ウォールランド王国騒乱

第23話 運命の波紋は広がる


 ウォールランド王国は、古くから林業で名を馳せていた国家である。


 国土の大半が山岳地帯であり、大規模な農業が出来ない王国は、その山々に生える良質な木材を輸出する事で外貨を得て、それにより作物を輸入し国民を養ってきた。


 林業というのはなかなか大変な産業でもある。木材の育成には長い時間を有するし、その間ずっと山を管理しなければならない。間伐を行い、木につく虫や病に対策し、迷い込んでくる魔獣を駆除し、違法伐採を監視し、時には攻め込んでくる他国との諍いもある。


 それ故、王国は屈強な軍隊を整備し、何百年もの間、王国とその血肉である山林を守護してきた。


 だがそのウォールランド王国は、今、建国以来最大の危機に見舞われている。


「ご報告します。第三次討伐隊は壊滅。動員された兵士300人のうち、軽傷者138人、重傷者62人、死者……11名に、なります」


「そうか……」


 ウォールランド王国の王城シュルデンガルド、その謁見の間。


 来賓に王国の威を示すために質素ながらも品よく整えられた空間であり、同時に王国の民には誇らしさを喚起する場所ではあったが、しかし今は沈痛な空気に満ちている。


 対面するのは、玉座に座する国王と横に控える大臣、そして下座にて膝をつく兵士である。皆、フサフサとした毛を持ち手足は短く、尻尾は体一つ分ほどもあり背中で旗のように立てられている。“群れ成す人々”とは違い、彼らは統一された種族であり、古来から山林に住まう一族であった。


 とはいえ兵士は自慢の毛皮も見る影もない。戦場から帰参して間もなく、といった汚れ切った鎧と毛皮であり、背を覆うほどの大きな尻尾は常のフワフワを失い、油と汚れで毛が草臥れ切っている。


 敗軍の兵といった有様である。さりとて、謁見の間に相応しくないと咎める者は一人もいない。兵士がいかに過酷な任務から帰還したのか、それをよくわかっているからだ。


 国王は体がすっぽり収まるほどの玉座に深く腰掛けながらも、長い毛の中に埋もれそうな瞳を沈痛そうに細め、絞り出すように問いかけた。


 眼前の兵士はあくまで一兵卒。本来ならばこういった報告は、部隊長の仕事のはずである。


「部隊長は? ガルドルフはどうした?」


「ガルドルフ隊長は、部隊の撤退時殿となり……遺体も、回収できておりませぬ」


「……わかった」


 応える兵士の声にも、王の声にも力はない。


 控える大臣達の間にも不安そうな囁きが廻る。「ガルドルフ隊長ほどの手練れが……歴戦魔獣を仕留めた事のある勇士だぞ」「これで討伐失敗は三度目……これ以上の兵は」「どうなっているのだ。二度目の情報で万全を期したはずだ」


「静かに」


 王の一言で謁見の間に静寂が戻る。王は表向きこれ以上の動揺を見せず、鷹揚に言を下した。


「任務ご苦労だった。下がりたまえ」


「はっ。失礼します!」


 兵士がよろつきながらも退出する。残された王と家臣たちは、互いに顔を見合わせ、肩を落とした。


「……陛下。このままでは……」


「分かっている。ふ、精強で謳われたわが軍の精鋭ですら歯が立たぬとはな。それとも、知らぬうちに驕っていたのか……」


「お言葉でございますが、わが軍の兵士は常日頃から山間にて魔獣どもと戦ってまいりました。小隊長クラスであっても、あの乱れ毛皮と一対一で戦い後れを取る事はありませぬ。我が国の軍は間違いなく精強でございます、今回の魔獣が異常なのです。事実を見誤ってはなりませぬ」


「うむ。そうだな、我が弱気では戦った兵士達に申し訳が付かぬというものだ。忠言ご苦労」


「はっ」


「だが、手をこまねいても居られぬ。宰相、何か腹案はないのか」


 王の呼び声に応えて家臣の一人が前に出る。


 他の家臣が毛皮に包まれた獣人であるのに対し、宰相と呼ばれた男は毛皮の代わりに青い鱗をもった爬虫類風の獣人であった。口は耳元まで裂け、目は金色で瞳孔が縦に裂けている。背も二回り以上高く、他の獣人と同じ仕立ての服に袖を通しているが雰囲気が明らかに違う。


