俺の娘(義理)は元イラスト!?

雪味

俺の娘(義理)は元イラスト!?

「ひひ……できた……でき……た……」


 時計はすでに深夜四時を回り、パソコンの前、青白い光に抱かれながら崩れ落ちるその少年は貝塚 枯木かいづか かれき

 ボサボサの茶髪に、赤い瞳……そして何よりも黒く濃いクマ。

 彼は、今日も今日とてあり余る承認欲求の渇きを抑えるため、一枚のイラストを完成させる。


 一日一枚絶対投稿。


 キャラと背景までを描いて、絶対に投稿する。それを目標に、それを生き甲斐に筆を走らせ、目の前の画面——SNSへイラストの投稿を済ませたのを確認すると、液タブを枕に眠った。


 □□□


「……おはよう世界。クソくらえだ」


 お決まりの挨拶を言い捨てると、枯木は身支度みじたくを済ませ、新学期を迎えた学校へと足を運んだ。こんな枯れ木のような彼ではあるが、学校では案外友好関係も良好で、一定数の友人を持っている。

 “友情はいらないが、孤独はもっといらない“という理念のもと、中学で一度拗らせた性格をねじ返し、自分がオタク——主にイラスト制作を主にする絵描きオタクであることを隠しながら、高校ではそこそこの立場を築いた。


 クラスの人気者というわけでもないが、漫画で出てくる「ぼくはクラスのあぶれ者だ」と揶揄やゆされるほどのものでもない。純度100%モブ。可もなく不可もなく凡の中の平々凡々。


「えー、それでは、新学期から転校生がやってきました。さぁ、入ってきて」


 先生がそんな非凡なことを言ってくる。ここは現実だから、美少女が入ってきてラブコメ的展開が起こるということはなくて、普通にパッとしない男が入ってきて「あぁ……」となるのがオチだろう。


「初めましてみなさん。私は……」


 もう一度。貝塚 枯木は、平々凡々な人間だ。だが、人よりも強い承認欲求を満たすため、一日一枚絶対投稿。

 どんなに忙しくても、体調が悪くても、その日課を欠かしたことなんてなかった。ついこの間なんて、上手く描けたオリジナルキャラが、一万いいねを達成し、その承認欲求も潤いを獲得し始めていたところだった。


 重ねてもう一度。ここは現実だ。転校生と美少女はイコールじゃないし、ラブコメみたいな展開は起こり得ない。人は普通な恋愛をして、普通に成就じょうじゅして、普通に添い遂げるのだろう。


「——貝塚 綾かいづか あやです。よろしくお願いします」


 なぁ、世界よ。現実よ。ラブコメ的な展開はない。それはわかる。けれど——


「……なんで俺の描いたキャラが目の前にいんの?」


 自分で描いた女子が、現実に現れるってどうなんだ?


 □□□


 クラスは騒然とする。突如として現れた嘘みたいな白髪青目の絶世の美少女(事実フィクションなわけだが)の転校と、あまつさえその美少女と枯木の苗字が一致しているという奇跡。いや悲劇か。


「貝塚!? 貝塚って、おい! 枯木! あの子誰なんだ」


 隣の席の友人が枯木にそう問うが、彼は今それどころではない。目の前に自分が描いたキャラが現れているという非現実に、脳の処理が追いついていない。


「あ、お父さん」

「え?」


 え?


 場にいる誰が、お父さんと呟いた美少女に疑問符を浮かべる。

 その空間の中、彼女はそっと歩き出し、ある男の前まで行って、言った。


「やぁやぁお父さん。どう? 私可愛い?」

「…………はぇ?」

「「「えぇええぇえぇ!?」」」


 貝塚 綾の一言で、騒然とするクラスを置いて、貝塚 枯木の気は遠のく。あぁそうさ。枯木は綾の生みの親。だから父さんと呼ばれてもおかしくはない。だが、はたから見れば転校生がクラスメイトにお父さんと言っているのだ。明らかに何らかの法に触れているとしか思えない。


