キンメダイの孫

あべせい

キンメダイの孫



 商店街の鮮魚店「魚雅」。

「いらっしゃい、いらっしゃい! きょうはお刺身の特売日だヨォー。イサキに、シマアジ、キンメダイが最高だ! あとのお勧めは……ヨッ、旦那!「 引っ越してこられて、1週間ですよね」

「魚雅、よく覚えていてくれた。気に入った。きょうはイキのいい魚がいろいろあるな。ピチピチ泳いでいるのまで、揃えているじゃないか」

「泳いでいる? うちにそんな魚はいないンですがね……」

 店主、後ろをみて、

「旦那、これは金魚。冗談言っちゃ困ります。金魚鉢に入っているじゃないですか」

「金魚鉢か、おれは生け簀かと思った。売り物じゃないのか」

「これは鑑賞用。金魚の親なら、いますよ」

「親? なんだ?」

「このキンメダイ。今朝、伊豆の稲取であがったばかり。刺身でいけます」

「キンメダイっていうのか。確かに、金魚をでっかくした魚だな。キンメダイからすれば、金魚はこどもか孫か。大将、ほかにお勧めはないか?」

「きょうは太刀魚のいいのが入ってます」

「太刀魚か。久しブリ、じゃなかった、久し太刀魚か」

「? まァ、見てやってください。旦那、この太刀魚は今朝、土佐は室戸沖であがったばかり。いまの時間だったら、刺身だって、十分食べられます」

「太刀魚の刺身か。東京で太刀魚の刺身なんか、滅多に食べられないよな」

「そうなんです。これは航空便で、いまさっき届いたばかり。うちは産地直送が売りだから」

「値段は……ひと舟に、5、6切れか。それっぽっちで、千円!……高い」

「でもね旦那。太刀魚の刺身を東京で食べようと思ったら、高級料亭に行くしかない。高級料亭でこれが出てきたら、いくらすると思います?」

「さァ、見当もつかない」

「一品、3千円は下らない」

「ここの3倍か。なら、買うしかないか……」

「しかも、刺身はいまの時間だけ。あと5、6時間も経てば、塩焼きか煮物でしか食べられない。いまだけ! 早いもの勝ちよ」

「しかし、大将。この太刀魚、大将が獲ったの?」

「私は魚屋です。これを獲ったのは、土佐の漁師さん」

「だろう。海に行って、タダ獲ったンだろう。それにしちゃ、千円は高い」

「旦那ね。漁師は海で魚をタダ獲るといいますがね、海で魚を獲ってここに並ぶまでには、それなりの経費がかかっているンです」

「例えば?」

「船の燃料代、船の上で食べる漁師の昼飯代」

「それから?」

「それから……あァ、ここまで運ぶ飛行機代にトラック代」

「それから?」

「私の昼飯代」

「昼飯だけじゃないだろう」

「そりゃ、夕食代に晩酌代」

「まだ、あるだろう」

「もろもろの生活費がかかっています」

「大将は特にギャンブルに金をかけ過ぎだ。別れたかみさんがいつもこぼしていたと言っただろう」

「すいません。競馬がもとで逃げられました」

「ということは、この太刀魚の値段には、大将の全てが入っているということか」

 そこへ女性客が。

「魚雅さん、太刀魚のお刺身くださいな」

「いらっしゃい! 毎度ありがとうございます。太刀魚ですね」

「この舟を2つ。一緒盛りにしてくださる」

「はいッ! 2人前ね。いま、盛りなおします」

 魚雅、手際よく2人前の太刀魚の刺身を包み、手渡す。

「おいくら?」

「ちょっと高いけれど、1400円でいいや」

 脇にいた男、目をむいて、

「1400円!? 大将、1人前千円だから、2人前は2千円だろう!」

「旦那、まだいたンですか」

「いたンだよ。太刀魚の刺身が食いたくて。こっちのお客とおれを、差別してどうする」

「差別じゃありません。区別しているだけです」

「じゃ、なんで区別するンだ。この女性は……」

「こちらの方は美人でしょう。ワタシ、美人にはからきし弱いンです」

「よォく、聞け。この女性はおれの前の女房だ。それでも、おれと区別するのか」

「当然です。彼女はワタシの婚約者です」

「ゲェッ!?」

「来月から、この店で一緒に働くンです。タダでもいいが、それだとほかのお客がヘンに思うでしょう。だから、少しだけ、いただく。この太刀魚の刺身は、2人の今夜の夕食です」