 明らかに浮いている出で立ちであったが、しかしこの場に集った者に彼に隔意を持っている者はいないようだ。それは彼のこれまでの振舞と実績を伺わせる。


「は、陛下。一つは以前申し上げた、他国の力を借りる、というものでございます。我が国の兵力で歯が立たぬのなら、よそから兵力を借りてくるというのも一つの手」


「道理は分かるが、やはり飲めぬ。今回の魔獣は史上類をみないほどの強豪。他国と力を合わせたとしても、その被害は膨大なものになろう。その補填は、助けを請うた我々が払う事になる。国家間に友人はいない。場合によっては魔獣に国を荒らされたままの方がマシ、という事にもなりかねん。やはり飲めぬ」


「わかっております。ですがあくまで一つの案として留めていただければ」


「やれやれ、忠言口に苦しというが、物怖じせずに提言する部下に恵まれて我は幸運だ。して、その言い分だと何か思いついたな?」


「は。とはいいましても、案、というには聊か乱暴なものではございますが」


「申してみよ。今の我は可能性であれば何でも聞くぞ」


「は。安直ではありますが、件の魔獣が怪物であるならば、怪物をぶつけるまででございます。……サハラの湖に、守護竜が現れたという噂はご存知でしょうか?」





 そうして、当の本人が見知らぬ所で、運命が動き出す。





 ぱちり、と目が覚める。


 寝床にしている神殿で、いつものように目を覚ました私は、眠い目をぱちぱちしながら階段を降りる。水で顔を洗い意識をはっきりさせると、ブルブルと震えて水滴を払う。


 見上げる空には、大体いつもと同じ角度の二連太陽。


 時計が無くともいつも起きる時間はだいたい同じだ。基本的に日が沈んだら寝る、という生活を繰り返しているせいだろう。早寝早起き、夜更かし厳禁。残念ながら、今の所夜更けまで夢中になれるような趣味の類は見つけていない。


 早朝の湖面にはまだうっすらと霧が立ち込めている。その霧を抜けて差し込んでくるささやかな朝日を頼りに、静かに揺れる水面に映る我が身を省みる。エメラルドグリーンの鱗には傷一つなく、白くくすんだ戦傷はどこにも見当たらない。


 思い返すのは飛竜との戦いで受けた大小さまざまな傷。特に背中に深く刻まれた爪痕は深く、治癒しても古傷が残るかと思われた。が、実際はこのとおり。傷跡一つ残さず綺麗に治ってしまった。私の記憶だと例え治癒力が旺盛な10代の子供であっても、数ミリを超える傷は白く傷跡が残ってしまうものだったが、まじまじと目を凝らしてみてもやはり僅かな痕跡も見当たらない。実にインチキじみた治癒能力である。これは果たしてスピノサウルスの肉体の特性なのか、あるいは他に外的要因があるのか、そこはよく分からない。


 あの飛竜の戦いの後。私は三日ほど、果物の生る大木の下で食っちゃ寝生活をしていた。戦いの反動で全身の関節がキシキシ痛むし、あの傷だらけの状態で湖に入ったらピラニアシーラカンス達の襲撃を受けるのがもう目に見えている。沖合にでたら今度はザリガニが襲ってくる事も予想にたやすく、飛竜との激闘で大きく消耗した私にそれらを退ける力が無いのは明確だった。さらにいうとなんだか異常に脱力感が強く、なんかもう一歩も動きたくない。


 幸いにして現地住民は復興にいそがしく私に構っているどころではないらしく、監視の目もなく人目を気にする必要はなかった。一応、時折見に来る視線は感じたのだが、しばらくすると消えてしまう。監視という感じではなく、あくまで私がまだそこにいるのか、何しているのかの確認といった感じだった。


 現地住民からすると、不本意ながら飛竜とすったもんだの大立ち回りをした揚げ句、最終的に全身から電撃を放ち始めた巨大怪物である。飛竜に大きな被害を出した上で似たような怪物に、いくら痛手を負っている状態とはいえ手を出したくはない、かといって放置もできない、そんなところだろう。私は理解あるスピノサウルスなので、そのあたりはわかっている。


 だから果物を齧りつつひたすらゴロゴロしていたのだが、異変に気が付いたのは二日目ぐらいからだ。私の体表は激戦で鱗がいくつも引きはがされてボロボロだったのだが、突然白く濁りはじめ、やがて皮膚ごとボロボロと剥離し始めたのだ。重度の皮膚病を思わせる症状に最初こそ慌てたが、剥がれた皮の下からは真新しい傷一つない鱗と皮膚が現れ始めたので二度驚いた。