「はぁ!? おいおい! 枯木、さっさと説明しろ! どういうことなんだ!」

「えーと……あの、その」


 とりあえず、誤解を解かなければ。そう思い枯木は勢いよく立ち上がる。


「はっ……! とりあえず誤解を解かせてくれ! 確かにこいつは俺のことをお父さんと呼んではいるが、別にそういうサービスを利用しているわけじゃないぞ!?」

「誰も言ってねぇし、今のでその疑惑が深まったんだが!?」


 友人から突っ込まれてしまった。


「でも……だったらお前と綾さんはどういう関係なんだ?」

「お父さんがイラス——」

「義理の! 親子です! そう、義理のね!?」


 お父さんイラストレーターとは言わせないぞという固い意志を感じる訂正だが、義理の親子関係にある高校生というのもいかがなものなのか。

 焦っている枯木にそんなことを気にする余裕などなく、今も必死に頭を回転させている。


「「「義理の親子ォ!?」」」

「あっ、いやっ……はい。こう、昔色々あって……」

「うん? お父さんは私の生みの親でしょ?」

「ちょっと黙ってようか」


 高校生でありながら、同年代の父親でありながら、産みの親(男)でもある……?

 情報の渦巻きにぶち込まれたクラスメイトは、もう声を上げる余裕すらなく唖然としていた。

 その地獄の空間を終わらせたのは……いや、終わらせてくれたのは、学校のチャイムだった。


 □□□


 突如として現れた、枯木のイラスト貝塚綾。彼が描いた通り、透き通るような白髪に、澄んだ青い瞳。そして抜群のプロポーションを誇り、容姿は完璧と言っていい。

 そして、そんな綾を描いた当の本人である枯木は——


「……とりあえず、俺がイラストを描いているって言うのは伏せようか? あと、俺はイラストレーターを名乗れるほど絵で食える人間じゃないってことも言っておく」

「え? お父さん、絵上手いんだから誇ってもいいじゃん」


 一限目が終わり休み時間、クラスメイトの尋問を回避しながら人気のない廊下にて綾を脅す枯木。


「というか、そのお父さんって呼び方どうにかならないの?」

「でも名前で呼んだらお父さん、私のことを意識しすぎるんじゃないかなって……」

「オリキャラに惚れるなんて冗談はやめてくれよ……」


 三次元女性に惚れる。あぁ、わかるよ。二次元女性に惚れる。あぁ、いるね。そう言う人。

 けれど、自分で描いたキャラに惚れるのは……ちょっと……どうなんだ!?

 自分好みの女を作り出して、それに惚れると言うのは……あまりにも虚しくないか!?


 だから、枯木は意地でも綾に惚れない。と言うか、女としてすら見ていない。さながら本当の親と子のように。


「そもそも大前提として、何でオリキャラが現実に出てくんだよ? と言うか、貝塚綾ってなに? 名前とか性格とか細かい設定決めた覚えないんだけど?」

「それは私にもよくわかんない。気づいたらここに転校することになってたし、気づいたらお父さんを探してた」

「んなバカな……じゃあ戸籍とかその他諸々どうなってんだよ……」

「気づいたらあった」


 ざけんな世界ッ! 気づいたらで全部済ませられると思ってんのか!? そんなご都合あってたまるか! 後で納得のいく説明があるんだろうな!?

 そう枯木が心の中で叫びながら、綾の前で膝から崩れ落ちた。


「大丈夫お父さん? おっぱい揉む?」

「黙れ……と言うか、確かに設定は練っていないけど、そんな下ネタ言うような想定はしてなかったぞ俺は……!」

「でもこれが私だもん。と言うか、これくらいしないとお父さんは私のこと異性として見てくれないでしょ?」

「じゃあ何か? 俺が言ったこと何でもしてくれるってのか?」

「学校でするのは恥ずかしいな……」

「何想像してんだ頭桃色大幕府」


 誰だこんなデリカシーのかけらもない女を生み出したやつは。親の顔が見てみたい。


「てか、俺に構う理由がないだろ。原因は知らないが、さながら飛び出す絵本のように出てきたお前は自由なんだし、わざわざ俺に挨拶しにくる必要すらない」

「別にいいじゃん。だって——」


 とても綺麗な笑顔を浮かべながら、白髪をなびかせ、青目を細くして彼女は言った。


「私を可愛く描いてくれた人だもん。生まれた時から、枯木が一番好きだよ」


 名前呼び。急にお父さんから切り替えられ、どこか“義理親子の関係“と言うのが遠ざかる感覚。

 それに、こうして見てみると、本当に可憐で、綺麗な笑顔を浮かべる——


「あっ、今ドキッとしたでしょ?」

「あぁ、我ながらよくできたキャラだぜ」

「……異性として、と言うよりキャラクターとして見てない?」

「ははは」


 感情の死んだ声で、枯木はそう言った。

 絶対に、惚れなんてしない。絶対に、異性としても見ない。そう心に強く固く誓った枯木は、クラスメイトの尋問をすっかり忘れ、迂闊にもその質問攻めの嵐の中へと戻ってしまった。


