心を読める陰キャとそれに惚れてる陽キャ

カゲツキ主任

卯佐見蓮華は静かに暮らしたい

 美しい手に執着した殺人鬼曰く、人は自分の心の底を『他人』に隠したまま生活している。

 とてもよくわかる。この卯佐見蓮華うさみれんげが、まさにそう感じるのには明確な理由がある。断じて、漠然とした感覚などではない。

 永遠に誰にも露見させるわけにはいかない『自分の本性』というものが、わたしには二つある。

 一つ目は、他人の心を読む能力を持っていること。眼鏡をかけなければ読み取ることすらできない制約はあるが、個人情報保護法を嘲笑えるほどに他人のプライバシーを侵害できる能力だ。

 二つ目は、美しい顔をした女が心の底から絶望した表情に性的興奮を隠せない、というサガを背負っていること。他人の心を読む能力はすなわち他人の秘密を暴く能力であり、わたしはこれを有効活用してたくさんの女が絶望するさまを『観察』して、その都度快楽に達していた。

 わたしは、永遠に誰にもそんな『自分の本性』を隠したまま一生をすごせるものだと思っていた。

 だって他人の心を読めるのだから、他人がわたしに探りを入れに来たのならすぐに対応できるはずだと、思っていた。

 わたしの能力が誰にも負けないほど強力無比なものだと思っていた。

 それが、全くの見当違いも甚だしいことだと気付かされる日が来てしまうまでは。


 ◇


 わたしの人生の師匠から言わせると、ホモサピエンスのオスは『数多くのメスに自身の遺伝子を残すべき』だというクソのような本能の奴隷でしかないという。

 眼鏡越しに読み取れる男子高校生の心が、そんな師匠の偏見を証明してしまっているのは、いいことなのか悪いことなのかはこの際どうだっていい。わたしにとって重要なことは、男子高校生も所詮は『数多くのメスに自身の遺伝子を残すべき』本能に隷属する雄猿めいた存在だということだ。

 話が回りくどい? なら簡潔に語ろう。

 どんなに可憐な女子高校生と恋仲にあっても、他の女子高校生と関係を持っている──つまり二股かけてるケースが当たり前のようにある。

 重要なのは、真剣に交際しているつもりだった女子高校生側に、『お前が付き合っている男は他の女に手出ししているクソ野郎なんだよバーカ!』と暴露してやれば絶望してくれること。スクールカーストの上位に立つ女子高校生でも、怒りより絶望が先行するのがいい。

 以上を踏まえた上で、わたしがやることは単純明解。

 その一、適当な男子高校生の心を読み、二股かけてるかどうかを探る。

 その二、デート中などの決定的な証拠写真を撮る。

 その三、ターゲットに二股の証拠写真を見せて絶望させ、その瞬間を撮影する。

 ね、簡単でしょう? わたしの持つ能力がなければ実行できないプロセスがあることを指摘されると困るけれど。

 もちろん抜け目ないこの卯佐見蓮華は、ときめきと微笑みのように二股の証拠写真をバラまき、『二股の決定的な証拠写真を撮った実行犯』を隠蔽することで、これまでこの方法でオカズ集めをしても一切怪しまれずにすごしてきた。

 そのはずだったんだけれどね。


「ねえ、卯佐見さんさ……」


 何の前触れもなく有無を言わさずわたしを女子トイレの個室に追い込んだ挙句、わたしからひったくったスマートフォンを片手で弄ぶ、眼前のクラスメイト。名前は確か、八雲絵梨やくもえり。六桁のパスワードを容易く突破して端末内部の画像フォルダを一瞥しながら彼女は続ける。


