婚約者を妹に奪われた私は、メイクで別人になって再び婚約者に近づきます~目的はもちろん復讐のためですよ?~

夏芽空

【1話】婚約破棄と復讐の決意


「シルフィ、君との婚約を破棄させてくれ。……ごめん」


 春風舞う夕暮れ時。ルプドーラ男爵邸、ゲストルームにて。

 シルフィ・ルプドーラ男爵令嬢は十七歳の誕生日を迎えたその日、婚約破棄を言い渡された。

 

 申し訳なさそうに婚約破棄を言い渡してきたのは、シルフィの一つ歳上の婚約者、グレイ・ジグルド。

 潤沢な財産を有している、ジグルド伯爵家の長男だ。

 

 二人は、五年前から婚約している。

 

「理由をお聞かせいただいてもよろしいですか?」


 押し殺したようなシルフィの声が、閉ざされたゲストルーム内にじわりと広がる。

 

 実のところ、シルフィは理由に察しがついている。

 だから、この問いはまったくの無意味。

 それどころか、グレイの口から答えを聞けば、さらに傷口が広がってしまうと分かっている。

 

 それでもシルフィは、聞かずにはいられなかった。

 

 気まずい沈黙が流れる。

 息の詰まるような空気がしばらく続く中、グレイはゆっくりと口を開く。

 

「……実は、君より好きな人が出来たんだ。その人と婚約しようと思っている」

「どなたですか?」

「えっと、それは――」

「私ですよ、お姉様」


 笑顔でゲストルームに入ってきたのは、シアン・ルプドーラ。

 シルフィの二つ歳下、十五歳の妹だ。

 

 滑らかな金色の髪に、くりくりとした緑色の瞳をしている。

 庇護欲をそそる甘くて可愛らしい顔立ちは、まるでフワフワのホイップクリームのよう。

 

 銀の髪に青い瞳のキリっとした顔立ちをしているシルフィとは、まったくの正反対だ。

 

(……あぁ、やっぱりそうなるのね)


 シアンとグレイがただならぬ関係であることに、シルフィは薄々気づいていた。

 

 二人の関係を疑い始めたのは、今から半年ほど前。

 シアンとグレイが、初めて顔を合わせた時からだ。

 

 その日を境に、グレイの様子がおかしくなった。

 

 話を振っても単調な返事しか返ってこなくなったし、デートへ出かけてもどこか上の空。

 たまにグレイの方から話を振ってくるも、それは全てシアンについてのことだった。

 

『二人のデートもいいけど、シアンがいたらもっと楽しいよね』

『次デートする時は、シアンにも声をかけておいてくれない?』

『シアンの誕生日っていつ? 彼女が好きなものを教えて』

 

 それから少しして、シアンとグレイは頻繁に顔を合わせるようになっていった――二人きりで。

 

 裏切られたのは明らかだった。

 それでもシルフィは、グレイのことを心のどこかで信じていた。

 

 絵を描くのが好きな、思いやりのある優しい男性。

 両親と妹がシルフィに冷たく接する中、グレイだけはいつも温かった。

 そんな彼との思い出が、いつか自分のところへ戻って来てくれる、という根拠のない希望を抱かせた。

 

 だからシルフィは、根拠のない希望を信じて耐えてきた。

 けれど、それももう終わりだ。

 

(グレイ様の心には、もう私は映っていないのね)

 

 彼の口から婚約破棄という言葉を聞いて、ハッキリと分かった。

 

 放心状態のシルフィに、シアンはニヤニヤと口角を上げる。

 

「悪いとは思いますけど、これも仕方のないことです。だって、私の方が遥かに可愛いのですから」

「……」

 

 シルフィは反応できない。

 今はもう、いっぱいいっぱいだった。


 それを気にもかけない様子で、シアンは次の話を始める。


「学園への送り迎えについて、お話があります」

 

 シルフィ、シアン、グレイ、三人とも学生をしている。

 それぞれ学年はバラバラだが、全員がジョセフィリアン学園の生徒だ。

 