 □□□


「ねぇねぇ綾ちゃん! 枯木くんとはどんな関係なの!?」

「うん? だから、お父さんだよ?」

「茶化さないでよ〜! ほらほらぁ、だって高校生同士、あんなことも言ってさぁ——」


 教室にて、貝塚綾はモテてモテてモテまくっていた。男女問わず、そして行儀良さもあり教師陣からも人気が高い。転校初日だと言うのにだ。

 そしてその綾が女子トークの渦中にいる光景を横目で見る枯木は、男子からの刺すような視線を感じていた。


「なぁ、お前ら。俺は何度でも言うぞ。……俺とあいつは付き合ってない」

「「「嘘こけ!」」」

「俺の目を見てるか……? ほら、この、嘘をついていないつぶらな瞳を」

「「「今日もクマがひどいな」」」

「ダメだぁ! こいつらダメだぁ!」


 聞く耳なんて持っちゃいない。つぶらな瞳もない。そんな枯木はまたも膝から崩れ落ちた。そろそろ膝の皿も割れそうだ。お先に心が砕けているが。


「あーあ、見損なったぜ枯木。いやもうお前は瓦礫だ」

「元からひどい名前を悪化させるな」

「あんだけ『俺に彼女なんていないしいらないッ! 陰キャオタクの光に、俺はなる!』って言ってたのによ」

「見栄だったんですぅ! めっちゃ彼女欲しいです!」

「「「黙れ綾さんとイチャイチャしてる分際で喋るな」」」

「ひゃい……」


 てかイチャイチャなんてしてねーし!? 勝手に向こうがお父さんとか呼んできてるだけだし!? オリキャラとイチャイチャしてるとか冗談でもやめてほしーんですけど!?


 そう言いたい心の叫びも、言うわけにはいかない。今まで必死に絵描きオタクとしての自分を隠し続けてきたのだ。それに、クラスメイトに自分の絵が見られるとか恥ずかしくてたまらない。

 ……現に、枯木のイラストは生きて皆に見られているわけだが。

 そしてその綾はと言うと——


「えー! そうなの?」

「そうそう。私とお父さんはずっと離れ離れだったんだけどねぇ、やっと見つけたんだぁ」

「それで? 枯木くんのどこが好きなの?」

「ん? うーん、難しいなぁ。でも、お父さんは優しいんだよ。普段はちょっと口が悪いけど、言いすぎると後で『あの時ちょっと言いすぎたかな』って後悔してるんだって。可愛いよね」

「俺の秘密がバレてるんだけどォ!? さらっと、何げに言われたくないこと言われちゃってるんだけどォ!!」


 めちゃくちゃ女子トークを盛り上げていた。そんな設定にした覚えはさらさらないが、どうやら社交性が非常に高いらしく、すぐにクラスの女子に溶け込んでいる。溶け込みすぎて困るほどだ。


「えっ……そうなの? 枯木くん……」

「いやっその」

「……いいね」

「あっそっち?」


 もしかして今ので何か恋愛フラグが立ったのか? もしかして今ので“オリキャラとの恋愛“とかいうフラグは折れたのか?


「でもお父さん、クチャラーなんだ〜」

「おいそれまだ一回しか言われたことないから! それも小学生くらいのことだから! さも今もクチャラーみたいに言うな!」


 希望を折りにかかるな馬鹿野郎。


「なんだかんだ言いつつも、いい人だよお父さんは。綺麗事なんて大嫌いとか言いつつ、困ってる人は放っておけないタチだし。ちゃんと線引きができてて、本当に悪いことは絶対しないし。私の自慢のお父さんです!」