「なんであの子の写真撮ってたの? ほらこれ。しかもこれ、学年中にバラまかれた二股の証拠写真を見た瞬間のやつでしょ?」


 縦長の液晶画面いっぱいに映る、美少女の絶望に満ちた表情。わたしが求めてやまない、努力の末に手に入れたもの。

 どうしよう、濡れてしまった。何が濡れた、とは言わせない。何で濡れた、とも言えるわけがない。例えこの状況を切り抜けるためであっても。

 こいつは、八雲絵梨はスクールカースト最上位と言っても過言ではない立ち位置にいる、オタクっぽく言うなら陽キャの権化みたいなやつだ。いつかスキャンダル掴んで絶望させてやりたい程度には顔の造形が優良で、どんな食生活すれば維持できるんだと思えるようなスタイルやグンバツの足の持ち主、程度の認識だった。陰の者でも陽の者でもない、パッとしない立ち位置に甘んじるわたしみたいなのに対して、間違ってもこんな恫喝紛いのことをするやつじゃあないはず。

 こうなったら、この場でこいつの心を読んで脅すしかないじゃあないか……どうしようもなく腹が立ってくるが仕方ない。わたしのスマートフォンのオカズ満載の画像フォルダを漁られても困る。

 意を決して八雲絵梨の心を読んだ。特に、本人が知られたくないと思っている領域を、深く深く念入りに潜って読み取ろう……として気付く。あれ、比較的表層のこれはなんだ? 動揺の類みたいだが、とりあえずここから見てみるか。

 そして私は後悔した。


「(どうしよ私卯佐見さんとこんなに近付いちゃってるまつ毛思ったより長いし化粧はしてないけど手入れはしっかりしてるみたいだからお肌綺麗だし近付けてよかったじゃなくてこんな方法で近付いちゃったから卯佐見さんすごい警戒してるよどうしよどうすれば)」


 なんだお前その、恋する乙女が片想い中の相手に急接近しちゃいました、みたいなテンパり様は。

 そりゃ定期的に心の浅いところを読み漁って色恋沙汰でトラブっていたりしないか確認する度に全く成果なくて内心舌打ちしたことも何度かあるけど、なんでわたしなんかに好意を抱いているんだ。意味がわからない。フラグなんてどこにも立ってなかっただろうが。

 意味がわからないことこの上ないが、八雲絵梨が内心パニックになっているならチャンスだ。冷静さのない相手なんてどうとでもなる。スマートフォンを奪い返す手段さえ思いつけばこっちのもの。


「(ていうかこのフォルダに入ってる写真全部二股かけられてた子じゃない? なんで卯佐見さんのスマホの入ってるんだろう? もしかして……)」

「いい加減に返してくれない? わたしのスマホの中に何が入っていようが、そんなのわたしの勝手じゃない」


 まずい、すっかり忘れていた。わたしのスマートフォンには、オカズフォルダとは別に、二股の証拠写真をまとめて保存してあるフォルダがあるのだ。なんで律義に保存してしまったのかと後悔の念が湧き上がるが、いずれにしてもそれが見つかってしまえばもう、オカズ収集はできなくなる。そんな事態になってたまるか。

 女子トイレの個室という風情も何もない場所で、勝手に片想いしてくる女子相手に壁ドン──女子トイレの個室の扉にドンしたから壁ドンとは言わないんだろうけど──してみると、八雲絵梨の顔が見る見るうちに真っ赤になっていく。心を読むまでもない反応を嘲笑いたいところだけど、今はスマートフォンを奪い返すのが先だ。想い人に壁ドン紛いのことされた程度でフリーズしたおぼこな八雲絵梨の手から、いとも容易くスマートフォンを奪い返し、スカートのポケットにねじ込む。ここまではよし。

 残る問題は、内側からだと扉を引かなきゃ開けられない構造の女子トイレの個室に追い込まれていることくらいか。わたしと扉の間には八雲絵梨の身体が立っているため、このままでは構造上脱出することは不可能。

