倉庫 短編賞創作フェス2023

あつべよしき

(1回目お題『スタート』)ピストルはフライングの合図

ピストルの弾ける音が合図だった。


***


全力で腕と脚を振る。一歩でも速く、遠く、脚を前へ、走る。


肺が割れそうだ。吐く息が熱い。風は冷たくて、耳に痛みを刺す。髪が鬱陶しい。


どうして、もっと頑張らなかったんだろう。陸上部を辞めてからも、もっと走っておけばよかった。


そんな時間も、余裕もなかったか。


嫌だ、嫌だ、嫌だ。絶対に逃げ切るんだ。


後ろを見てしまう。追いかけてくるやつと目が合う。なんでそんなに必死なんだ。お前、何なんだよ。見たことあるぞ、多分。


うるさい、うるさい。止まってやるもんか。


足がもつれる。


ダメか。


捕まった。


***


取り調べはまだ慣れないし憂鬱だ。知人だと分かった相手なら尚更。


「どうして父親を殺したんですか」


対面に座る女性を見る。


俺も所属していた陸上部のみんなが憧れていた女性ひと。顔立ちは卒業の頃からそれほど変わっていないのに纏う雰囲気は面影も残らないほど陰惨なものになっていた。


「先輩はエースだったじゃないですか。それが、こんな…」

「どこかで見たの、気のせいじゃなかったんだ。警察官っていいね、すごいじゃん」


くっくっく、と声を出す。余裕ぶって見せるための余裕のない笑い。それから先輩が何か言おうと口を開いたとき、互いにどこか逸らしていた目線がはっきりと合ってしまった。


「そんな顔しないでよ、泣きたいのはわたしの方」


表情を出すまいと顔に力を込めていたのが、かえって良くなかったらしいと、言われてから気づく。


沈黙から取調室の空調が大きく聞こえるようになった頃、先輩は大きく息を吐いた。ぶら下がった電灯をぼうっと見やりながら、彼女はポツリポツリと語り始めた。


中学に上がる頃、父親を見限り母親は出て行ったこと。気晴らしに始めた陸上がとても楽しかったこと。続けるために大学に行く方法が陸上の推薦だけで、そこそこの成績を修めたつもりだったが顧問から推薦はもらえなかったこと。


卒業後、様々な仕事をした。昼もも。銃は客の一人から戯れにもらったものらしい。


生きることに、わずかな悟りと山ほどの諦めを抱いた頃、父親が推薦を与えないように顧問を脅したと知る。親子は離れないべきだとか、大学はかえって人間の出来を悪くするとか、言い訳にもならない理由だったらしい。


そして、銃をもらったことを思い出した時に、殺した。


「結局うまくいかなかったけれど、新しくわたしの人生を始められると思ったんだ」


最後に先輩はそう呟いた。

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