 えっへんと大きな胸を張りながら、綾は枯木の紹介を締めくくった。女子だけでなく、男子も「へー……そうだったのか」と言う声も上がる中、本人は——


「もうやめてくれぇぇぇぇ……!!」


 耳まで赤くしながら、ダンゴムシのように顔を覆って丸くなっていた。


 □□□


 朝にはオリジナルキャラの転校。その後はクラスメイトからの尋問。そして白髪青目の少女貝塚綾による暴露。身も心も何もかも、くたびれた枯木は放課後の誰もいない教室で突っ伏していた。


「疲れた……あー疲れた。もう無理ださっさと帰ろうそうしよう」

「お父さん一緒に帰ろう!」

「あぁぁ……」


 元凶がやってきたことで、今日一深いため息を吐く枯木。


「……勝手にしてくれ。俺はもう帰る……と思ったけど、一緒ってなんだ? お前、家どこだよ。イラストから出てきたキャラだろ? 家なんてあるのか?」

「そりゃ、ありますとも」


 少し怒ったように、綾は枯木をつつく。


「まぁどこでもいいか。もうクラスメイトに尋問される心配もないし、ほら、さっさと帰るぞ」

「あ、一緒に帰ってくれるんだ。やっさしー」

「はいはい」


 一緒に帰ると言っても、どうせ途中ですぐに別れる。そう思いながら、枯木は綾と一緒に学校をでた。帰り道に話してわかったことだが、綾は枯木のことを“本人以上に“理解している。枯木の描いたイラストだからこそなのか、彼を誰よりも近くで、しかし客観視していた。逆に、枯木は綾のことをほとんど知らない。キャラに設定をしない癖もあり、大まかな部分以外は全て不明。軽く話しただけでもよくわかっていたことだった。


 そう、枯木は綾のことをよく知らない。それこそ、性格から好みの食べ物だって。名前だって今日知ったのだ。ゆえに。


「あのさ、ここ、俺ん家なんだけど」

「? だって私たち、家族でしょ?」


 住んでいる場所が自分と同じだなんて、知る由もない。状況を冷静に受け止めた枯木は、これまた冷静に彼女を諭す。


「いいかい。お前は家族かもしれないが、元は俺のイラスト。俺の血の繋がった家族はこの扉の向こうにいる。さて、お前を招き入れたらどうなると思う?」

「え? 急に何? さっさと入ろうよ」

「話聞いてくんね?」


 そんなことも聞かずに、綾は扉を開け放つ。さもここが自宅だと言うように、自然にただいまと言いながら入っていく。


 嗚呼、母さん。あんたの息子は娘を連れてきたよ。娘(自作イラスト)ってのが申し訳ないけど、許してくれるかなってそんなわけないだろ夢見るな。


「あら、お帰りなさい。綾、枯木」

「ただいま〜」

「…………は?」


 これは夢か? そう頭を抱え込む枯木。それも無理はない。自分の息子が初対面の義理の娘を連れてきたと言うのに、とうの母親が依然としている……?

 目に見えて露呈してきた“異常”に、不気味ささえ感じられる枯木は、いよいよこれがただの茶番では済ませられなくなってきたぞという焦りに誓い感情を抱く。


 できるだけこの“異常な日常“を壊さなよう、いつものように振る舞う。それからの記憶は曖昧あいまいだ。すぐにご飯を食べた気がするが、その味も、何を食べたかも覚えていない。

 おかしい。全てがおかしい。玄関で綾を迎え入れた時も、ご飯を食べた時も、談笑している時も、家族は“家族と接するみたいに“笑っていた。タチの悪いドッキリ? じゃあ何か? 茶碗や食事が人数分用意されていたのは? 転校は学校がらみの仕掛け? そんなわけがない。そもそも、ここは現実だ。そんな非日常は起こらない。そんな異常は起こらない。でも、だったら一体、目の前の元イラストの人間の説明はどうつける? ファンタジー的な現象としか言えない。


 ——おい世界、納得のいく説明が、あるんだろうな?


