第48話 来訪の時間

 またしても玄関で立ち止まってしまった。


 昨日と同じように、呆然と立ち尽くすわけにもいかないと意識を切り替え、僕は思い切って中に入り、ソファに倒れ込む。


 すると、図書館からの帰り際にした会話が脳裏をよぎった。


「タレカも変われてると思うよ」


「え?」


「家族のことを克服して、すごくイキイキしてる」


「そうかしら? あまり変わったとも思えないけど」


「うまくいえないけど、タレカはきっと、もっと自分を出してよかったんだよ」


 自分は何を言っていたのだ。


 ハッとして我に返る。


 制服のままぐだぐだしようとしていた自分に気づいて、急いで体を起こす。


 他人の体ならいいじゃないか、と思いそうなところだが、そうはいかない。むしろ、他人の体だからこそテキトーにできない。


 それに、自然と部屋を見回して必要なことを考えているところを思うと、やはり、自制心が鍛えられたような気もする。


 ただ、すぐにはやる気が起きず、リラックスできるように部屋着に着替えて同じようにソファに倒れ込んでいた。


「タレカが見てるわけじゃないのにな」


 ソファでぐだぐだしていることに変わりないが、それでも、以前より気をつかっている気がする。


 最初から一人だったなら、師匠の言葉じゃないが、タレカの体は自分のものだと言わんばかりに、我が物顔で色々していたことだろう。


 僕だって男だ。ああそうだとも。


 だが、今となっては、そんなやましい気持ちが不思議と全く起きないのだ。タレカの肉体に僕の精神がなじんだのか、それとも、タレカのことを以前よりも知ったからか。


「いや、違うか。結局、気にしてないフリをうまいことできたってだけのことなのかもな」


 今日だって、今日までだって、タレカの仕草に散々思考をかき乱されてきた。


 普段ぼっちの僕が常に女子と一緒。しかも、女子の体になってるとか、よくよく考えれば頭がどうにかなりそうじゃないか? いや、なってる。


「ああ。鳥になりたい」


 今度自分の体に戻ったら、一回くらい翼の生えた姿を試してみたいところだ。今はとにかく自由になりたい。


 結局、人間の願望は、そうしたないものねだりへとつながっていくのかもしれない。


「って、僕は本当に何を考えているんだ」


 いつも、一人の時は、自分でも何を考えているのかよくわからなくなることも多いが、今日は特に変だ。


 この部屋には、魔物でも住んでいるのかもしれない。


「だから、なにを馬鹿なことを」


 いや、キセキがあるのだし、否定することでもないか。


 なんて、たわいない思考を遮るために、僕は体を起こしてスマホを起動。


 なんとなく、昨日とはまた別の形でタレカへとアプローチを図る。


 タレカがSNSを今なおやっていることは、半ば当てずっぽうで当ててしまったが、タレカの更新しているSNSが、実際のところなんだったのかは把握していない。見せてもらったわけでもない。


 アプリは色々と入れてみて、登録もしてみたので端から検索してみるが……わからん。


「不明だ。他の高校生たちは何を見てSNSで知ったとか言ってるんだ?」


 多分、ハッシュタグなんだろうけど……。


 なんだか急に時代に取り残されている気がして肌がざわざわしてきた。ひんやりとした感覚が胃の奥の方を支配してくる。


「わからん! 本気でやってるわけでもないだろ」


 過去のタレカは出てきたが、はて、あのファミリーたちは、何を見てタレカの居場所を掴んだのか。


 自分としては、情報収集能力に自信があったのだが、どうやら決してそんなことはなかったらしい。


 別におとなしい人間が勉強もできるわけじゃない。僕の思い上がりだったってことだ。


 ふて寝しようにも眠気は来ない。むしろ頭がさえている。かといって、夕飯という気にもならない。微妙な時間。


 そこで、ピンポーン、とチャイムが鳴った。


 カメラには見覚えのある顔が二つ映り込んでいる。


 タレカの母とタレカの弟。


 厳しい表情のままでカメラのことをにらんでいる。放置しても帰ってくれそうな雰囲気はない。


「出ないとだよな」


 どんな理由になるかわからないけど、通報されたら面倒だ。


「はあ……」


 何度か深呼吸を繰り返してから、通話ボタンを押した。


「は」


「開けなさい!」


 意を決して話しかけると、僕が言い終わるより先に母の方が怒鳴ってきた。


「どうしてここが」


「最初から知っていたのよ。ほら、いいから開けなさい」


「……」


 本当に開けていいのか。僕が勝手にそんなことして……。


「開けろよアネキ。こんなことでご近所さんを巻き込むわけにはいかないだろ」


 サングラス姿の弟くんがカメラを指さしつつ言ってくる。


 それはそうだ。たしかにそうだ。


 だがこれは、想定していたのと逆の事態。タレカのフォローを僕がするために、僕がタレカについていくはずが、タレカのガードがなくなったタイミングで、タレカの家族が家を訪れる。


 どうしたものか……。


「ありがとう」


「待ってろよ」


 少し考えてから、僕はおとなしく玄関ホールのカギを開けた。


 タレカの家庭事情が正確に把握できていない以上、ここで騒ぎになって不利になるのがどちらかわからない。


 さて、と、二人が来る前に何か策を練ろうか、そこまで考えたところで、ガチャガチャ、っと玄関扉を動かす音がした。


 母と弟の二人は、あっという間に部屋までやってきたらしい。


 玄関のカギはいつも閉めている。だからまだ入ってこない。だが、距離としてはもう目と鼻の先。


「ふぅ……」


 もう一度ゆっかりと深呼吸をしてから僕は玄関に向かう。そっとのぞき穴から見えるのは相も変わらぬ母と弟くん。


 さて、どうしようか。いや、やることは決まっている。


 カギを開ける。


 ガタガタガタッ!


 扉はまだ開かない。


 カギを開ける。


 ガタッ!


 扉が開いた。


 その瞬間、僕の意識は途切れた。

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