第7話 お気の毒様

 ちょうどアーサがカルロとレヴィルスに連れられて、男子寮の男子寮寮監ハウスマスターのもとを訪ねていたころ。


 女子寮三階の角部屋、アーサとジェニーの部屋には、来客があった。ジェニーはその応対のため、わざわざ奨学生のウェイターを一人雇って、お茶会の準備を整えていた。


 円卓に着く優美な第二皇女の前にいるのは——ランダイテ侯爵家令嬢、亜麻色の髪のソフィヤだ。男子並みに背が高く、すらりとした体型で、制服のスカートはくるぶしを隠すほど長い。それはソフィヤの趣味で、女は肌を晒さないもの、隠し事をするために、と妖艶さすら感じさせる仕草とともに言ってのける。十七歳とは思えないほど大人びた彼女は、ジェニーとアーサの幼馴染でもあった。


 ソフィヤが椅子に座ると、ジェニーは素直に喜びをあらわにする。


「ソフィ、久しぶりね。会えて嬉しいわ」

「皇女殿下、お久しゅう。ご機嫌いかが?」


 ジェニーが貴族女性の優雅さの象徴なら、ソフィヤは貴族女性の艶やかさの象徴だ。その間に挟まるアーサはなんてことない普通の女の子なのだが、今日はいないのでアーサも劣等感に見舞われずに済んだ。


「ランダイテ侯爵家はどう? 養女となって、何か不自由は?」

「大丈夫ですわ、ご心配ありがとう。私の出自を気にする人間は、あの家にはおりませんわ」

「ランダイテ侯爵は開明的な方だものね。たとえ親族でも、ご両親を一度に失ったあなたを引き取ってくださるなんて、本当に立派な紳士だわ」

「もう、殿下ったら、そんなに褒めても何も出ませんわよ?」


 そう言いつつ、ソフィヤは嬉しそうだ。ソフィヤは辺境伯だった父と母が二ヶ月前に亡くなり、服喪と養子縁組手続きのため寄宿学校を休んでいたのだ。幸いにも、ソフィヤの母方の親族であるランダイテ侯爵がソフィヤの後見人として名乗りを挙げ、将来のためにランダイテ侯爵家に養女として迎え入れるほど面倒を見てくれていた。


 辺境伯家自体はソフィヤの父方の親族が、一人娘のソフィヤは母方の親族が管理をする、ということでやっと落ち着き、継承権や財産権分与など煩雑な手続きを経てのことだが、ランダイテ侯爵はソフィヤが成人したあと辺境伯家に戻る道筋も残してくれているそうだ。ここまで面倒見のいい親族というのは大変珍しい、それゆえに本来は気難しいソフィヤも義父であるランダイテ侯爵のことは尊敬しているようだった。


 だが、ジェニーは気になる噂を耳にしていた。


「ところで、ソフィ。タッチェル伯爵家から婚約の打診があったそうね?」


 ソフィヤはやれやれ、とばかりに頷く。気が重いことを隠しもしない、運ばれてきた紅茶に砂糖とミルクを入れながら語る。


「ええ、嫡男のエドワルドと。正直、気が進みませんけれど、お義父様のご友人ですから婚約も致し方なし、とは思っておりますわ」

「もったいないわ。ソフィならもっといい家柄の殿方に嫁げるのに」

「ふふっ、そんなふうに言ってくださるのは、殿下とアーサだけですわ。皆、私がお転婆だとか、残酷だとか、ありもしない話を鵜呑みにして遠ざけるばかり。もちろん、ランダイテ侯爵家ではそんなことはありませんけれど、うんざり」


 ソフィヤは大仰に両手を挙げてみる。しかし、すぐにジェニーへ挑戦的な視線を向けた。


「殿下、何か企みがあるのでしょう? 分かりますわよ、十年来の付き合いですもの」

「あら、分かってしまったのね。カラミティ・ソフィにはお見通しかしら」


 二人の令嬢は上品に笑う。ウェイター役の奨学生は話を聞かないよう、それでいて二人の笑みに目が釘付けになっている。


 ジェニーは簡単に、ソフィヤへアーサの現状を説明した。エドワルドに婚約破棄を突きつけられたこと、その原因がカルロとレヴィルスにあるものの、マナーとしては別段責められるようなことではないこと。


 ソフィヤはすぐに話を理解し、ちょっとした怒気を込めた言葉を吐く。


「なるほど。エドワルドはアーサを振った、と」

「それも謂れのない、些細なことでね。他の殿方と話していたから何? その程度の狭量な人間に私のアーサをやることはできないわ」

「なら、私が再教育してさしあげますわ。二度と歯向かう気が起きないくらいに」


 ミシッ、とソフィヤの掴んだティーカップの取手が軋む。ソフィヤとてアーサの幼馴染だ、可愛がっている妹のようなもので、そのアーサの名誉が傷つけられたのだと思えば怒りも湧く。その怒りを——カラミティ・ソフィのあだ名を持つ彼女は、静かに心の奥底にしまい込み、貴族令嬢の仮面を被る。


「アーサはあのとおり、婚約者に強く出られなかったけれど」

「私なら問題ありませんわ。結婚は義務、そして夫は妻を支えるもの。伯爵家ごときで満足する夫であれば、ふふっ、躾けてさしあげましょう」


 ソフィヤがそう言うのだ、そうなるだろう。ジェニーは満足して、チョコレートクッキーを一つ摘む。


「エドワルドもお気の毒様。毎年のように異民族と暴徒鎮圧をしてきたペイトリオット辺境伯本家の末裔に、ただの貴族のおぼっちゃまが勝てるわけもなし」


 ジェニーのつぶやきを、ウェイター役の奨学生は聞かなかったことにした。もしエドワルドに告げ口でもすれば感謝されるだろうが、それよりも目の前の第二皇女と侯爵家令嬢の怒りを買うほうが恐ろしい。


 エドワルドとタッチェル伯爵家が自由を失うまで、あと一年足らずだ。

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