 図らずも昼と同じ質問を呟く。もはやただの非日常では抑えられない。“実の家族が侵食されている“のだ。ここまでくると、放っておけるような疑問でもなくなってきた。

 何か黒いものが、枯木の中で渦巻いて大きくなる。


「わっ! お父さんお風呂入ってたんだ、ごめん! まぁでも親子だしいっか!」


 わざとらしく、枯木が入っている風呂へ綾が入ってきた。事案である。だが彼女は気にせずに湯船へと浸かった。


「お前な……元がイラストとは言え女子だぞ。少しは気にしろ」

「お父さん恥ずかしがってる〜?」

「ない。お前のことは、結局キャラクターとして見てるし、何より俺が生み出した存在だ。だから、別にそう言うのはない」


 ほんとかな? と言いつつ枯木が腰に巻いているタオルを摘んでやる綾。やめろと言いながら枯木はそれを払う。


「むぅ……本当に動揺しないじゃん」

「言ってるだろ……俺はお前の生みの親だ。だから、別にどうとも思わない。兄妹がお互いを性的な目で見ないように、親子がそうであるように。俺もまた、それに近い感情なんだよ」


 もしかしたら、綾をそう言う目で見ないのも自分が“彼女を家族と信じ込んでいる“からなのだろうか。そんなことをふと思った。


「……なぁ、お前は気づいたらって言ったけど、実際どうやってこの世界に来たんだ。イラストの二次元世界から、どうやってこの三次元に飛び出してきた」

「だから……」

「嘘は吐くなよ」


 ドス黒い瞳で、枯木は彼女の青い瞳を覗き込んだ。彼女が少し、怯えているような目をしているのがよくわかる。


「……俺をよく知るお前ならわかるんだろ。俺は、人の嘘を見抜ける」


 脳裏にフラッシュバックするのは、中学時代の友人……友人、そう呼びたかった人たち。


「過去に、嘘を吐かれまくったから」


 湯船を凍り付かせるような声音で、綾を制すように言い放った。脳裏に浮かんだその記憶も、凍り付かせて沈める。


「……わかった。じゃあ、今夜話すよ。流石にここじゃあ、のぼせちゃうからね」

「あぁ、納得のいく説明を頼むよ。じゃないと……」


 家族が朗らかな笑みで綾を受け入れた光景がチラつく。鬱陶しい光で点滅しながら、主張するように枯木の脳内で光る。


「俺は、また誰も信じたくなくなる」


 □□□


 夜、枯木の両親も寝静まった頃、彼は自室にて——


「線画ァ……線がァ……!︎︎クソクソクソ! あーゴミだ、レイヤー分けるの忘れてたよ〜クソがッ! もーいいや、さっさと色塗りだ。線画なんてね、それっぽく線がありゃいいんですよ。ねぇイラストレーターの皆さん?」


 絶対にそんなことはないが、架空のイラストレーターへ向かって同意を求める枯木。


「……あの、私のことについて聞きたいっていうから部屋に来たんだけど」

「うるせぇっ! 俺はイラストを描かなきゃならないんだよ!」

「えぇ……?」


 またクマを濃くしながら、枯木は薄暗い部屋で液タブに齧り付く。寝巻きの女子が自室にいると言うのに大した承認欲求だ。


 すると、少し呆れたようなため息をしてから綾が言った。


「……私はね、みんなの愛の塊らしいよ」

「は? 愛?」


 唐突にそんなことを言われるも、枯木は手を止めずに耳だけそちらへと意識をむけた。


「うん。ほら、私、お父さんが投稿したイラストで最近一万いいねを超えたでしょ?」

「あぁ……確かに……」


 それがなんなのだと言いたくなったが、間髪入れずに綾がつづける。


「そのいいねの集合体——もっと言えば、私を“貝塚綾“として想像した人たちの意思が塊になって、貝塚綾っていう人格が形成されたの」

「はぁ……え?」


 わけがわからない。意思? 集合体? 人格の形成? どこかでありそうな話が出てきたな……


「つまり……? お前は“このキャラクターはこう言う感じなんだろうなぁ“っていう数多のSNSユーザーの妄想の具現化ってこと? え? 怖くね?」

「そう言うことになるね。それが一万って言う集合になったから、私は私としてこの世に生まれることができた」


 その妄想を愛と呼称するには少々高尚な誇張である気もするが。それでもまだ疑問は残っている。


「だけど、それが俺と同じ高校に転校することや、家族に溶け込むことには繋がらないだろ」

「繋がるんだよ、それが」


 流石に気になったのか、枯木は液タブから顔を上げて綾の方を見た。彼女の美しい白髪が、淡い光で照らされている。


「私はみんなの妄想の具現化。だから——」

「あー! あー! 皆まで言うな! つまりアレだろ!」


 ビシッと彼女を指差し、引き攣った笑みでこういった。


「お前がちょっと下ネタ言うのも、勝手に風呂に入ってくるのも、家族の立場を築いているのも、転校してクラスメイトになったのも全部! “ラブコメ脳患者オタクの妄想したシチュエーション“ってことだろ!?」

