第8話 着られないなら着せてあげるわよ

 視界を奪われていた僕は、結局されるがまま、タレカにあっちこっち隅々まで洗われてしまった。


 元はと言えばタレカの体なのだから、当然と言えば当然の措置だが、とは言え、高校生にもなって他人に体を洗われるというのは何とも言えない屈辱感でいっぱいだった。


「色んな意味で体が温まったんだが……」


「それはよかったわ」


「よくないだろ!」


 僕の体をもてあそんできたタレカは、なんのことだかわからないという感じで、不思議そうに小首をかしげた。


 ほんと、あっちこっち洗われて、自分のものとは思えない声が漏れるたび、耳まで熱くなったんだよ。あの恥ずかしさったらなかった。


「ドライヤーで髪も乾かしてもらったし、流石にもういいだろ?」


「ダメよ。そのままじゃ風邪ひくわ」


「パジャマくらい一人で着れるよ」


「じゃあ、はい」


 手渡された寝間着を見て、僕は思わず固まってしまった。


 確かにリラックスできそうな肩肘張らない、柔らかい素材の衣服だった。だがなんだろう、ものすごくデザインが可愛らしい。デフォルメされた動物がプリントされたそれは、本当に普段使いされているのだろうか。


 じっとタレカの方を見ると、ニヤニヤとした顔で僕のことを見てきていた。


 こいつ。わざとこんな、ザ・女の子みたいなパジャマを選んだな。他にダッサいのもあったろうに。


「あら。やっぱり着られないんじゃない。仕方ないわね。お姉ちゃんが着せてあげるわよ。メイトはいつまで経っても甘えんぼさんなんだから」


「おい待て。黙ってるからって勝手に話を進めるんじゃない!」


 しかし、この家での立ち回りは、タレカの方が一枚も二枚も上手なようで、寝間着は即座に奪われてしまった。


「くっ」


「ほら、寝巻きを渡したってことは私に着せてほしいんでしょ? なら、お姉ちゃんお願いって言ってみなさい? ちゃあんと私が着せてあげるわよ?」


「そんなプレイには屈しない。って、なんで僕がこんな立場なんだよ」


「妹だからでしょ」


「妹をなんだと思ってるんだこいつ」


 警戒しながら腕を広げるも、タレカはまた、柔和なほほえみを浮かべて僕の方へと優しく近づいてくる。


「ふっ。また耳を狙うつもりだな? だが、二度同じ手は食らわないぜ」


 僕は耳を覆った。これくらいのハンデ、受け入れなきゃ勝ち目はねぇ。


 そもそも、弱点さらして勝てるほどタレカは甘い相手じゃない。


 ただ、両手が使えないとなると、取れる行動は限られてくる。髪が濡れていれば、長髪による攻撃も可能だったが、今は乾いてしまって使えない。


 うんうんと一人思考の海に漂っていると、その間もタレカ僕の方へと近づいてきていた。


 実のところ、女の子になった僕の身長は元の体が平均身長並みだったことに引っ張られているのか、今の成山タレカの姿である僕よりも小さい。つまるところ、力こそ、元の体を維持しているかもしれないが、 背丈としては低い。つまり、あまり良い姿勢とは言えないが、手で耳をしっかりと押さえてしまえばなかなか下げさせることもできない。


 勝った。これは持久戦だ。そう思ってニヤけ顔を隠そうと顔に意識を向けていると、タレカはおもむろにその手を僕の素肌へと伸ばしてきた。


 胸かっ。体を洗われていた時の感触を思い出し、僕が一歩後ずさるも、その手は僕の胸を通り過ぎ、そのすぐそば、脇へと伸ばされ……


「あっはっはっは」


 僕はまたしても力が抜けてその場にへたりこんでしまっていた。


「ほれほれぇ。ここがいいんだろ?」


「あはっ。ひゃ、ひゃめて。あはっあはははは! いひひひひー!」


 タレカに脇をくすぐられるたび、口から笑い声が漏れて、体からどんどんと力が抜けていく。


 脳から変なものが出ているのか、快楽の波が押し寄せてきて、反射的に体がガクガクと震えてしまう。


「あひっ。やめ、やめて! おかしくなる! おかしくなりゅうううう!」


「私はね。脇をくすぐられると体に力が入らなくなるのよ」


「だからそんな自慢げに言うことじゃ、あははははは! ひー! ひー!」


 しばらくの間、夜だということも忘れて、その場で笑い転がされてから、タレカにパジャマに着せ替えられた。


 なんだか体を洗われていた時とは、また違ったくすぐったさが感じられ、その熱が体に残っているようだった。


 やっぱり、こんな歳で人に服を着せられるというのは、言いようもない恥ずかしさと、申し訳なさに襲われる。


「なんだか、風呂から上がったのに、また汗をかいちゃった気がする」


「なら、一緒に入り直す? 私は構わないわよ?」


「遠慮しとく」


 疲れを取るはずの風呂だったと思うのに、風呂に入る前よりもなんだか疲弊していた。


 ソファーに隣り合って腰かけて、今はぼんやりと、見ているのか見ていないのかわからない感じで、テレビを眺めていた。


「一緒に入って思ったんだけど」


 突然、タレカが斬り込んできた。


「何? 僕の反応が面白かった? それは結構」


「そうじゃなくて、私の体。メイト似の女の子とか言ってたけど、それこそ他の人からはどう判断されているのよ」


 ついさっき、僕らの名前の呼び方に関して、僕が話を振ったことの続きのようだ。


 タレカは不安そうに僕の顔をうかがってきた。


 キセキというものはわからないことが多く、なにぶんどういうものなのか判断がつかない。


 一般的に存在は確認されていないし、その効果がどうなるかというものも判断が分かれるものらしい。


「ねぇ。どうなの?」


 黙りこくって考えている僕に、タレカは僕の太ももに手を乗せて、ずいっと顔を寄せて聞いてくる。


「いやぁ、誠に申し上げにくいのですが、わたくしにはわからないとしか言いようがなく……」


「何よそのふざけた言い方。それに、わからないってどういうこと?」


「わからないものはわからないんだよ。僕自身の体で少し見た目を変えただけでも、存在しない誰かとして扱われたりはしなかった」


「どういうこと?」


「あくまで、人間の姿をしていれば、僕は僕だと看破された」


「じゃあ問題じゃない! こんな見た目の男の子ってことでしょ。お、襲われるわよ!」


「落ち着いて」


 混乱した様子のタレカをなだめるように、僕は両手を突き出した。


「それはあくまで僕の体に起こった場合の現象なんだよ」


「つまり?」


「キセキってのは、似たような現象でも人それぞれ微妙に結果が異なるんだ。だから、僕がタレカを女子として認識しているように、タレカの魂みたいなものに影響されて、女子として認識してもらえる、と思う、多分……」


「そう。なら明日も問題ないわね」


「明日? いや、僕の言葉を信じすぎじゃ」


 晴れやかな表情になると、タレカはその場で立ち上がった。


 それからふわぁと眠そうにあくびをした。


「安心したら眠くなってきたわ。もう寝ましょ」


「いいけど、ちなみにベッドは……?」


「一つしかないわ。当然でしょ? さ、寝るわよ」


「ですよねぇ……」


 僕がそそくさと逃げようとすると、タレカは僕の腕を引いて、ふふんと鼻を鳴らした。


 遠谷メイトは逃げられない!

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