第9話 移民街の空気
翌日、休日の朝のことだ。
アーサは人伝にカルロに呼び出され、女子寮の入り口に下りていくと、カジュアルな私服のカルロにこう切り出された。
「おいアーサ、出かけるぞ。外出許可もらってこい」
アーサはきょろきょろ周囲を見回す。いつも見かけるレヴィルスがいない。
「カルロだけ? レヴィルスは?」
「あいつならオレンジタルトの納品やってる。ほら来い、いいもん食わせてやるから」
「そういう誘い方どうかと思うな!」
「ならやめるか?」
「行く。ご飯食べたい、デザートも」
「じゃあ行くぞ。早く支度してこい」
結局アーサは一旦部屋に戻って、ジェニーを起こさないように支度をして、
そんな二人の様子を遠巻きに見ていた暇を持て余した令嬢たちは、それをデートのお誘いと見て取りアーサの次のお相手はカルロか、と噂話に花を咲かせるようになる。まさか食欲に負けて餌付けされているとは思わない。
寄宿学校の敷地を出て、カルロに先導されてアーサは石畳の道を歩いていく。向かっている方角は商業の中心地ではなく、少し外側の移民街のほうだな、とアーサは勘づいたが、何せベルドランド大帝国には植民地がごまんとある。どこの国からの移民街に行くのかまでは分からないし、移民が生計を立てる第一の手段といえば屋台を含む飲食業だ。そこまでアーサは見当を絞ってから、カルロに尋ねた。
「何食べるの?」
「トワイン王国の料理だ。結婚したら慣れなきゃいけないからな」
アーサは何となく予想はついていた。カルロにとっては故郷の味、とも言えるトワイン王国の料理だろうし、美味しいものがたくさんあることを知っているだけに、拒否する気持ちはない。
ただ、一つだけ引っかかる。
「だからさ、何で結婚前提で話を進めるのよ。働くだけなら結婚しなくたっていいじゃない」
「だめだ。レヴィに取られるだろ」
「束縛よくない」
「なら雇用契約にするか? 専門家として終身独占雇用を約束するぞ」
「それほぼ結婚の準備だよね? 契約したらものすごいアプローチしてくるんだよね?」
「分かってるんなら最初から結婚しろ」
「だーかーらー」
アーサがああ言えばカルロはこう言う、埒が開かない。うんざりしてきたアーサは、話題を変えることにした。
「カルロとレヴィルスって、知り合って長いの?」
「そうでもない。直接会ったのは寄宿学校に入ってからだ、お互い噂くらいは聞いてたがな」
「ふーん、やっぱり家のことで?」
「デ・アルマエリス商会は、ファーデン商会のライバルだからな。というか、他に並び立つ会社はないし、もう世界中開拓されちまったからいきなり新興の商会がデカくなることもない。それこそ、世界がひっくり返るような戦争でもないかぎりはな」
ふぅん、とアーサは相槌を打つ。理解できない話ではない、父に世界中を連れ回されたアーサは、戦争している国にも行ったことがある。戦争があると経済や物流が丸ごと変わることだって珍しくないし、さまざまな技術が目覚ましく進歩することだって十分にありうる。だから、今後もし大きな戦争があれば、ファーデン商会やデ・アルマエリス商会だって安穏とはしていられない。カルロはそれが分かっているようだった、おそらくレヴィルスも。
「それにだ、俺は東のトワイン王国で、あいつは西の新大陸でそれぞれ育ったんだ。そりゃ寄宿学校のある本国に来るまで会わないだろ」
「お互いの居場所が世界の裏側だもんね」
「そんなに出身地が離れてもこうして会って話せるわけだ。あっちじゃあデ・アルマエリス商会の悪口三昧のやつとか、違法行為がどうとか賄賂がどうとか適当な噂流すやつがいたが、うちも同じこと言われてたっぽくてな。実際レヴィに会ってみて、デ・アルマエリス商会の状況を聞いてみたら何のこたない、似たようなもんだった」
カルロと話しているうちに、アーサは移民街へ足を踏み入れていた。少しずつ、異国情緒なスパイスの香りが鼻へ漂ってきている。トワイン王国の移民街はファーデン商会のお膝元でもあって、他の移民街よりも明るく開けて、本国の人々も食事や珍しいものを目当てに足を運ぶことが多い。行き交う人々も、一般的な困窮した移民ではなく、それなりに余裕のある生活をしていることが清潔な身なりで分かる。
何だかんだと、ファーデン商会はそのトップが一国の副王、実質的な支配者になるほどだ。それはデ・アルマエリス商会も同じで、きちんとした統治者であることは、この移民街を見ていても分かる。新大陸の移民街だって、アーサが見たかぎりでは本国によく馴染んでいた。もし両商会が暴利を貪る独裁者であったなら、この雰囲気は絶対に醸成されないのだ。
それゆえに、二大商会の対立は決して感情的な敵愾心で行われることはなく、粛々と自商圏の成長と安定を目的とした冷静かつ遠大な目線で行われている中、末端組織のいざこざや根も葉もない噂として流れている——その程度のことだろう。アーサが聞き齧った大人の話の理解では、そうなる。
カルロがつんとアーサのおでこを人差し指で軽くつついた。
「話、聞いてるか?」
「聞いてる」
「それでまあ、レヴィとはバチバチやり合うっていうより、仲良くとは行かなくても無駄な争いはしない、ってことになった。狭い寄宿学校の中で居心地悪くなるようなことしたってしょうがないだろ?」
「なんか、二人とも大人だね。もっと子供っぽいかと思ってた、特にカルロ」
「褒め言葉として受け取っとく」
カルロは愉快げにそう言った。
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