「……皆まで言ってるよ、お父さん」


 まぁ、そこまでの説明がついたとしても「だからってその妄想が具現化するってどう言うこと?」と眉間をつねりながら問うしかないわけだが。


「それは……私にもわからない。敷いて言うなら、お父さんの飢えに飢えた承認欲求が妄想の呼び水になってるのかも、としか」

「まぁいいさ、ともかくこれでスッキリした。おかげで対処法も大方思い付いたし」

「え?」


 対処法。つまり、妄想の具現化を妨げる方法? もし本当にそれを思い付いたと言うのなら——具現化された二次元は消滅することになる。すぐ、彼女は止めにかかった。


「待って……お父さん、何、対処法って」

「簡単な話だろ。お前はみんなの妄想の具現。だったら、みんなの妄想が書き変わるように設定を付け加えればいい。例えば、今は一人暮らしをしている、とか。あとは女子校に通ってるとかな。やりようはいくらでもある」


 どうやら綾が直ちに消滅させられるような手を打つ気はないようだ。その事実に、彼女は胸を撫で下ろす。

 しかし……


「……でも私は、今の暮らしを変えたくない。お父さんと一緒のこの関係を、壊したくない」

「人様の学校と家族の平穏を脅かしておいて、よく言うぜ」


 カタカタとパソコンをいじりながら、枯木は言い捨てる。SNSに綾の設定集でも投稿する気なのだろうか。


「——私は、お父さんにとって必要なはずだよ」

「なに?」

「言ったでしょ。私はお父さんのことをよく知っている。それこそ、あなたが私を描いてくれた日からのこと全て」


 貝塚綾の元となったキャラクターイラストの原点は、枯木が中学入学頃に描いたキャラクター。それを定期的に描いてはあげていたのだが、それが彼女の記憶として残っているらしい。


「お父さんは中学のトラウマを克服してると思ってるみたいだけど、実際はそうじゃないでしょ。まだ高校の友人を信じきってない。まだ……その心は固いまま」

「……いちいち人の黒歴史を掘り返すな。いいんだよこれで。中学の時とは違う。もう、そこそこの関係と地位をクラスで作ってる」


 中学のトラウマ。脳裏によぎる、当時の友人の——

 それを遮るように、そして囁くように、祈るように綾は後ろから彼を抱きしめる。


「あのね、私は、お父さんが好き。大好き。私を可愛く描いてくれて、ずっと描いてくれて、邪魔者になっちゃった私を、消そうとはせず設定の付け加えで容赦しようとしてるんだもん。とっても、優しい人」


 その言葉が、今の枯木にどのくらい届いているのだろうか。


「だから、私はお父さんと一緒にいたい。それに、お父さんに幸せになってほしい。みんなを信じて生きられるように、笑っていられるように」


 嘘を吐かれ、裏切られ、実は一方的に搾取されるだけの関係だった中学時代。誰も信じたくなくなった、あの日の最悪。もう、覚えていたくもない。


「私にはわかるんだよ、お父さん。あなたは——」


 そこで、枯木が震えているのに気がついた。やはり、私の思った通りだと、綾は一層切ない声で叫んだ。


「——仮初の信頼でいいなんて嘘っぱち。誰でもいいから、絶対に信頼できる人が欲しかった。虚勢も威勢も無勢も——全部いらない。そんな寄る方ない心の拠り所を欲してた……でしょ?」


