第1話 サーシアと悠久の魔法使い
「では、授業を始めようか」
抑揚の少ない穏やかな声が響き、小さな教室の机につく生徒達は、それぞれ返事をしながら筆記具や教本を取り出した。
教壇の簡素な椅子に腰掛けるその人は、カップを口に運びお茶を飲みながら、独りでにパラパラと捲られる第62版『汎用魔法陣大全』に目を通している。
背後の黒板では
つまり、この世界に満ち、魔法を生み出す元素である〈魔素〉を操作し、物体を自由自在に動かしながら寛いでいる訳なのだが──これを真似できる者は世界を探しても数えるほどしか居ないだろう。
実際、上級魔法使いになる試験の一つが、手を使わずに鉛筆で魔法陣を紙に書くという内容なのだ。
魔素の細かな操作というものは、単純なようで一番難しい魔法だと言われている。
この教室に新しく入ったばかりである少女──サーシアは、改めて自分が"悠久の魔法使い"と呼ばれ、この世の魔法の頂にあるとされる存在の目の前に居るのだと、深く実感した。
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時は遡り、サーシアが初めてこの教室がある"庭園"に訪れた時の事。
「"悠久の魔法使い"…いろんな噂はあるけど、一体どんな人なんだろう…」
サーシアは、薄暗い廊下を恐る恐る歩きながら呟いた。
魔法使い達の間で、いや、世界中の人々の中でも知らない者は居ないであろう、"悠久の魔法使い"の存在であるが、その実際の姿を見た者はほとんどいない。
ただ、神代文字と呼ばれる古代語で、〈永い時、終わらないもの〉の意味を冠する"アエタ"の署名がある魔法陣、いくつかの書籍、魔法道具等々は世界中で知られており、いつしか付けられた"悠久"の通り名は広く知れ渡った。
少なくとも数百年以上は存在を確認されている為、その姿は美しい女神のよう、はたまたしわがれた老人だとか、魔法協会が秘匿する大規模な魔法機構であるとか、実は複数の魔法使いが名乗っている世襲制の通り名なのだとか、たくさんの噂がある。
より過激なものだと、理性を持った魔物に違いないなど──とにかく、様々な憶測を呼んでいる。
しかし、入学試験と呼ばれる簡単な問答を終えたサーシアの前に現れたその人を見て、彼女は思わず言葉が漏れてしまった。
「……綺麗…」
肩まで伸びる透き通った銀色の髪は、光に照らされて輝いている。背丈はそこまで高くなく、中性的な顔立ちも相まって、少年と言われても違和感は無い。
しかし、その身に纏う神秘的な雰囲気と、理知的な瞳に湛えた光は、普通の人間が持つような物では無いことも同時に分かる。
そして何より、彼女の特別な眼は、その人から溢れ出る魔素の光に目が眩んでいた。
──今まで会ったどんな偉い魔法使いの人でも、じんわり滲み出るような光しか見えなかったのに…!
それだけで、この人物こそが本物の"悠久の魔法使い"であり、およそ人の理を超えている存在なのだと理解出来てしまった。
「はは、そんな風に褒めて貰ったのは…久しぶりかもしれないね」
「あっ、す、すみません、私!すぐ口に出して!」
慌てて口を押さえ、早速やってしまったと顔を青くするサーシアを見て、彼はにこりと笑う。
「いや、いいんだよ。君のそういう…自分の想いに正直な所が気に入ったからね。全ての問答で、心の内と答えが
「想い…ですか?」
「そう。魔法は、祈りだからね」
サーシアは、ポカンと口を開けて、頭に?を何個も浮かべているような顔をしている。
それを見てまたも小さく笑いながら、彼は口を開いた。
「続きは授業でね。改めて、僕の名前はニルだよ。"悠久"の名を冠した魔法使いと言われているけど…皆は先生と呼んでくれている。君もそうしてくれていい。これからよろしくね、サーシア」
「は、はい!よろしくお願いします!」
「では、僕の教室に入るにあたって…何か質問はあるかな?」
「質問…えっと、うーん、あなたは…何者なんですか?他の人と違い過ぎて…魔素が溢れてるみたいな…?」
さすがの"悠久の魔法使い"も、直球過ぎるサーシアの質問に目を瞬かせた。
「……、多分、みんな一番気になる事だとは思うけど、初対面で直接聞いてきたのは君が初めてだ」
「えっ?!あ、ああぁ…ご、ごめんなさぃ…」
対する彼女は、自分の考え無しに顔を覆って恥じ、消え入るように謝罪を述べる。
ぶつぶつと、「退学、退学になるかも…」と呟いている彼女を見て、ついにニルは声を上げて笑ってしまった。
「く…はは…!すまない、本当に初めてで…!殆どの人は、僕にとっても気を遣ってくるものだから…いや、やっぱり面白いね。君は。君を選んでよかった」
「わ、わた…た、退学になりませんか…?」
「ならないよ、気にしないで」
「あ…、ありがとうございますぅ…」
涙を滲ませながら、顔をくしゃくしゃにして感謝を告げるサーシアに、本当に初めての
気落ちする彼女を励ますように一つ助言を与える事にし、コホンと咳払いをする。
「僕が何者かは、多くの人が求める答えなのだろうけど、残念ながら僕の口から言う事は出来ないんだ。一種の誓約魔法のようなものがあってね…だから、気になる人は自分でその答えに辿り着くようにとだけ言っている。ただ、サーシア。君がこの教室に導かれたのには、ある才能があったからだよ」
「え、えっと…?」
「魔素が視える目を持つのは、ごく限られた魔法使いだけなんだ。その力は、答えを見つける為に重要…かもしれない」
「かもしれない…」
「後は、君の力量次第かな。では、また教室で会おうね。君と学べる事を楽しみにしているよ」
「は、はい!」
そう言って身を翻した後には、魔素の残滓を残して姿を消しているニルに、サーシアは仰天する。
「てっ、転移魔法…?!人には使えないんじゃ…」
「新入生!案内するわ、こっちに来て。他の生徒も紹介するから」
呆気に取られ固まっていたが、声をかけられハッとする。
この教室へは、"庭園"に選ばれないと辿り着く事すら出来ないと言う。たまたま持っていた眼でここに来れた自分とは違い、他の生徒はどんなに優秀な人達なのだろうかと思案する。
緊張もありながら、ぐっと拳を握り、気合を入れ直す。
サーシアは、新しい一歩を踏み出すのだった。
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