8.料理苦手女子が作るたまご雑炊
気まずい?
「ブラと水着が同じって……。さすがに無理があるでしょ、心理的に」
定時過ぎの事務所。溜まった事務作業を片付けながら、実久がもっともな意見を述べる。
「ですよねー……」
はぁ、というため息が私の口から洩れる。資料作成が終わらず、残業確定で余計に気が重い。
「下着姿見られて、気まずいならさ」
「はい」
「最後までいっちゃえばいいじゃない」
バチバチと高速でブラインドタッチしながら、実久がさらりと言う。
最後……。
一日酷使した脳みそが彼女の台詞をうまく処理できず、しばらくぼんやりと考え込む。
「さ、ささささ、ごっ! ごほっ……! 最後!?」
意味が分かった瞬間、大きく咳き込みながら動揺した。
「そしたら、気まずさなんて吹っ飛ぶから!」
わはは、と豪快に笑う実久に、なんと返事をすればよいか分からず、私は黙り込んだ。
仕事と同じく猪突猛進さをプライベートでも発揮した結果、彼女はバツ3になっている。婚姻関係に至るまでに破局した相手もかなりの数なので、相当な経験値を誇っている。
対して私は経験値ゼロなので(ぜんぜん誇れない)、彼女のアドバイスを聞き入れても、問題は解決しないと思う。
そもそも郡司相手にどうこうなんて、なりようがない。だって年下だし。不愛想だけどイケメンだし。料理上手で実家は裕福。わんこを可愛がるというチャームポイントも兼ね備えている。
『こっちにも選ぶ権利あるんですけど?』
頭の中の郡司が、もっともなことを言っている。私はすかさず、おっしゃる通りです、と心の中で返しておいた。
「せっかく、良い関係だったのにな……」
スタッフと客から始まり、ちょっとした友人? のような関係になっていたように思う。これには、わたあめの力添えも大きい。
一緒に散歩をしたかった。ふたりと一匹で。
「連絡してみよう」
ぎくしゃくするのは嫌だったので、何でもない風を装って「体調はどう?」とメッセージを送ってみた。ごく普通にやり取りができれば大丈夫だろう。浅い呼吸を繰り返しながらスマートフォンを握りしめていると、返信があった。
『しんどい』
素直なところに、彼の体調の悪さを察する。ちょっとしんどいくらいなら、「別に」とか「ふつう」とか、そういう類の返事をすると思う。
『ごはん、食べられる?』
『ハラ減ったけど、食いもんない』
そういえば今朝、冷蔵庫を開けた際、わたあめ用の食材のほかにめぼしいものはなかった。
『仕事終わったら、いろいろ買って持って行くから』
『うん』
郡司からの返信を確認して、さっとスマホをデスクに置く。
さっきまでのやる気の無さが嘘みたいに、全身から力が漲ってくる。細胞ひとつひとつが、仕事モードに切り替わる。
「相手は何だって?」
ちらりと視線をあげる実久に、郡司とのやりとりを明かす。
「ささっと仕事を終わらせて、買い物をしてから家に行きます。わたあめの夜の散歩も行かないと!」
シュバババッと資料をめくりながらパソコンに向かう私を見ながら、実久が「わたあめ?」と聞き返す。
「わんこです! ビションフリーゼなんですけど、すっごく可愛いんですよ」
「買い物して、散歩ねぇ……」
「困ったときはお互い様ですから」
「まぁ、お節介気質な杏らしいけどね」
そう言って、実久が肩をすくめる。
気まずい雰囲気になるのでは? と心配していたことなどすっかり忘れて、私は怒涛のブラインドタッチを試みた。ときどき打ち損ねる瞬間があって、それがもどかしくて仕方がなかった。
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