第17話 コンサルタントにならないかい?

 明日から春休暇、寄宿学校にいる学生たちは皆浮かれている。


 カフェでテーブルに契約書を置き、ああでもないこうでもないと語るアーサ、カルロ、レヴィを除いて、だ。


 突然、カルロとレヴィルスがくしゃみをする。


「へぷし!」

「っぷしゅ!」


 何かの前触れか、と思わなくもないが、アーサはそんなことよりも目の前の契約書のほうが重要だ。


「二人とも、神のご加護がブレスあらんことをユー。とりあえず話を元に戻すけど」


 形式的な慰め文句もそこそこに、アーサは契約書の文言を人差し指で指し示す。


「この契約書、国際博覧会エキスポジションの売上で勝ったほうと婚約するって書いてるんだけどさ」


 カルロは何がおかしい、とばかりに堂々としている。


「いいだろ? 公平かつ平等な条件だ」

「それはカルロとレヴィルスの間でだけだよね? 私の意思は無視されてるよね?」


 レヴィルスはというと——どうせカルロの意見と同じだ——アーサを説得にかかる。


「でもアーサ、考えてほしい。僕たちのどちらかと結婚することは、ニーフィンガル男爵家にとって利益しかない。それは君も承知していると思う」

「……まあ、そうだと思うけど」

「新たに婚約さえ決まればニーフィンガル男爵を安心させられるし、君もそれは同じだろう。ただ」


 どうしたのだろう。レヴィルスは歯切れが悪い。


 アーサは気になって、問いかける。


「ただ、何?」

「君が幸せになるためには誰と結婚すべきか、ということだ」


 それは意外だった。もっと意外なのは、カルロもそれに同調したことだ。


「それは重要だな。安心しろ、アーサ。俺は契約書に反することはしない」


 カルロはペンで、契約書の文言をさらさらと書き換える。大胆な性格に似合わない繊細な文字は、彼の教養の高さを伺わせる。


「これでいい。勝ったほうは婚約する権利を、お前を幸せにする義務を得る。はっきり言って、俺たちが今ここでいくらお前を好きだって言ったって、お前は信じないだろ?」


 むう、とアーサは頬を膨らませる。


 確かに、アーサは二人をそこまで信じているわけではない。二人はいい人だ、それは分かっているが、恋愛となるとまた話が違うし、結婚となるともっと話が違う。安易に信じていいのか、アーサはいつも心の奥底でそんな不安を持っていた。


 だが、いい加減、前向きになるべきだ。


 アーサは追加の修正点を指差す。


「ここ、書き換えて」


 アーサが指差したのは、婚約、という単語だ。


「婚約じゃなくて、交際する権利! 相手のことを何も知らずに結婚するなんて、そんな『時代錯誤』な考え方は嫌!」


 これにはカルロもレヴィルスも、少し考え込んでいた。


 二人はアーサと結婚したい、それ以前に、アーサの舌を信頼し、自分たちと協力してほしい。でもそれは、結婚しなくてもできることでは?


 それは、二人もとっくに思いついていたようだ。カルロが腕を組み、レヴィに問いかける。


「おいレヴィ、一つ考えたことがあるんだが」

「何だい?」

「アーサは、俺たちが後ろ盾になって、コンサルタントになればいいんじゃないか?」


 アーサは聞き覚えのない単語に、首を傾げた。


「こんさる……何?」

「コンサルタント。企業や個人から依頼された課題の解決を行う、専門家のことだ」

「それなら、関係を維持して結婚は先送りにできるし、アーサは独立して働けるね」

「え? え!?」


 どうやら、二人の頭の中ではその話は爆速で進んでいるようだった。


 アーサはまだ理解しきっていない。そもそも、今の時代でさえコンサルタントという職業はようやく呼称が決まった段階だ。ただの専門家ではなく、知識と経験をもって相談された問題を解決する、プロフェッショナル。またアーサの類稀なる才能と経験の活用は、知っている人々の後押しなくして実現しない。


 そういう意味では、アーサの舌、そしてアーサを信頼するカルロとレヴィルスという出会いは運命であるし——もはやそこに恋愛や婚約や結婚といった既存の枠組みにこだわる意味は薄い。なぜなら、アーサの価値は、宝石の原石がごとくそれらを凌駕するほどだからだ。


 ただ、ファーデン商会の後継カルロとデ・アルマエリス商会後継レヴィルスは、アーサを捕まえておきたい。アーサを守りながら、アーサと関係を保って、いつかは振り向いてもらえるかもしれない、そんな下心も持って、彼女のために働く。


「決まりだ。アーサ・テイスティング・コンサルタント。会社登記は俺がやっとくから心配するな」

「じゃあ僕は最初の顧客を連れてくるよ。僕たち以外に実績を積まないとね」


 契約書をバッグにしまい、カルロとレヴィルスは去っていった。


 残されたアーサは、オレンジジュースを飲みながら、困惑の表情を浮かべる。


「どういうこと?」


 その問いは、虚空に消えていった。

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