 いやまあ、トカゲとかカエルも脱皮する、というのは聞いていたし、ニシアフだったか? 脱皮した皮が着ぐるみみたいになるトカゲもみた事があるので、それ自体は不思議ではない。恐竜が脱皮する、という証拠は見つかってはいないが、そもそも化石に残るような代物ではない。だいたい電撃を放つあたり、この肉体は純粋なスピノサウルスではないのは確定している。電気ウナギあたりの遺伝子が混じっているのは間違いなく、脱皮するのは全然不思議でも何でもない。


 不思議ではないが、元哺乳類としては脱皮の経験なぞ無い訳で、最初はおおいに慌てた。なにがどうなってるのかわからず確認のために体を曲げたりこすったりしている内に他の部位の皮もぺりぺり剥がれていき、気が付けばスピノサウルス一匹分の薄皮が剥げた山と、新品同様ツルピカの状態の私がいたわけだ。


 まあ流石に骨とはいかずとも真皮のあたりまでばっくりいってる傷も綺麗に治っていたのはイマイチ納得がいかないが。


 それはともかく、困ったのは脱皮した皮の扱いである。私としてはフケの山が鎮座しているようでなんだか気持ちが落ち着かない。頭の皮とか、まだ形が保たれているので見ていると不安な気持ちになってくる。


 先人に倣って食べて処分しようと思ったのだが、正直美味しいものでもなかった。指とかの角質みたいな感じの触感と味で、ぶっちゃけると無理に食べるとお腹を下しそうである。


 なので、とりあえず湖にぽいした。


 肉ではないがコラーゲンではあるし、魚どもが食べないかなと思っての事である。


 案の定、そのあたりのピラニアシーラカンスが目ざとく反応し、たちまちの内に平らげてしまった。普段何喰ってるか分からないが完食したという事は彼ら的には不味い物ではなかったのだろう。なんかそれ以降、カジキマグロかサメみたいに水面に背びれを出して次を待つようになったし。


 しかしあいつら、あんな大きいディメトロドンみたいな背びれをしてただろうか。私が全部一緒くたにしてただけで場所によって種類が違うのかもしれない。


 まあどうでもいい事だ。大事なのはとにかく傷が綺麗になおったという事である。


 おかげで私は無事に湖を渡り、神殿跡の住処に戻ってきたという訳だ。


 別に陸上での生活が不便だったり不快であった訳ではないが、他人の視線を気にすることなく、壁と天井のある住処、というのはやはり心が落ち着く。願わくばもう少し他所へのアクセスが安全的な意味でよろしかったらよかったのだが。


 さて。


 傷が治った所で、今後どうするかである。


 この肉体のスペックなら日々を漫然と過ごす事も十分可能だが、あの飛竜のような脅威が存在するのなら、のんびりだらけても居られない。流石にあのレベルの怪物がそこらにゴロゴロしているとも思い難いが、実際の所湖の底には10m以上、場合によっては20m級のザリガニが残念ながらゴロゴロしている。あれを考えると、極端なレアケースとは言い難い。


 とにもかくにも、この世界についてもっと知る必要がある。


 しかしながら、最寄の霊長拠点であるあの街にはあまり近づかない方が良いだろう。なんせ、仕方なかったとはいえあまりにも派手に暴れてしまった。下手をすれば私がかけつけるまでに飛竜が出した被害より、私と飛竜の交戦で発生した被害の方が大きい。


 この世界の霊長がそこまで愚かであるとは思わないが、前世の感覚だと発生した被害だけを糾弾して私を害獣認定し、殺処分に動いてもおかしくはない。そうではなくとも、飛竜を討伐してくれた事を踏まえてもなお複雑な感情を抱く者はいるだろう。


 直後はお互いに情報の整理が出来てなかったから見逃されただけで、今のこのこ出て行ったらトラブルになる可能性が高い。何より今まさに復興途中であろう街に、私のような破壊しかできない怪物が訪ねて行っても邪魔になるだけだ。


 となると、他の地域に霊長が居ないか、という事になってくる。思い返せば比較的早期に食料となる果実、続けて現地住民に接触できた事からその近辺ばかりうろつくようになり、湖の探索は全く進んでいなかった事に思い当たる。勿論危険な場所なので比較的安全な範囲でうろつくのは間違ってはいないのだろうが、どちらかというと前世からの、安定を取る傾向が強く出てしまったように思う。


 だが、今は少し事情が異なる。以前はこの湖をむやみやたらと渡るのは非常に危険な行為だったが、私には新しい力がある。

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