第2話 英雄は思い出す
玉座の間の出来事から数日が経ち、ヘクトルは自分の環境にうんざりしていた。
自分の派閥に入れようと、次々とやってくる官僚達。
自分の娘を連れて挨拶に来る貴族達。
唯一まともだったのは、手合わせをしたいという兵士くらいだった。
しかしひっきりなしやってくる客に、いい加減どうにかしたいと思っていた。
「……くだらん」
「おいおい、どうした?」
ヘクトルがカウンター席で呟くと、宿のマスターであるウォレスが反応した。
ヘクトルはこの宿に泊まっており、元兵士のウォレスとは長い付き合いだった。
怪我で引退したウォレスは王都で宿を経営し、こうして元仲間たちが帰ってきたら休めるようにしていた。
今では、その数も大分少なくなってしまったが。
「いや、来る日も来る日も面倒だと思ってな」
「はぁー、贅沢な悩みだこと。まあ、気持ちはわからんでもない……皆、死んでしまった。そんな中、いきなり貴族だ見合いだ昇進だとか……追いつかないわな」
「それもあるが……興味が湧かない」
普通の人なら、それは喜んで受けるべきことだ。
しかし、ヘクトルにとってはそうではなかった。
かといって、自分が何がしたいのかもわからない。
「お前さんの事情は知っているが……月並みな言葉だが、その妹とやらは兄の幸せを願うんじゃないのか?」
「ああ、わかっているさ。そういう優しい子だった。自分がお腹を空かせているのに、他の孤児に自分の食事を渡すような子だった」
「だったら、尚のことだな。俺に一つだけ言えるとしたら……お前まで死んでくれるなよ? これ以上、友を失いたくはない」
軽い口調だが、ヘクトルにはその言葉に込められた気持ちが痛いほどわかった。
自分も戦地で友を失うたびに、どうしようもない感情になったからだ。
「……自暴自棄にならないことは約束する」
「ああ、そうしてくれ。今のお前さんは、生きる意味を失ってそうだからな」
「お前の言う通りだ。だが、実際に何をしていいのかわからん。貴族なんかは御免だし、騎士になるのも違う気がする。かといって、特にやりたいこともない」
国の復興などを手伝うという選択肢もあったが、ヘクトルは戦うことしかできない。
何より見た目がおっかなく、子供や女性には怖がられてしまう。
英雄のイメージを損なうということで、逆に何もしないのがいいくらいだった。
「お前さんは有名だから、下手なことは出来んし難しいところだな。いっそのこと、傭兵家業に戻るとか? 兵士になる前は、そうだっただろう」
「その手も考えてはいた。だが、戦争も終わった。何より、今は稼ぐ理由もない」
「お前さんは女もやらないし、あまり物欲もないしな……やれやれ、困ったもんだ」
大の男二人がそんな会話をしていると……宿の扉が開いて男が入ってきて、真っ直ぐにカウンター席に向かってくる。
そして、そのままヘクトルに話しかけた。
「お話中、失礼……ヘクトル殿でよろしいですか?」
「ええ、ヘクトルで間違いないです」
その銀の鎧と小綺麗な男の顔から、ヘクトルは姿勢を正す。
その銀の鎧を着れるのは、基本的に貴族しかなれない近衛だけだと決まっているからだ。
「なるほど、貴方が……失礼、私は近衛騎士のモルガンと申します。実は、貴方にお尋ねしたいことがあります」
「何でしょうか?」
「その……貴方は戦場で亡くなった兵士達の色々な物を持っているとか」
「ええ、確かに持っています」
ヘクトルは亡き戦友達の武器や荷物などを、いくつか持っていた。
それは形見だったり、自分に使って欲しいと戦友達から送られた物であった。
「それをお渡しして頂きたいのです」
「……理由を伺っても? これは、私が奪ったわけではなく、亡き戦友達に託された物なので」
「ええ、もちろんわかっています。実は、遺族の方達に手紙と共に何か送れないかと思いまして」
その言葉にヘクトルは驚いて目を見開く。
当たり前の話だが彼らには遺族がいるのかと。
ヘクトル自身には身内は既になく、そのことに思い至らなかった。
「そういうことですか。だったら、何も問題はありません。名前を言って頂けたら、その荷物を預けましょう」
「名前……全てを覚えていると?」
「そもそも数はそんなにありませんし、自分と深く関わった者達は覚えています」
共に戦場を駆け抜けた者、時に守り守られた者、同じ釜の飯を食った者など様々だ。
流石に全員は覚えていないが、濃密な時間を過ごした者達は覚えていた。
「それは……お辛いでしょう。しかし、流石は英雄と呼ばれる方です。それでは、名簿をお渡ししますね」
「ええ、確認します」
ヘクトルは名簿を受け取り、その名前をなぞっていく。
そこには知らない名前もあるが、いくつか知っている名前もあった。
「ぱっと見た限り、何人かは持ち物を持ってます」
「それは良かった。では、それを預かっても?」
「ええ、もちろんです。二階の部屋にあるので取ってきます」
そしてヘクトルが席を立とうとすると、それまで黙っていたウォレスが話に割って入る。
「騎士様、すみません」
「いや、構いません。何でしょうか?」
「その遺族の荷物を届ける仕事ですが……こいつに任せてもらえないですか?」
「おい、何を言って……」
ヘクトルはウォレスに何かを言いかけて止まる。
その言葉で、とあることを思い出したからだ。
亡き戦友達の中には、最後の言葉を残した者達がいたことを。
それは自分しか知らず、それを知らせる義務があるのではないかと。
「流石にそれは……きっと、良くない台詞も言われるでしょう」
「ええ、分かってます。ただ、こいつは……」
モルガンの台詞に、ウォレスは拳を握りしめる。
確かに、理不尽な罵詈雑言を言われる可能性は高い。
だが、それでも……ヘクトルには生きる意味が必要だと思った。
そして当のヘクトルは、何かを決意した。
「お二人共、お気遣い痛み入る。だが、私は……その役目を果たしたい。モルガン殿、是非任せて頂きたい」
「ですが……道のりも険しく、国内も安定してません。英雄殿に、これ以上の無茶をさせるのは……」
「いえ、これは私に残された使命かと」
その一歩も引かない目に、モルガンが溜息をつく。
「わかりました。それでは、そのように調整します」
「感謝します。ウォレスもありがとな」
「いいってことよ。んじゃ、一杯やろうぜ。そうだ、騎士様もどうです?」
「……英雄殿と飲める機会などないですから、有り難く頂くとしましょう」
そうして、男三人で乾杯をして酒を飲む。
そしてヘクトルは思った。
最近は、何を食っても飲んでも味がしなかったが……久々に美味い酒を飲んだなと。
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