「オイ! ユリエ、いつから、この魚屋とつきあっていたンだ」

「そんなこと、あなたと関係ないでしょう」

「大いにある。おまえがおれに『別れてください』といったから、おれは離婚を承知したンだ。協議離婚で、だ」

「あなたが浮気していたから。離婚を要求するのは当たり前じゃないの。慰謝料、とらなかったのは、わたしのおなさけよ」

「そうじゃない。おれたちが離婚する前から、おまえがこの魚雅とつきあっていたのなら、浮気はお互いさま。財産分与で、おまえとおれの取り分を、6、4にしたのは、おれが浮気をしていたという負い目があったからだ」

「そうだったかしら? わたしは、あなたのほうが、稼ぎが少なかったからだと思っているわ」

「稼ぎが少ないッ! おれは都庁のエリート役人だ。おまえは……」

「わたしは、お決まりの主婦パートよ。但し、仕事はスーパーのレジ打ち、なんかじゃなかった」

「もう、いい、言うな……」

「赤坂のクラブ『愛会い』のホステスを午後7時から11時まで。月収、平均80万円も、とっていたかしら」

「おれがやれといったンじゃない。おまえが勝手に……」

「ナニ言いってンの! あなたが『愛会い』のナンバーワンホステスと浮気をしているのがわかって、わたしが開店前、店まで警告しに行ったら、あの女、名前はサキエだったわよね。サキエが『西若さんとはお客とホステスの関係だけです。それ以上でも以下でもございません!』ってヌカしたから、仕事ぶりを見届けてやろうと思って、あの店の『ホステス一夜体験』に応募したのよ。そうしたら、あの夜、あなたは知らずに業者の接待を受けてノコノコやってきたわね」

「おまえ、あれは反則技だ。テーブルについたら、サキエが怖い顔をして『新人よッ』っておまえと一緒にやってきた。厚化粧だったが、おまえによく似たホステスでおれの好みの顔だったから、サキエは業者の横に、おまえはおれの隣に腰掛けた」

「すぐに気がつきなさいよ。鼻の下を伸ばして、わたしのオッパイばかり見ていたわね」

「胸が大きく開いたワンピース、あんな服を着たのは結婚してから初めてだろう。胸のふくらみの上に2つ並んだ小さな可愛いホクロ、その位置から、おれが『1時2分』と呼んでいる2つのホクロがあったから。ギョッとして、もう一度、顔を近づけ、おまえの顔を見て、腰を抜かしたンだ」

「あなた、何も言えずに、急にオロオロして、水も飲まず、業者をせき立て出て行ったわ」

「あのときの業者は、植木屋だ。公園樹木の剪定で入札情報を欲しがっていたが、おしゃべりなンだ。都市公園整備課課長の女房が、クラブでホステスをしているなんてバレてみろ。明日から、仕事ができなくなる」

「わたしはママに気に入れられ、『正式に勤めてみない?』といわれて、サキエに対抗したくて、1ヵ月の約束で始めたの。どうせ、あなたは毎晩帰りが御前さまだし、こどもはいない。そうしたら、仕事がおもしろくなって、1ヶ月でナンバーワンホステスになっていた。サキエはいつの間にか、いなくなって……」

「あいつは、『あんたの女房にお客を横取りされた。あんな女とよくくっついているわね』と言って、いまは巣鴨でスナックのママにおさまっている」

「あなたが財産分与の一部を回してあげた、って聞いているわ」

「そうだ。その財産分与の話だ。おまえが6分、おれが4分はおかしいだろう。おまえもこの魚雅と浮気していたンなら、財産分与は5分5分がスジってもンだ。大将、そうだろう?」

「旦那、お2人の離婚が成立したのは、半年も前。いまさら蒸し返すのは、男らしくありませんでしょう」

「男らしくない、ってか!」

「そうよ。あなたは元々、人間が女々しいの。気が小さくて、細かくて、どうでもいいことをいつまでもグズグズ覚えている」

「役人はそうでなきゃ、務まらないンだ。予算を睨んで細かく配分を決めて、毎月毎月ミスがないかチェックしていく。思い出したことがあれば、真夜中でもメモして、翌朝部下に指示を出す。おれがこうしているから、都民は毎晩、枕を高くして寝ていられるンだ」