 はっきり言って邪魔だ、八雲絵梨。


「ほら、ホームルーム始まるから早く出るよ」

「…………その前に一つ、いい?」

「何さ」

「なんで卯佐見さんのスマホの中に、あの子の彼氏の二股の証拠写真まであるの?」


 フリーズから復帰した八雲絵梨の問いかけに絶望するしかなかった。

 どうしてわたしがこんな目に遭わなければいけないんだ。

 悪いのは二股かける男やそんなのに引っかかる女であって、第三者のわたしは関係ない。目の前のクラスメイトに糾弾される筋合いだってない。さっきみたいにシラを切って逃げ切ればいい。そうすればわたしの望む平穏は保たれるはず。

 そうやって、まだ逃げ道はあるのだと自分に言い聞かせているのに、太ももを伝う何かのせいで思考が止まってしまう。

 最悪だ。

 何がって、そんなの。

 八雲絵梨の瞳に映るわたしの絶望に満ちた表情で、達してしまった事実が、だ。

 おかげでこの場を切り抜ける冴えた一手が思い浮かばない。


「……秘密にしてくれるなら、話す」

「(ひ、秘密!? 卯佐見さんの!? それってすごいことだったり……! わ、私と、卯佐見さんだけの秘密……うへへ……!)」

「……………………」


 永遠に誰にも『自分の本性』を隠したまま一生をすごせるものだろうか? という問いに対し、この卯佐見蓮華は明確な解を得た。

 それは無理に等しいことだ、と。


 ◇


 永遠に誰にも露見させるわけにはいかない『自分の本性』を、よりによってスクールカーストの最上位者に赤裸々に語ることになってしまったわたしは、それはそれはもう恥ずかしさのあまり顔から火を吹いてしまいそうとしか言えない気分だった。

 いくらわたしに対して好意を抱いているような内心を読み取れた相手とはいえ、わたしのこのサガを目の当たりにすれば嘲笑か軽蔑かその他諸々を抱かずにはいられないだろう。他人の持つ特殊な性的嗜好なんてそんなものだ。


「卯佐見さんは、さ。その……えっちな気分になれるから、色んな人の二股を暴いてきたんだよね」

「幼児を諭すような物言いはよしてくれないかな。八雲さんとこのグループで、彼氏とセックスしたセックスしてないみたいな下世話な話が出てないなんて言わせないよ。八雲さんだってそういう話に相槌打ってたの知ってるからね」

「私だって本当はそういうこと話したくないの!」


 この学校のチアリーディング部所属の女子生徒は大抵彼氏持ちで、それらに関する惚気や愚痴や本当にしょうもない下世話な話で更衣室が充満していることを私は把握していた。そんなチアリーディング部に所属している八雲絵梨は彼氏を持たない例外の一人なのも把握していた。

 言い方を変えよう。

 恋愛経験がない上に性別を問わず恋人がいないのは八雲絵梨ただ一人。チアリーディング部所属の女子同士でお付き合いしているのとか、二股かけられていた事実をわたしにバラされてたのに懲りずにまた男と付き合っているのとか、そんなのがいる中で、だ。

 おかげで八雲絵梨のスキャンダルを掴めなくてイライラさせられたが、シモの話が苦手な上にわたしなんかを懸想していたのなら納得はいく。『自分の本性』を白状しなきゃあならない顛末を引き寄せてきた遠因なのはムカつくが。

 羞恥心を抑え込もうとしてもじもじする姿を見せる八雲絵梨は、やがて意を決してこんなことをのたまってくれた。


「わ、私のこともえっちな目で見てた、んだよね……?」

「自慰のために他人のバラされたくない事実をバラす女相手に聞くことがそれ?」


 目の前の相手が恋愛的な意味で脈があるかどうかを測るかのようなニュアンスで聞くことじゃあないだろう。


「質問を質問で返さないでよ。私のこと、えっちな目で見てたの?」


 セリフは強気だが言葉尻が明らかに震えている。そんなに恥ずかしいなら聞かなくてもいいだろうに、と思うが、当の八雲絵梨はこの質問にわたしがどう答えるかが気になって仕方ないらしい。