 枯木は、なにも答えなかった。手を止めたまま、青白いモニターを見つめている。


「お父さん。私なら、私だけが“ソレ“になれる。お願い。私に、お父さんの支えになる権利を頂戴。それが、私の望みだよ」


 都合が良すぎる話だ。ご都合結構。こんな無償で無性に甘えたくなるような甘い囁きに、応じるわけが——


「だから、見返りももらう」

「……え?」

「どうせお父さん。タダより安いものはないとか思ってるんでしょ。だから、見返り」


 そっと離れて、枯木が振り返ったのを確認してから、優しく笑う。


「私は、みんなの妄想だからさ。お父さんが私を描いてくれないと、消えちゃうかもしれない」

「つまり……俺にずっとお前を書き続けろと?」

「定期的にね。そんなに間隔は短くなくてもいいよ。一ヶ月に一回くらいでも」


 手を伸ばして、問う。


「ねぇお父さん。私じゃダメなのかな。私じゃ、あなたの心の支えにはなれないのかな」

「俺は……」


 そこで大きく枯木が溜息を吐くと、立ち上がって綾に近づいた。

 何か、考えるように、決断するように重々しく綾を見つめて、少し静止する。それから、たっぷり五秒だけ待って、言った。


「……本当、最悪の日だぜ。マジで」

「にしし。ありがと、お父さん」


 嬉しそうに苦言を呈する枯木は、久しぶりに本心から笑ったように見えた。


 □□□


 翌朝、枯木は液タブで目を覚ました。綾はまだ枯木のベッドで寝ている。

 ……いや、決して良からぬことはしていない。ただ、昨晩はあのあとイラストを描き終わるまで一緒にいた綾が耐えきれず眠ってしまったのだ。枯木は通常通りだが。


「おはよう世界。今日は無駄に眩しいな」


 挨拶代わりにそう言い捨てると、枯木は綾を起こす。


「んぅ……? あ、お父さん。おはよ……」

「はよ起きろ。朝が弱い設定だったら書き換えてやろうか」

「やだぁぁ……お父さんに甘える……」

「顔擦るな顔! 髪ボサボサ!」


 そんな、いつもとは違う朝を迎えながら、二人は支度をして学校へ向かう。その間に何か会話をしたわけではないが、どこか心地よい時間を噛み締めながら、教室へと向かう。


「あーっ! 来た! しかも綾ちゃんも一緒に!」

「本当! お前許さねぇぞ彼女なんて作りやがって! 毎朝一緒に登校してさぁ!」


 ニヤニヤと指差す女子。涙と怒号を飛ばす男子。今日もまた、枯木たちは尋問に合おうとしていた。

 ……けれど。


「彼女じゃないって言ってんだろ。こいつは——」


 その場にいる全員へ向かって、枯木は目を向ける。


「——俺の家族だよ」


 そんな、まるで本心から思っているようなことを言って、彼は綾の手を引っ張った。きっと、誰も“貝塚 枯木“のことをわかっていなかっただろう。それこそ、彼をよく知る綾でさえ。


 彼の本心の言葉など、聞いたこともなかったろう。


 皆が唖然とする中、彼は綾の手を引っ張って人混みを抜けた。


「ほら、しっかりしろよ綾。まだ寝ぼけてんのか?」

「え、あっいや……?」


 ——義理の親子なんかじゃなく、家族として。そう認識された綾は、遅まきに嬉しそうに笑って、照れ隠しするみたいに顔を逸らした。

 そのままお互いの席に座る。隣同士な訳だが。すると、なにやら枯木がスマホを熱心に見ているようだ。


「ん、なに見てるの?」

「んー? SNS。通知が20+になったからウッキウキでこれを見るとこなんだよ。うっひょー! キタキタ! いいねたくさんキモチエー!」

「病気だなぁ」


 生きるSNS中毒重症者を前に、先ほどの感動が薄れていく。だが、そうも言っていられなくなる事態が発生した。


「キターッ! 一万いいね越えだッ!」

「え」


 嫌な予感がする。そう、まだ、綾しか気付けていない最悪の予感が。


「よーしお前ら。今日も転校生がいるぞ」


 そんな毎日いてたまるか! ソシャゲのログインボーナスじゃないんだぞ!

 そう心で叫ぶ綾は虚しく、隣の枯木はスマホを見つめうっとり顔。そして開け放たれた教室の扉からは——


「おはざすー。貝塚 葵でーす。ども」

「「「あ」」」


 三人の声が重なる。また悪夢を見ているのかと頭を抱える枯木。悪い予感が的中してしまった綾。新顔の美少女、葵。


「なぁ、綾……俺どうすればいいの……?」


 泣きそうになりながら縋ってくる父を、綾は憐れむような瞳で返した。


 私、お父さんの支えになれるのかな?


 またクラスメイトの尋問にあう枯木を遠い目で見つめながら、綾は意識を遠くへ飛ばした。

 どうか、私だけがお父さんの娘でいられますようにとだけ願って。

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俺の娘(義理)は元イラスト!? 雪味 @MuenSekai

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