、とはよくいったものである。


「グルルル……」


 まあ、越えちゃったもんは仕方ない。そもそもあの街だって、私の事を身内認定なんかしていないだろう。トラブルが起きて迷惑をかけた時はまあその時である、湖近隣を脅かす魔獣として名を轟かすのもまた一興……いや冗談だからね? 


 あまりあれこれ考えすぎても身動きが取れない。そもそもなんで私はスピノサウルスに生まれ変わってまでこんな事をイチイチ考えているのだろう?


「グルルル……」


 しかし、川をそこそこ遡って随分経つが、どうにも気温が低い気がする。首を伸ばして北川の山々を確認するが、黒黒とした枝葉のヴェールで覆われてはいるものの、雪が積もったりとかそういう気配はない。この時点でこれだけ冷え込んでいたら、これより北にいったら山頂とかには雪が積もっていそうなのだが。


 もしかして極端に寒いの、この辺だけなのか? もしかしてそれで生き物があまりいない?


 脚を止めて周囲を観察する。


 冷気はシンシンと沁み込んでくる。見れば足元の地面には霜が張っており、川には小さな氷が混じって流れている。水中には見た感じ、魚一匹いない。


 ここに来てようやく、私は何かおかしいという事に気が付き始めた。


 地形条件を無視して異様に冷え込む冷気。隠れ潜むような生き物たち。線を引いたかのような森林の境界の存在。


「グル……」


 しまった。気が付くのが遅すぎた。


 このあたりは、既に何かしらの領域だ。私は知らず、超常的な何かの縄張りに踏み込んでしまっていたのだ。


 異様に冷え込む冷気はその証。大型の生き物はそれを恐れて近づかないか、あるいは獲物として狩られつくしてしまったのだ。近隣の霊長も、その存在をしっているから一線を引き、そこから先に進出しなかった。


 両足を軽く開いて臨戦態勢を取る。


 間違いない、見られている。姿は見えないが、視線をはっきりと感じる。一度飛竜との激闘を制したせいか、生前であれば一笑に付したであろう第六感的な感覚にビンビン来ている。


 どこだ。そして、一体なんだ?



『へえ。どこの不躾な魔獣が迷い込んできたのかと思ったが、なかなか肝がすわってるじゃないか』



「グェ?」


 はい?


 聞こえてきた、否、頭に響いてきた明瞭な言葉に一瞬戦意を見失う。だが言葉の主はそんな私の様子に構うことなく、ゆっくりと梢を鳴らして森の奥から近づいてきた。


『だがいくらなんでもにぶちんすぎるぜ。この俺……神獣サルッカス様の縄張りにズカズカ踏み込んでおいて、タダで済むと思うなよ?』


 森の奥から現れたのは、一匹の大きな獣。鱗に覆われた青白い肌、太く逞しい四肢に、長く伸びた尾。何より特徴的なのは、前に大きく伸びた顎。


 現れた巨大生物は、その全体的な特徴において前世のある生物に酷似していた。


 いうならば、巨大な鰐。


 それも大型恐竜であるスピノサウルスに匹敵するだろう巨躯だ。


 いや、それはいい。重要ではあるが、もっと大事な事がある。



 コイツは、私に通じる言葉をしゃべっている。



 日本語を発音している訳ではない。聴覚で捉えた奴の声は、低い唸り声のようなものだ。ワニは全く鳴かない訳ではないが寡黙であるという認識なので、それそのものはおかしくはない。おかしいのは、その唸り声の意味合いが日本語として私の脳に伝達されているという事だ。


 自動翻訳とでもいうのだろうか? 表現が難しい。


 一つ言える事は、目の前の相手が何をしゃべっているのか、私にははっきりと伝わっているという事だ。何かしらの幻聴、勘違いも考えたが、それにしてははっきりしすぎている。


『ん、なんだ? 変な顔をして……神獣と遭遇するのは初めてか? そんだけでかくなるまで生きといて世間知らずすぎんだろてめぇ』


「グルルルゥ……! グル、グルルル、グルゥ……!」


 こちらに言葉が通じるならもしかして、とこちらも声を発してコミュニケーションを試みる。神獣がどうの、気になるワードはあったが、まずはこちらに戦闘の意思がない事、会話が通じるかどうかの確認が先だ。


 しかし、結果は残念ながら不発だった。


 ワニ……サルッカスとやらが首を傾げるようにして喉元をかいた。明らかに訝しむ素振りである。


『なんだ、何か言ってるのかお前? いや、悪いけど何言ってるのかさっぱり分からねえ。……うーん、ただの魔獣じゃないのか、お前?』


「グルルルゥ……」


『ま、別にどっちでもいいけどな。サルッカス様の縄張りに土足で踏み込んで、無事で済むと思うんじゃねえぞ』


「グルルル!」


 暴力反対! 慌てて両腕を振って戦意が無い事を示すが、どうにもサルッカスとやらは私を逃すつもりはないようだ。話を聞くに私が知らず彼の縄張りを侵してしまったらしいが、こちらとしても本意ではなかったのだ。必死に意思疎通を試みるが、どうにも相手はすっかりその気らしく、こちらのモーションの意味合いを理解しても牙を収めるつもりはない様子。