 オカズの一件を赤裸々に語ってしまった以上、この答えをはぐらかす必要性は感じられないので素直に答えることにしよう。


「八雲さん美少女だし、いい表情見せてくれるだろうなあと思ってたよ。機会に恵まれなくてじれったかったし」

「ふ、ふーん……」


 わたしの率直な言葉を聞いた八雲絵梨の、口頭でのリアクションも心の中でのリアクションも、明らかに喜色に満ち溢れていて、ちょっと引いた。

 お前がちょっと気になっていた女はな。美しい顔をした女が絶望した瞬間を切り抜いて、それに性的興奮を催すような女なんだぞ。それを白状したというのに、なんで恋愛的な意味で脈があるのだと舞い上がっているんだ? 嘲ることも軽蔑することも唾棄することもせず、ちょっと驚いただけ、というのも完全に予想外だ。

 いやいや、そうじゃあないだろわたし。重要なのはそこじゃあない。

 わたしは今、他人の秘密を暴いて回る悪行と生まれ持ったサガとしか言えない特殊な性的嗜好を、他人に知られてしまい、チェスや将棋でいう『詰み』にはまったのだ。英語で言うとチェックメイト。

 『秘密にしてくれるなら』と前置きして語った、わたしが必死になって隠してきた秘密を、目の前で浮かれている八雲絵梨が律義に隠す義理はない。彼女の意思一つで、ときめきと微笑みのように街中にバラまくことだってできる。秘密をバラまかない代わりに、奴隷にも劣る扱いをわたしに強いることだってできる。ちょっと考えれば思いつく事態はこんなところか。熟考すればするほど最悪の可能性はどんどん浮かぶだろう。八雲絵梨がわたしに好意を抱いているという事実を考慮しても、だ。

 植物の心のような人生と言えばいいのか、そんな平穏な生活を目標に生きてきたわたしの、これまでの努力が水泡に帰した事実を、絶望と言わず何と言おうか。

 下着がこれ以上ぐずぐずに濡れるのも癪なので、わたしは八雲絵梨の瞳から目をそらした。八雲絵梨の瞳に映る、わたしの絶望の表情にすら発情してしまう自分のサガを、今日ほど呪ったことはない。

 起こり得る最悪の事態を想定する脳と、異様に熱を発している気がする下腹部の、ちぐはぐにもほどがある自分の身体の状態に呆れ果てる。自分のサガに正直すぎる生き方も考え物か。

 わたしがここまで思考を回す間、八雲絵梨も何を口に出そうか悩んでいたらしく、口をつぐんでいた。たかが数秒のことだが。


「(これってもしかして、チャンスだったりするのかな……いや、でも、卯佐見さんがこっち側とは限らないし……)」


 マジで何を言おうとしているんだこいつは。


「そろそろ本当にホームルーム始まるから、言いたいことがあるなら早く言ってほしいんだけど」

「……卯佐見さんは、さ。女子から告られたら、どういう反応する?」

「相手によるとしか。むさくるしい男子よりかは嬉しいと思うよ」


 これまで読んできた心の様子と、今しがた投げかけられた問いから、八雲絵梨が何をしようとしているかの想像はできた。もしわたしの想像通りなら、わたしの損害は思ったより軽微なものになるかもしれない。

 八雲絵梨は深呼吸し、それから暗闇の荒野に進むべき道を切り開きそうなほど強い覚悟を顔ににじませた。


「私、卯佐見さんのことが好きなの! 付き合ってくれますか!?」


 八雲絵梨は私の想像通り、私に告白してきた。わたしがここでノーを突きつければ彼女の口が水素より軽くなりかねない以上、わたしの答えはただ一つ。


「いいよ。わたしたちが『そういう』関係なのを秘密にしてくれるなら、だけど」


 花のような笑みを浮かべた八雲絵梨は首肯する。

 狭苦しい女子トイレの個室で繰り広げるには、あまりに相応しくない馴れ初めになってしまったが、八雲絵梨はいいのだろうか。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る