「ご立派なこと」

「ホステス風情に、何がわかる」

「わたしが都庁で、当時は係長だったあなたの下にいたことを忘れたの。公園の清掃事業で、わたしがお年寄りに仕事を与える『シルバー人材センター』の立ち上げを模索していたら、『キミはなかなか、見込みがある。ぼくも手伝うよ』と言って、公園課に異動したばかりのわたしに近付いてきた。わたしが『まだ構想だけです。係長のお手を煩わせるわけにはまいりません』と断ったのに、一緒に残業して、帰りは『夕飯を食べよう』と言って強引に居酒屋に誘う。『都庁小町』と男性職員の間で噂されていたわたしが、『むかし小町』と陰口たたかれるようになったのは、それからよ」

「ずいぶん周りに金を使ったンだ」

「結婚するまで手も握らせなかったのに、どうしてあんたの持ち物みたいに噂されたのか、しばらくわからなかった」

「おまえは堅すぎたンだ。2人きりになったら、キスぐらいさせるだろう」

「旦那、それは違います。キスは女性が求めてきて、初めて許されるものです」

「魚雅は、まだキスもしていないのか」

「いいえ、最初のデートでお許しをいただきました」

「! 早いじゃないか」

「旦那はユリエさんと合わなかったンでしょう。最初から結婚に無理があったンです」

「魚屋風情になにがわかる!」

「いろいろわかりますよ。旦那がユリエさんと離婚後、この街に越して来られたのは、ユリエさんの実家がここにあるからで、ヨリが戻せればいいと考えているとか。巣鴨のサキエさんは、旦那がパトロン気取りで店に入り浸っているので、お客が寄り付かないとこぼしておられるとか。旦那が懲りずに、新入りの女性職員にコナをかけているとか。まだ言いますか」

「いィッ、もうやめろ!」

「旦那、こうして魚屋をしていると、世間がいろいろ見えてくるからおもしろい。ユリエさんがここに初めてきたとき、幼なじみだったから、どうして戻ってきたンだろうと考えました。顔色をみて、これは旦那との間で何かあったンだとわかりました。で、タイの刺身をもってご実家に行き、『幼なじみとの再会祝いです。ご夕食にどうぞ』と言って差し上げた。私も、女房に逃げられて3年経っていましたから、淋しかった。ユリエさんはそれから、ちょくちょく実家に戻って来られるようになった。原因は旦那、あんたの浮気だ。ここまでいえばわかるでしょう。ユリエさんは、赤坂でホステスするのがつらくなったとおっしゃって……。私は、その心情を深く、深く理解しました。私が再婚を決意したのは、それから間もなくです」

