クロユリに侵されて

甘恋 咲百合

第1話 絶望

私の人生は先の見えない暗闇の中にあった。


私の父は産まれた頃から酒にギャンブル、薬にまで手をつけ最悪だった。


いつもいつも家には父の罵詈雑言と母の悲痛な声…。癇癪を起こして刃物を振るったりすることも日常茶飯事だ。


もちろん私は学校には行けず、父の遊ぶ金のために母は毎日遅くまで仕事で使い潰される日々。うんざりだった。


いったい私たちはなんのために生きているのだろう。


そんなある日、父の昼ご飯を買いにコンビニへ行き家に入ってふと、リビングの方を見ると床に赤いものが点々と続いていた。


「お母さん…!」


そこには血を流して倒れている母の姿があった。

既に呼吸はしておらず、冷たくなっていた。


パニックを起こしていると背後からねっとりとしたいつまでも耳に残る声が私の全身を奮い立たせた。


「ま〜ゆちゃん?」


振り返ると、父が血の着いた包丁を持って私を見下ろしていた。


次の瞬間、父は私に馬乗りになり、包丁を振り下ろした。


痛い…痛い…痛い。

お腹からドクドクと血が流れる感覚はとても不快だった。


母はこんな苦しみの中果てたのか、そう考えるとこの男に憎しみの感情が溢れるがもう身体に力が入らない。


そのまま私の意識は本物の闇の中へ落ちていった。





――どれくらい時間が経ったんだろう。


私は暗闇の中で差し込んできた光で目が覚めた。


辺りを見回すと知らない家?あの家とは全然作りも違う家で私はベッドに横になっていた。


「トリス、大丈夫?凄くうなされていたけれど?」


声がする方を見るとそこには明らかに人間ではない見た目、大まかには人間のような見た目ではあるもののそれには角と尻尾が生えていた。


「……ここは?」


単純な疑問だった。

すると私をトリスと呼んだ女性が私を抱きしめてきた。


「良かった…急に苦しみだして2日も目を覚まさなかったのよ?本当に良かった」


わけが分からないまま私はベッドから起きてとにかく外に出ることにした。


まだ朦朧としているのか脚が思うように動かなかったから、この女性に手を借り、玄関ドアを開けるとそこは私が過ごしてきた世界とはまるで違っていた。


整理がつかないまま私は疑問をぶつけていた。


「ここは何処ですか?」


その問いに女性は、不思議そうな顔で「竜人族の村」と応えた。


竜人…つまりここは私が過ごしてきた世界とは別の世界、なぜそんなところに私が?

そう考えていると、遠くからこの女性のように角と尻尾…だけでなく翼の生えた女性がやってきた。


「ひぃ…!」


その女性は手に斧を持っていて私は父に殺された時のことを思い出し、反射で身構えてしまった。


「もう!カミィ!トリスの前で刃物を持たないでっていつも言ってるでしょう!」

「ご、ごめんごめん、トリスが立ってるのが見えていてもたってもいられなくって…」


そういうとカミィと呼ばれた女性は斧を倉庫に収め戻ってきた。


「ごめんトリス…刃物系昔から大の苦手だったのに、迂闊だった」


そういうとカミィは深々と頭を下げてきた。

すると、わたしといた女性が私の頭を撫でてきた。


その瞬間、私の知らない記憶が頭に流れ込んできた。


おそらくこの世界で、この「トリス」と呼ばれる人が過ごしてきた記憶…その記憶はどれも温かいものだった。


「あれ…」


前の世界では感じられなかった温かさ、それに思わず涙が頬を伝っていた。


急に泣き出したものだから2人はあたふたして、家に入ってひとしきり撫でたり抱きしめられた。


その感覚もまた温かくて、しばらく涙は止まらなかった。




ようやく泣き止んだ私にカミィさんたちはご飯を用意してくれた。

前は冷えたパンばかり食べていたから、芯から温まるようでまた涙が溢れる。


その姿を見て2人は何も言わずに私に寄り添ってくれた。


「ありがとう」

「いいのいいの、私ら友達じゃん?」

「辛い時は家族と友達!それと美味しいご飯があれば何とかなるのよ」


そうか…この人はトリスの、私のお母さんだったのか。


その日は泣き疲れて寝てしまっていた。

こんなに温かい世界があるなんて思いもしなかった。


次の日からは前日が嘘のように私はお母さんやカミィ、村の人たちと過ごした。


前世のお母さんと一緒じゃないのが少し悲しいけど、お母さんの分まで生きようと思った。


お母さんの分まで生きて…私は幸せに生きたことを伝えたい、そんな生き方がするのが今の私の目標だ。


最初は混乱したけど、みんなと過ごすうちに竜人の生活にも慣れ始めた。




――しかし、そんな生活も長くは続かなかった。


この世界に目覚めて1ヶ月ほどした頃、いつも通り仕事をしてお昼ご飯を食べている時だった。


どこからかそれは訪れた。

重厚な鎧を身に纏ったそれは区別なく、容赦なく私たちの村を焼いていった。


もちろん家だけで許される訳もなく、お母さんも、カミィも、村の人たちもみんな殺されていった。


そんな地獄絵図の中、私は震えながら逃げた。

大切だった、大切にするはずだった人たちを見捨てて1人逃げてしまった。


それは2日ほど近くを拠点に辺りを焼いた。

私は震えながら洞窟で過ごし、それがいなくなるのを泣き声を堪えながら待った。


ようやく騒ぎが収まり、村だった場所に戻ると何もかも無くなっていた。


村が、お母さんが、カミィが、やっと掴んだはずの幸福は脆く、跡形もなく家だった残骸と、死体だけだった。


「お母さん…カミィ、みんな…」


またも私は全てを失った。

愛する人も友人も、何もかも――泣いてどうにかなるはずがないのに私は泣いた。


泣いて、泣いて、泣いて――それでも涙と悲しみは止まらず、やがて雨が降り始めた。


もう、涙なのか雨も分からないほど、私は絶望した。


この世界も残酷なのは変わりない、私のこの一幕の幸福はその一部だっただけなのだと痛感した。


やがて雨も止んで、涙も枯れた私は、死んだみんなを埋葬して村から出た。


行く宛ても、帰る場所も無くした私は生気なく歩き続けた。


歩いて、歩いて、歩いて――


お母さんのご飯が食べたい…カミィと遊びたい…そうやって無い物ねだりをしながら私は力尽きて地面に倒れた。


あぁ…私は二度目の人生もこんな虚しい終わり方をするのか、私の居場所はどこにあるんだろう。


しかし遠のく意識の中で、かすかに声が聞こえた。


それはだんだん近づいてきて、おそらく私の目の前で止まった。


「――丈夫ですか!しっかりしてください!」

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クロユリに侵されて 甘恋 咲百合 @Amayomi

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