『なんだてめえ、そのデカイ図体は飾りか、ぁあん? だったら大人しくしてろよ、腕の一本、二本で見逃してやるからよぅ!』


 地面を揺らして、サルッカスとやらが突進してくる。手足が短いので体高そのものは私より低いが、恐らく質量は同クラスだ。そんな巨大ワニが地を這うように突進し、水面から飛びだす魚のように跳躍した。がばぁ、と口を大きく開いて噛みついてくる。


 バチン! と閉じられる顎の一撃を、際どい所で回避する。勢いのままに通り過ぎていくサルッカスを見送り、回避に十分な距離を取る。


 既に交戦状態に入ってしまってはいるが、こちらとしては本当に敵意はないのだ。なんせ、この世界に来て初めて、意思疎通の可能性がある相手だ。出来れば平穏にこの場を収めたい。


 しかし、その為にはまずあちらに落ち着いてもらう必要があるようだ。


『ちっ、でけぇわりにすばしっこいな、てめえ! 何の魔獣だ?! 飛竜の変異種か何かか?!』


「グルウウゥ!」


 違う、あんなのと一緒にするな! 叫ぶものの残念ながら通じない。


 今度は顎を開いたままにじり寄ってくるサルッカス。やや距離を置いた位置から、さながらフェンシングのようにバチン、バチン! と噛みつきを突き出してくる。それを紙一重でなんとか回避する私。


 飛竜との交戦経験のおかげだろうか、凶悪なニッパーを思わせるサルッカスの咬合を際どく回避しているというのに、心はやけに落ち着いている。修羅場をくぐった経験が、私に自身を与えてくれている。反撃する訳にもいかないが、すでにサルッカスを取り押さえる算段はついている。あとは焦れた相手が大振りの一撃を繰り出してくるのを待つだけだ。


 対してサルッカスは、一方的に攻め立てている筈の自分の攻撃がかすりもしない事に段々イラついてきたようだ。より苛烈に、悪く言えば雑な攻撃を我武者羅に繰り出していく。


『このっ、さっきからちょこまかと……!』


 様子見のような、肉を小さく千切るような攻撃ではらちが明かないとおもったのだろう。大きく勢いをつけて、飛びつくように噛みついてくる。


 待っていたのはその大振りだ。


「ガァッ!」


 バチンッ! と空気を震わせて閉じられる顎を大きくサイドステップで回避する。そしてそのまま一気に近づき、硬くかみ合わされたサルッカスの顎を、枕を抱えるように抱きかかえる。スピノサウルスの特徴でもある発達した前足をぐるりと回し、脇で閉めるようにホールドした。


 頭を抱えられたサルッカスが目を見開く。彼は私のホールドから離れようとジタバタしたが、体格そのものは私の方が上だ。相手の顎を押え込んで離さない。


『く、くそ、顎が……離しやがれ!』


 サルッカスは顎を押し開き私のホールドから抜け出そうとするが、その力は弱弱しい。スピノサウルスのパワーなら余裕で押え込む事が可能だ。


 ワニの仲間の咬合力は前世の現代においてもトップクラスだ。だがしかしその一方で、顎を開く力はあまり強くない。顎の構造が、閉じる方に特化しているため、開くのは苦手なのだ。前世だと蟹の鋏で顎を開けないように挟まれてしまうという珍事を撮影した写真が出回っているため、知っている人は意外と多いかもしれない。


 もちろんサルッカスは鰐そのものではないが、しばらく交戦した限りではやはり噛みつく方に特化しているように見えた為押えに出てみたのだが、どうやらドンピシャのようだ。


 腕の捕縛を振り払えないと見たサルッカスは尻尾を激しく振って体を振り回し、無理やり抜け出そうと暴れだした。それを地面に押さえつけるようにして動きを封じて抑え込みにかかる。パワーでも体格でもこちらが上なので、よほどの事が無ければ取り逃す事は無い。唯一懸念されるのはいわゆるデスロールで捩じり逃げられる事だが、あれは水中だからできる芸当であって、この硬い陸上で拘束を振り払えるほどの高速回転が出来るとは思わない。


 ほぼ詰みだ。


 こちらとしては傷つけるつもりも交戦の意思もないのだ。このまま身動きを封じられて諦めてくれればいいのだが。


 しかしながら、その見込みは相当に甘いものだったと言わざるを得なかった。




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