ボツエピソード
第10話 『公園』
絵理香がバッグからプラスチックのスティックを取り出した。
そして一端をくわえ、煙を吐いた。
「それ、電子タバコだよね」
「そう。ドラッグストアにあったから試しに買ってみたの」
カートリッジ内のリキッドを加熱し、蒸気(ミスト)を吸引するものだ。
ニコチンは含まれないが、20歳未満の使用は禁じられている。
スティックの一端に視線を向けていた。
「修も吸ってみる?」
「あぁ、少しだけ」
男子高生の、よこしまな考えを見透かされたのか。
絵理香が再びスティックをくわえる。
俺の顔の前に唇を突き出し
ミストを吐いた。
ストロベリーのミストに絵理香の香りが混じっていた。
それが、どのようなものか説明は出来ないが
確かに彼女の香りだった。
「間接キスしちゃったね♪」
これは何と呼べば良いのか。
俺のよこしまな考えの、斜め上をいっているが。
「むしろギャングの挑発かな」
「いや、寒いからどこかに入りたかった。
久しぶりに会えたから、俺も二人きりになりたかったし、嬉しいよ。
初めの場所に、戸惑っただけだよ」
取り繕った。
初めて、と口に出した時、胸に傷が走った。
俺は天井を見上げた。
テニス部の先輩だった彼氏。
それしか知らない、見た事もない男の顔が浮かぶ。
その男とホテルに行ったのか。
絵理香の身体に触れたのか。
出会う前から、既に叩きのめされていたようなものだ。
彼女に触れるとは、屈辱の傷を受け入る事だ。
フラッシュバック。
蹴り飛ばされ、仰向けになった。
雲ひとつない、爽やかな快晴の青空が見えた。
「どうしたの?」
視線が合う。
気持ちが遠ざかる。
胸の中で、傷のひとつが破れた。
衝動に突かれ、体の方が先に動いた。
しまった。
手を伸ばしたが、届かない自分の背中が見えた。
荒々しく唇を重ねた。
歯がぶつかる。
そのまま押し倒す格好となった。
唇と舌を貪る。
服の間から肌に触れる。
息が荒れる。
嫉妬と屈辱感が怒りの情動に変換されていた。
耳元から首筋に這わせる。
顔を上げた。
目が合う。
涙が滲んでいた。
慌てて体を起こした。
「ごめん」
絵理香の体の上から離れる。
何てことを。
惨めな自分への怒りを、彼女にぶつけてしまった。
「絵理香、ごめん」
首と背中の後ろに手を回し、ゆっくり体を起こす。
「修、どうしたの……」
枕元のティッシュを取り、そっと彼女の頬に当てた。
「ごめん。つい下らない嫉妬をして……」
「ごめん、多すぎ」
初めて出会った日にも、そう言われていた。
「で、どうしたの?」
どう言おうと弁解にしかならなかった。
地味に無難に高校生活を過ごす事しか考えてこなかった、しょうもない男だ。
女の子と付き合った事もない。
まさか君から声をかけられるとは、想像もしてなかった。
人生を懸命に生きてきた君と、人生から逃げ回ってきた情けない男。
その格差は、自業自得ゆえのもの。
異なる世界の住人で、人種すら違う。
その思いは未だ変わらない。
会うたびに魅了され、それと同じだけ自分の無価値感にさい悩まされた。
どうしようもなく好きだった。
どこかで関わるのを止めるべきだった。
こんなしょうもない男がいるだけでしかないが、それが少しでも意味を持つならと、ごまかし続けた。
君に近付くとは、イカロスになるようなものだ。
それが分かっていながら。
俺はファーストキスすら、あの夜だ。
嫉妬するような分際ではない。
人生の進捗状況など、誰もが違うし、それを比較するのが間違いだ。
それでもどうしようもない悔しさと無念の情動が抑えられなかった。
すれ違った。
高校生くらいの男の子。
まだあどけなく、子供に見えた。
もし彼の中に、ズタズタに切り裂かれた傷がある事を知ったら。
きっと、痛々しく、可哀想で、胸を痛めるだろう。
自分が高校生だった頃を思い出す。
恥じる気持ちしか浮かばなかった。
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