「わたしは、愛してくれるひとではなくて、愛することができるひとと結婚するべきだったのよ」

 そこに別のお客が通りかかる。

「太刀魚がおいしそう! 太刀魚のお刺身、おいくら?」

「いらっしゃい! お嬢さんなら……」

 と、西若が、

「サキエ! なんでこんな所にいるンだ」

「アッ、あなたこそ、どうしてここに……そうか。ユリエさんが恋しくて、うろついているのか」

 と、ユリエが、

「ここは南大塚の商店街。巣鴨の地蔵通りから、歩けない距離でもないわね」

「お生憎さま。巣鴨からここまで都電に乗って10分。わたし、この前までは、スナックの仕込みに必要な食材を、この商店街で買っていたの」

「おまえ、スナックはどうした。今は、開店前の仕込みで忙しい時間だろう」

「スナックは売りに出すことにしたの。客足がさっぱりなンだもの」

「なにィ! あのスナックは、半分はおれのものだ。勝手に処分はさせンぞ。お客が入らないのは、おまえの腕が悪いからだ」

「サキエさんなら、そうかもね」

「ユリエ、おまえ、スナックをやってみないか。おまえには客商売の才能がある。経費を除いた荒利益の半分は、おまえにやる。どうだ」

 と、サキエが、

「なにを勝手なこと言ってるの。あのスナックの権利の半分はわたしのものよ」

「だったら、サキエの取り分が4分の1、おれも4分の1。遊んでいて、金が入るンだ。文句はないだろう」

「ちょっと、待った!」

「魚雅、なんだ、横から。おまえも一口、乗せて欲しいというのか」

「旦那、なに言ってるンですか。ユリエさんは来月、私と結婚するンです。私の女房を勝手に、スナックのママにするなんて、私が承知しません」

「大将、そんな大口たたいていいのか。ユリエ、どうなんだ?」

「スナックのママ? いいわね。魚雅に嫁いでも、夜はヒマなンだから。スナックで小金を稼ぐのも悪くない」

「ユリエさん。バカを言わないでください。新妻が夜の客商売をして、亭主の私はどうするンですか」

「魚雅、そんなに女房が心配なら、バーテンでもして一緒にスナックで働いたら、いいだろう」

「冗談じゃない。幕末から7代続いている魚雅をつぶせというのですか」

「つぶせなんて言っちゃいない。昼は魚屋、夜はスナック。2足のワラジで稼げはいいだろう」

「そりゃそうですが。私に、できるか、どうか……」

「大将は難しいだろうが、ユリエならできる。ユリエはそういう女だ」

「旦那、ユリエ、ユリエと呼び捨てにしないでください。もうすぐ、私の女房になるンですから」

「それは悪かった。おれももうすぐサキエと一緒になるから、大将の気持ちはわかるつもりだ」

「ちょっと待って! あなた、わたしと結婚する、って?! なに勝手なことを言っているの」

「サキエ、おまえは赤坂でホステスしていたとき、おれと結婚したがっていたじゃないか」

「あのときは、ね。あなたがユリエさんと離婚する前は、正直結婚したいと思ったこともあったわ。でも、巣鴨の商店街にあったラーメン屋を買い取って、スナックに模様替えしてスナックママになってから、あなたはお店の売り上げのことしか言わなくなった。もっと経費を切り詰めろとか、仕込みの食材はもっと安物を使えとか。仕入れ先は1円でも安い所にしろとか。もう、うんざり! あなたには、お金儲けしか、頭にない。客商売、水商売は、損してまでしようとは思わないけれど、お客を楽しませる喜びがあるから、続けられるってことが、あんたにはちっともわかっちゃいない。そんな金の亡者と結婚して、なにが楽しい? ユリエさんが別れた理由がよォくわかったわ」

「サキエ! おまえ、おれを裏切るのか」

「裏切る!? ひと聞きの悪いことを言わないで。あんたとは何も約束なンかしていない。結婚はあんたが自分勝手に考えていただけじゃない」

「おまえ、ここを歩いていたのは、おれに会いたくて来たのじゃないのか」

「なにショッテんの。わたしの新しいカレが、この先のマンションにいて、今夜夕食を作って一緒に食べるのよ。そうそう。魚雅さい、だから、太刀魚の刺身、欲しいの。わたしのカレ、土佐の出身で、太刀魚が大好き」

「この太刀魚も室戸沖の海で今朝あがりました」

「カレ、こどもの頃は、お刺身でよく食べていたって。だから、今夜カレを喜ばせたくて……」

「お嬢さん、太刀魚はもうここにあるだけ。欲しいだけ、もっていってください」

「じゃ、その3つ、全部ください」

「ありがとうございます」

「ちょっと待った! 大将、太刀魚の刺身は、おれが一等最初の客だ、ってことを忘れていないだろうな。長々と話し込んでいたが、それも太刀魚が食べたいからこそだ。その残りの刺身盛り、3つ全部もらおう」

「旦那、お値段が張りますよ」

「いくらだ」

「一人前千円ですから、3人前で3千円」

「高い!」

「魚雅さん。私には売ってくださらないの」

「お嬢さん。心配しない。まだ、奥の冷蔵庫に5人前ありますから」

「じゃ、その5人前、すべていただくわ。おいくら?」

「はい、お嬢さんなら、5人前3千円でけっこうです」

「魚雅、それはあんまりだろう。おれには、3人前3千円。サキエには5人前3千円。どうしてそんなに値段に違いが出るンだ」

「いいじゃないですか。私はお客さまの喜ぶ顔が見たくて魚屋をやっています。お金儲けだけじゃないンです」

「ちょっと待て! おれだってお客じゃないか。おれはちっとも喜ンじゃいない。どうしてくれる」

「こちらのお嬢さんは、私と同様、新しいカレと間もなく結婚なさいます。値引きは、そのお祝いです」

「おれには祝いはナシか。おめでたい話なら、太刀魚の代わりに、おれにキンメダイでも寄越したらどうだ」

「キンメダイはダメですが、いま生け簀で元気に泳いでいる、こどもか孫なら、差し上げます」

               (了)

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

キンメダイの孫 あべせい @abesei

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る