ロンドンマジック
辻雲涼華
第1話 腐ったみかん
やっぱり私には男運が無い。
今日そう断言しよう。
散らかったテーブルの上に合鍵が無造作に置かれている。
あいつがこの合鍵を持ち歩かない日なんてなかった。これはあいつの命綱だったのだから。
この鍵があれば餌にありつけて性欲を満たす事ができ、大好きなオンラインゲームを永遠と楽しめた。
生活費は一千も入れずにたまに私の好きな赤ワインとチーズを駅前の輸入食品店で買ってきては私の機嫌をとってきた。まるで馬の目の前で人参でもぶらさげているかのように。
鍵に付いた初詣で買ったお揃いのカエルのお守りが間抜けな顔で私にこう言った。
「腐ったみかんは連鎖しますから。ケロ」
その通りだ。私が腐っているのだから、どの男と付き合ってもどれも腐るのだ。
或いはその逆か。
無論大して思い入れのある男ではなかった。
宝くじを販売するほったて小屋で働いている私から宝くじを購入した彼は3000円当選し純粋無垢な笑顔で
「君は運命の人だ」と声をかけてきた。
退屈な仕事だけで終わる味気ない生活に僅かばかりのスパイスを与えてくれたのは確かだ。
こうなる事はわかっていた。
悲しみは感じないが顔面が火照りだしどこからか溶岩のような液体が溢れ出てきて頬を伝う。
いつからか孤独が苦手になった私は、別れては適当な男と付き合った。
三年前から既に6人目の彼氏だ。
もう33だというのに、両親は嘆くことを諦め、優しくなった。
そろそろ介護の勉強でも始めたらと言われるようになってはお終いだ。
化粧も落とさずに大衆臭さを纏いながら冷たいべッドに横たわった。
何も極寒の2月に私を一人にしなくてもと今日出ていったあいつを憎む。
凍り付いたつま先を必死にまるめて眠りについた。
「今日のゲストは先日ロンドンで開催された国際新人フォトグラファーコンテストで見事に大賞を受賞されました
写真家のユウゴさんです。どうぞ宜しくお願い致します。まずはお気持ちを」
「ただ嬉しくて光栄に思います。」
つけっぱなしで寝たテレビから流れてくる音で目覚めた。
朝の情報番組は大抵天気と食レポにしか興味が無いが、”ロンドン”と聞いて反射神経が働いたかのように
目覚め耳を傾けた。
まるでぺットの犬が「ごはん」と聞いて即座に反応するかのように。
そう、ロンドンは私にとって忘れたくても忘れられない場所であり、私が腐ったミカンになった最大の理由なのだ。
朝から奇麗に着飾った情報番組の司会者が身を乗り出して聞いている。
「ユウゴさん、何故大企業のエリートから写真家に転身なさったのですか?」
ユウゴという写真家は目を細め回想にふける面持ちで答えた。
「それは、人間の表情に深く興味を持つ出来事があったからです。表情の裏側に隠された真実がふとした一瞬で
漏れる時があるんです。僕はその一瞬を撮りたくなったんです。」
この写真家は私のふとした一瞬の表情にも興味を持ってくれるのだろうか。
あの日、、、
鏡に映った私の顔は老廃物のようで、汚らしくて、惨めで。
幼い頃から自分の顔が大嫌いだったが、
あの日、、、
自分の醜さを再確認した。
そんな顔もこの写真家の魔法にかかれば美しく見えるのだろうか。
あの日、、
私は心に麻酔をかけたんだ。もう一生感情を経験しなくても良い麻酔を。
恐らくこの写真家にも取り出せないくらい暗黒の深海に私の素顔は埋もれている。。。
過去の嫌な記憶に足を引きずりこまれそうになり、ふと時計を見て我に返る。
そういえばこの時間になると昨日出ていったあの男が私にコーヒーを作るように甘えてきた。
もうそんな事はしなくて良いのだ。
急がなくては。
退屈でも自分の居場所がある仕事が有難い。
身だしなみを整え終わると出勤の時間7時50分。
昨晩無造作に脱ぎ捨て左右が飛び散った汚いスニーカーを履こうとしたその瞬間「ピン」という懐かしい着信音が玄関に響いた。
しばらくの間聞いていなかったその音は、ロンドンに滞在していた時に使用していたチャットアプリ"what's new"の着信音だ。
ロンドンで受賞した写真家といいそのアプリといい、朝から何という偶然なのだろうか。
それより差出人は?
頭の中で連絡先一覧が目まぐるしくスクロールダウンされている。
しかしどの知り合いももう疎遠に近い。
私がロンドンから帰国して既に4年が経っているのだから。
心が騒ついた。
まさかあいつから、、、
リック?
私はまるでコインの裏表をフリップするかのように、少しの期待と、疑いの念を抱きながら差出人を確認せずに駅へと向かった。
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