 ジョセイフィリアン学園は貴族のみが通う学校で、十五歳を迎えた春に入学し、十八歳の春で卒業する。

 一年前に入学したシルフィは、毎日グレイの馬車で送り迎えをしてもらっていた。

 

「明後日の休み明けからは、お姉様に変わって私がグレイ様に送り迎えしてもらいます。お姉様はお一人で登校なさってくださいね。もし寂しいようなら、私達と一緒の馬車に乗りますか?」

 

 シアンがクスクスと笑い声を上げる。

 

「お、おいシアン。それはちょっと……」

「冗談ですよ。まさか、本気になさったのですか?」

 

 グレイ様かわいいです、とシアンは嬉しそうに声を弾ませた。

 

「なんだ、冗談か……。良かったぁ」

 

 安心した顔で、グレイは安堵の息を吐いた。

 

「それでは失礼します。新たな婚約者探し、頑張ってくださいね。お姉様のこと、陰ながら応援しています」


 最後に満面の笑みを浮かべ、シアンは部屋を去って行く。

 その笑みには、たっぷりの嘲りが浮かんでいた。

 

「今回の件は本当にごめん」


 深く頭を下げるグレイ。

 茶色の髪がバサリと揺れる。

 

 シルフィは何も言えなかった。

 応えるだけの余裕なんて、微塵も残っていない。

 

 しばらくして、グレイが頭を上げた。

 ブラウンの瞳を細め、彼は優しく微笑む。

 

「シルフィは素敵な女性だ。だから、良い人にきっと巡り合えるよ。それは僕が保証する」


 そう言い残し、グレイは部屋を出て行った。

 

 一人きりになったゲストルームで、ポツンと立ち尽くすシルフィ。

 

「本当は明日も会いたいのだけど、パパとママとお出かけしなければならないのです。ごめんさなさい」

「いいよ、気にしないで。シアンは家族想いの優しい女の子だね」

「お優しいのは、グレイ様の方ですよ」

 

 扉の外から聞こえてくるのは、仲睦まじく言葉を交わすシアンとグレイの声だった。

 

 シルフィの青い瞳からこぼれ落ちた涙が、学生服に透明な染みを作る。

 

(嫌だ……そんなの聞きたくない!)

 

 これ以上ここにいるのが耐えられなくて、シルフィはゲストルームを飛び出した。

 

 階段を駆け上がり、私室へ飛び込んだ。

 そのままベッドに仰向けで倒れ込み、顔に枕を押し付ける。

 

「うわぁぁぁあああん!!」


 大声で泣き叫ぶ。

 

「好きだった……! 私、本気だったのに! ひどい……こんなのひどすぎるよ!!」

 

 心を弄ばれた悲しみと絶望が、一気に押し寄せる。

 声も涙も、その全てが顔に押し付けた枕に吸いこまれていった。

 

 

 そうして、体の水分全部を出し切ったくらいに泣きはらした頃。

 

「ふざけんじゃないわよ!」

 

 立ち上がったシルフィは、部屋の壁に向かって枕をぶん投げた。

 

「姉の婚約者を奪っておいて、罪悪感一つ感じてないとかありえないでしょ! それに、グレイ様もグレイ様よ! 謝って、最後に良い感じのことを言えば丸く収まると思ってるの!? 何が『僕が保証するから』よ! どこまで上から目線なの!!」


 腹の中に溜まっている熱いものを、一気に吐き出す。

 シルフィが今感じているのは、沈むような悲しみでも、死にたくなるような絶望でもなかった。

 

 激しい怒りと、深い憎しみ。

 その二つの感情のみが、シルフィの体をくまなく満たしている。

 

 壁に飾ってあった紙をはがし、グシャっと握りしめる。

 その紙に書いてあるのは、シルフィの似顔絵。

 絵を描くのが好きなグレイが、昨年の誕生日にプレゼントしてくれたものだ。

 

「シアン、グレイ様……このまま幸せになんか、絶対にさせるものですか。私の心を弄んだ償い、きちんとしてもらうわ」


 鋭く尖る青い瞳には、復讐の炎がメラメラと燃え盛っていた。

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