伊達さんストラッグ

海鳴ねこ

プロローグ 伊達紫荻の人生 1

 ――時は戦国。

 数多なる男たちが名を上げ、天下を治めようと駆け抜ける戦乱の世。

 その一つ。奥州――。伊達政宗が治めるこの地、その屋敷。

 いつになく豪勢で楽しげな宴の音が鳴り響く中、私は意を決し扉の前で佇んでいた。

 顔を上げる。


 目に映るのは龍の絵が施された襖。宴の音頭はこの先から聞こえる。

 この先で何が行われているか。

 簡単だ。今この先では奥州伊達家の当主、伊達政宗の祝言が行われようとしている。

 本当なら実にめでたい日だ。――その相手が、ちゃんとした姫君おんなであれば。

 私は腰に差した刀の柄を握りしめ唇を噛んだ。

 思い浮かぶのは政宗様――。兄様の顔。


 優しかった兄様。

 聡明で、恐れ知らずで強かった兄様。

 誰よりも天下に相応しい兄様。

 でもその兄様はもう居ない。


 今やいるのは一人の女にうつつを抜かす一人の男でしかない。

 誰も止める者はおらず、誰も女の正体を疑う事もいない。

 だから私と言う存在は今此処に居る。


 兄様の目を覚ますために。

 本来あるべき姿に戻って貰うために。

 その為ならば一寸の迷いも無い――!


 音を立て、叩きつける様に襖を開いた。

 部屋にいた誰もが驚いた様子で振り返り私を見る。

 今まで私を姫と呼んでいた使用人。

 兄を側で支えていた成実しげざね、小十郎。

 そして今宵の主役である、兄――政宗。


 誰もが私を見て目を見開き見据えている。

 でも関係ない。私には関係ない。

 今、用が有るのは唯一人。兄様の隣で白の花嫁衣装に身を包んでいる女一人。


「――世を乱す女狐め……!覚悟!」

 容赦など、迷いなど微塵も無かった。

 手に握りしめる愛刀を構えて私は地を蹴る。

 その身体は真っすぐに花と言う女の元へ、その胸に刃を突き立てるべく駆けた。


「――し、紫荻しおぎ姫様ご乱心!」


 誰かが叫んだ。

 誰かが刀を抜いた。


 でも誰もかもみんな遅い。

 幼いころ剣の稽古を着けてくれた小十郎だって、幼馴である成美であってもみんな遅い。

 この場にいる誰一人だって私に敵う者などいないのだから――。


 瞳の先で、女を庇いように兄様が立ちふさがるまで。


 私の動きが止まる。刀を振り上げたまま硬直したように動かなくなる。

 私より頭一つ分大きな背丈。長い黒い髪。鋭い金色の左目。我が兄ながら整った顔立ちを持つ何時もの兄。

 昔と何一つ変わらない、嫌。昔とは違い背筋も凍るほどの冷たい眼を私に向ける兄様。

 まるで今この時私が女を切り掛からんことを予測していたように。恐怖の顔も焦りの顔も一つ浮かべず刀を持つ私の前へと立ちふさがっていた。


「――っ」


 退いてください。

 その言葉を発することも出来ない。


 私の胸に痛みが走ったのは、その刹那の出来事だ。

 息が出来なくなり口からは咳払いと共に血が溢れ出す。


 後ろから刀で刺された。

 胸を一突きに。心臓を的確に。

 そう、気が付くのには時間はさほどかからない。


 誰が指したなんて確認する暇も無い。

 左右から怒号にも似た雄叫びが数多聞こえる。

 次々に私の身体に刀や槍が突き刺さる。

 辺りが血生臭くなって、身体の感覚がなくなって、握りしめていた刀が手から滑り落ちた。

 支えられなくなった身体が膝を付き、緩やかに地に倒れて。身体から血が流れていくのが分かる。

 目が霞んだ。ぼやけて視点も会わない。

 それでも何とか私は最後にもう一度兄様を見上げた。


「……あに、さま」


 私が命を賭けると誓った。“月になる”と約束をした。最愛で敬愛なる人。

 意識が切れる最後の時。私が見たのは何処までも冷たい金色の眼だった……。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る