第1話 サーシアと悠久の魔法使い


「では、授業を始めようか」


 抑揚の少ない穏やかな声が響き、小さな教室の机につく生徒達は、それぞれ返事をしながら筆記具や教本を取り出した。

 教壇の簡素な椅子に腰掛けるその人は、カップを口に運びお茶を飲みながら、独りでにパラパラと捲られる第62版『汎用魔法陣大全』を眺めている。

 背後の黒板では白墨チョークが数本浮かび上がり、いくつかの魔法陣を同時に書き出していた。

 つまり、対象を動かす魔素の操作を複数行いながら傍目には寛いでいる訳なのだが、これを真似できる者は世界を探してもそう多くなく、ましてや自然な動作として行える者は1人たりとも居ないであろう。


 実際、魔法使いになる試験の一つが、手を使わずに鉛筆で魔法陣を紙に書くという内容なのだ。

 魔素の細かな操作というものは、単純なようで一番難しい要素だと言われている。


 この教室に新しく入ったばかりである少女──サーシアは、改めて自分が"悠久の魔法使い"と呼ばれ、この世の魔法の頂にあるとされる存在の目の前に居るのだと、深く実感した。


 ####


 時は遡り、サーシアが初めてこの教室がある"庭園"に訪れた時の事。


 魔法使い達の間では知らない者のいない"悠久の魔法使い"の名であるが、その実際の姿を見た者はほとんどいない。 


 ただ、神代文字と呼ばれる古代語で〈永い時、終わらないもの〉の意味を冠する"アエタ"の署名がある魔法陣、いくつかの書籍、魔法道具等々は、全て世界中で使われており、いつしか付けられた"悠久"の通り名は広く知れ渡った。

 魔法使いで無い者でさえ馴染みのある有名な名前なのである。


 少なくとも200年以上は存在を確認されている為、その姿はしわがれた老人だとか、現在の魔法では成し得ないとされている不老不死に到達した魔法使いか、あるいは理性を持った魔物であるなど、様々な憶測を呼んでいた。


 しかし、入学試験と呼ばれる簡単な問答を終えたサーシアの前に現れたその人を見た彼女の口からは、思わず言葉が零れていた。


「……綺麗…」


 肩まで伸びた透き通った銀色の髪は、光に照らされて輝いている。背丈はそこまで高くなく、中性的な顔立ちも相まって少年と言われても違和感が無かった。

 しかし、その身に纏う神秘的な雰囲気と、理知的な瞳に湛えた光は、普通の少年が持つような物では無いことも同時に分かる。


「はは、そんな風に褒めて貰ったことはあまり無かったかな」

「あっ、す、すみません、私!」


 慌てて口を押さえ、早速やってしまったと顔を青くするサーシアを見て、彼はくすくすと笑う。


「いや、いいよ。君のその…自分の想いに正直な所が気に入ったからね。あの問答で、心の内と答えがたがわなかった人は、今まで君以外にいなかった。魔法使いには、意外とそういう事も大事なんだ」

「想い…ですか?」

「そう。魔法は…だからね」


 サーシアは、ポカンと口を開けて、頭に?を何個も浮かべているような顔をしている。

 それを見てまたも小さく笑いながら、彼は口を開いた。


「続きは授業でね。改めて、僕は悠久の魔法使い、ニルだよ。…いや、自称している訳ではないのだけど…皆は先生と呼んでくれている。これからよろしくね、サーシア」

「は、はい!よろしくお願いします!」

「では、僕の教室に入るにあたって…何か質問はあるかな?」

「質問…えっと、うーん、先生は…何者なんですか?先生からは、魔素がみたいで…?」


「……、多分、みんな気になる点だとは思うけど、初対面で直接聞いてきたのは君が初めてだ」


「えっ?!あ、ああああぁ…ご、ごめんなさぃ…」


 さすがの"悠久の魔法使い"も、直球過ぎるサーシアに一瞬呆気に取られる。

 対する彼女は、自分の考え無しに顔を覆って恥じ、消え入るように謝罪を述べる。

 ぶつぶつと、「退学、退学になる…」と呟いている彼女を見て、ついにニルは声を上げて笑ってしまった。


「あ、は、あははは…!すまない、本当に初めてで…!皆大体、最初は気を遣うものだから…く、ふふふ…いや、やっぱり面白いね、君は。僕が君たちより永く生きているのは、さすがに分かっていると思うけれど…初めての事っていうのは段々と減ってきてしまうものでね。だから、貴重な経験をありがとう。サーシア」

「わ、わた…た、退学になりませんか…?」

「ならないよ、気にしないで」

「は、はいぃ…!ありがとうございますぅ…」


 涙を滲ませながら、顔をくしゃくしゃにして感謝を告げるサーシアに、ニルは本当に初めての性格タイプの子が来たな、と口に出すとまたこの顔が歪む未来が見えるので、心中で呟いた。

 気落ちする彼女を励ますように一つ助言を与える事にする。


「僕が何者かは、多くの人が求める答えなのだと思うけれど、残念ながら僕の口から言う事は出来ない。一種の制約魔法のようなものがあってね…だから、気になる人は自分でその答えに辿り着くようにとだけ言っている。ただ、サーシア。君がこの教室に導かれた一つの才能に、魔素を感知する能力がある」

「魔素を、感知…?」

「さっき、僕から魔素が溢れていると言ったね。それが視えるのは、限られた魔法使いだけなんだよ。その力は、答えを見つける為に重要…かもしれない」

「かもしれない…」

「後は、君の力量次第かな。では、また教室で会おうね。君と学べる事を楽しみにしているよ」

「は、はい!」


 そう言って身を翻した後には、魔素の残滓を残して姿を消しているニルに、サーシアは仰天する。


「てっ、転移魔法…?人間には使えないんじゃ…」

「新入生!案内するわ、こっちに来て。他の生徒も紹介するから」


 呆気に取られ固まっていたが、声をかけられハッとする。

 この教室へは、"庭園"に選ばれないと辿り着く事すら出来ないと言う。

 サーシアは大して優れた魔法使いとも言えない自分が何故選ばれたのかは、この魔素を見れる眼以外は思い付かないのだが…他の生徒はどんなに優秀な人達なのだろうかと思案する。


 緊張もありながら、あの"悠久の魔法使い"に学べる事の凄さを身に沁みながら、ぐっと拳を握り、気合を入れ直したのだった。

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