RUNNING TO HORIZONs 

隅田 天美

正しい地図だけを求める、そんな君はいらない

「あれ? 珍しいな、雪じゃなく雨かいな?」


 名前のない暖簾を雨から避けるように軒下にかけるために割烹着を着た女性はサンダル履きのまま外に出て、外に出していた暖簾に手をかけた。


「こんばんは……やぶ遅くに申し訳ございません。何か、体が温まる食べ物はありますか?」


 レインコートをぴっちり着こなした、ソフト帽をかぶった男が女性に声をかけた。


「へ、へえ……今、『お父ちゃん』がおらんので簡単なものだったらうちが作りますが……」


「そうですか、ありがとうございます」


 ソフト帽を男はゆっくり上げた。


 少し女性が目を丸くした。


 顔が両生類みたいだ。


 正確には蛙そのもの。


「あのぉ、失礼ですけど……もしかして『深き者ども』さん?」


「はい……普段はその名前ですが、それだと少しややこしいですね……自分は『ダノン』とお呼びください」


「『ダゴン』ではなく?」


「それは上司の名前ですので……」


「と……とりあえず、中へどうぞ」



 中は、質素な食堂だ。


「これで体を拭いてください」


「ありがとうございます」


 タオルを出す女性にダノンは丁寧に礼をしてコートを外した。


 スーツもきっちり、着こなしている。


 すると、足元に、隠れていた女の子を見つけた。


 

 この世界では、人間は歳をとればとるほど肌に張りが出て、体が小さくなる。


 そして、赤子の姿になり、産まれる状態になったとき、全ての記憶や思い出を捨てて地上に転生する。


 

 白いワンピースを着て、おどおどしている少女に女性は近づき、優しく笑いかけた。


「お腹、空いてへん?」


 だが、口では答えない。


 代わりに可愛くお腹が鳴った。


「よっしゃ、おねぇちゃんがいっとう美味しいもん作るわ!」



 ダノンはメニューと値段をマジックで書いて張った札を一つ一つ丁寧に見ている。


 少女はずっとそわそわしていた。


「はい、おまっとうさん!」


 アルマイトで出来たお盆で持ってきたのは白磁の丼に入っているカレーうどんだ。


 ただ、茶色いというより赤い。


「キンキンに冷えた冷水もたっぷりあるさかい、汁もどうぞ!」


「……いただきます」


「いただきます」


 ダノンと少女はまず、汁を啜った。


 辛い!


 胡椒やカイエンペッパーを使った本格的なカレーだ。


 だが、鼻から抜けるのはちゃんと昆布と鰹節、干し椎茸、煮干しなどからとった本格的なうどんの汁の匂い。


 うどんを啜る。


 粉と塩水だけで作った生地を足で踏んだ本格的なうどん。


--すごい!


 ダノンは感動した。


 実に食べることが楽しい。


 美味しい。


 だが。


 だが、女の子が食べるのにはちと辛すぎる。


 横目で見ると、女の子は、渋い顔で箸を片手で持って眉間にしわが寄っている。


 と、テーブルをはさんで前の椅子に女性が座った。


「このうどんな、あのロクデナシ死神の好物なんやで。いっつも、仕事帰りでグダグダ愚痴言いながら食うんや。しかも、完食するんや」


 女の子は、少し、女性とうどんを見比べて、一気にがっつくように食べ始めた。


 その迫力にダノンすら驚いた。


 数分後、女の子は完食した。


 そして、話し出した。


「あのね、おねえさん」


「何?」


「……『しにがみとのけいやく』っていうのは、じゆういしなの? それとも、ぎむ?」


 すぐに女性は答えない。


「答えないとだめ?」


「……」


 ダノンは汁を横で啜りながら女の子を見た。


 よく見るとワンピースにカレーの汁が点になって染みついている。


「もしも、しにがみとのけいやくがじゆういしでもぎむでも、もうしこんだのはわたしだからどんなかみさまにさからっても、わたしはかれをあいします!」


 その言葉に、女性は頷いた。


「じゃあ、答えるね。彼もあなたに心底惚れて愛して人間になるの。誰も強要していない、彼自身の意志よ」



 いつの間にか、外の雨は止み、乾いたレインコートを腕にかけたダノンは相応の金と礼をした。


「大変美味しかったです。こちら、名刺になります。中央部に何かご相談がりましたら、こちらへご連絡ください。誠心誠意、対応させていただきます」


「ありがとうございます」


 と、女の子が手を差し伸べた。


「ありがと」


 その言葉に女性も手を握った。


「うちもありがとうな。あんさんなら大丈夫やで」


「うん」



 二人が去ったあと。


 どれぐらい、時が過ぎただろう?


 裏路地には、その日に限って、誰も来なかった。


 女性は、ただ、立ち尽くしていた。


 二人の蜃気楼があるように、ぼんやり路地のかなたを見る。


「おい、どないした?」


 気が付くと目の前に甚平を着た男性が立っていた。


「うわ、お父ちゃん! 気配断ちしないでや!」


「気配断ちも、何もしてへん。お前がぼんやりしていたんや」


 男性が最初に話した。


「今日は辛かったでぇ。あのバカを狙った自称『神』連中に絡まれてなぁ、久々に『本性』を少しだけ出したわ……人間形態も便利やけど肩凝るわぁ……なんか、お前、元気ないけど、どした?」


 女性は、少しうつむいて事の経緯を話した。


 そして、こう言った。


「実はな、お父ちゃん……うち、最悪なことをしたんや」


「最悪なこと?」


「あの女の子のカレーうどんだけほんの少し辛くさせた……自分でも最悪だと思う。でも、あの女の子がに奪われるのが……辛かった……もう、うち、女神なんて……」


 コンクリートの道に涙がぽたぽた落ちる。


「ええんやないけ?」


 その言葉に女性は顔を上げた。


「あのな、『良薬口に苦し』や。あの神様を語りよった連中も甘言で人間を惑わした。辛いことを知っている分、お前は強くなる。師匠であるワシがいうんやから間違えないし、確信した……まあ、頑張りや」


 男性が肩を叩くと女性は大きな声で泣いた。


 

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RUNNING TO HORIZONs  隅田 天美 @sumida-amami

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