フルーツサンド

うめおかか

フルーツサンド





 通勤途中の駅構内にしては古めかしく、けれどハイカラなメニューが揃っている喫茶店を横切る。私の通勤する通路なので、いやがおうにも目に入ってしまう。料理サンプルが並んだガラスケースに心が踊るが、決して表情には出さないようにしていた。

 しかし、私はどうしても抗えないメニューを発見してしまい、ついに仕事帰りに喫茶店へと足を踏み入れることとなった。

 店内は仕事帰りの会社員がほぼ大半を占めていた。どこか疲労感を漂わせながらも、珈琲や紅茶を静かに口に運んでいる。

 私も右にならえと言わんばかりに、店内へと足を踏み入れた。すると執事風の姿をした店員がやってきて、奥の座席へと案内された。二人がけのテーブル席は広々としていて、カウンターと違って隣の人を気にする必要はなかった。

 一人で入店すると、優先的にカウンター席に案内される確率が上がる。店としては一人でも多くの客を招き入れたいのだから、一人で来店する客がカウンター席になる理由もわかる。私も決してカウンター席が嫌いではない、それはそれで店員との会話に花が咲き、思いも寄らぬ話を齎されることもあるのだ。

 まずメニュー表を確認する前に、まず珈琲を注文して一息つきたい。

 少し硬めのソファーに背を預けながら、肺から絞り出すように息を吐く。五日間続けて勤務というのは、予想を遥かに超えて体力気力を削いでいく。

 だからこそ癒やしという名の時間を、自らに与える必要性が出てくる。

 体力は眠ればある程度回復するだろう、けれど心の栄養はまた別だと、妻が定期的に諭すように語ってくる。どうやら私は休息というものを得るのが、とてつもなく苦手な部類に入るらしい。しかし在宅していると、どうしても目につくものが多く、どうしても体を動かしてしまうのだ。そんな妻から、金曜日は寄り道をするようにと事前に通達を受けていた私は、どこに寄るか頭を悩ませていた。

 それから散々熟考を重ねた結果、通勤途中の喫茶店に立ち寄ることにした。気になっていたのだから、全く問題はないだろう。

 運ばれてきた珈琲に手を伸ばし、口に含んでゆったりと息を吐く。仕事に一区切りを打ち、これから喫茶店で寛ぐという気持ちに切り替えていく。

 そうしてようやく、メニュー表に手を伸ばして内容を確認することができるのだ。

 革張りの高級感があるようで、使い込まれたメニュー表の内容は、どれもこれもが空腹には辛い内容ばかりだった。どれも旨そうにしか、私の目からは見えないのである。

 ナポリタンやハンバーグなど腹に溜まりそうな料理から、デザート類まで多岐に渡りすぎて、喫茶店という名の迷宮に足を踏み入れたかのようだ。

 ううむ。

 唸っても私が料理を決めるしかない、しかしこの決断をするというのもまた悩ましい。

 今、私は何を食したいのか。

 洋食はつい先日、夕食で食べた記憶がある。確かミートソースだっただろうか。妻の手製のソースは美味で、野菜が大量に煮込まれているらしい。

 ならば、家ではなかなかお目にかからない料理にするか。

 ある程度考えが決まってきた私は、メニュー表の端々まで内容を確認する。どれもこれも今ならば平らげてしまいそうだが、それはあくまで私の想像に過ぎない。実際の胃は悲鳴を上げて、睡眠という安らかな時間を奪ってしまいそうだ。

 よし、これにするとしよう。

 私は店員を呼び止めて素早く料理を注文し、珈琲を味わいながら届くのを待った。店内を眺めることなく、目を固く閉ざして珈琲をすべての神経を利用して味わう。味だけではない、香りもまた珈琲の醍醐味とも言えるだろう。

「お待たせしました、フルーツサンドになります」

 料理名が聞こえた瞬間、私は声を発することなく目を開いた。すでにテーブルには、真っ白なパンに挟まれたフルーツと生クリームで作られた料理が届いていた。

 店員が去るのを確認してから、私は手を伸ばすことなく、まじまじとフルーツサンドの形を眺める。きつね色をしたパンの耳はない、純白のパンが三角に切られている。それを利用したフルーツサンドには、名の通りフルーツが挟まっている。

 ただフルーツが挟んであるわけではない、今にも溢れそうなほどの生クリームも塗られている。

 いや、塗られているというのは語弊が生じる。生クリームもまた大量に挟んであるのだ、厚みのある生クリームの層が出来上がっているのだから。

 さて観察はここまでだ、そろそろ食べるとしよう。

 料理と共に運ばれたおしぼりで手を拭き、素手でフルーツサンドを手に取った。

 断面を眺めれば、挟まったフルーツの色が鮮やかだった。注文したのは苺のフルーツサンドで、白と赤の色合いがなんとも美しいが、同時にクリスマスが近いというのを思い出させた。妻へのプレゼントを悩む時期だが、今はそれは一旦忘れるとしよう。

 苺まで口の中に入るよう、思い切りよくかぶりつく。

 ――脳天が痺れるほどの甘さだ、旨い。

 過剰な表現かもしれないが、とにかく私は甘く感じた。普段あまり菓子を食べない影響も、少なからずあるだろうか。生クリームなど誕生日ぐらいしか食べない。

 けれど凄まじく甘いと感じたのは一瞬で、食べすすめて噛むとそこまで甘くはなかった。程よい生クリーム甘さに、苺の酸っぱさが混ざり合う。その二つを優しく包み込む、柔らかな白いパンの感触も楽しい。まるでフルーツサンドに誂えたかのようなパンは、控えめな味わいながらも、しっかりと生クリームと苺を支えているのだ。だからといってパンの味がないわけではなく、わずかに染み込んだ生クリームと苺の味もするのだ。歯ごたえもパンだけなので、多少の満足感を得ることができる。

 さらにもう一つのフルーツサンドに手を伸ばし、同様に大胆に噛みつく。そしてすぐさま珈琲を口に含むと、甘さに満たされた口内に苦味が交じる。

 この組み合わせもまた至福だ、だから私はあえて珈琲に砂糖とミルクを入れなかった。

 こうしてフルーツサンドと珈琲を堪能しながら、私はふと手を止めた。

 しまった、証拠である写真を撮影するのを失念していた。

 仕方ない、と私は苦笑しながら覚悟を決める。妻に言葉で説明し、どれだけ至福の時間を堪能したか語ればいいのだから。きっと妻は、これで量が足りないだろう、と告げてくるだろうが。

 けれど空腹よりも、心が満たされる喜びが勝った、と妻には堂々と宣言するとしようと、固く決意をするのであった。

 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

フルーツサンド うめおかか @umeokaka4110

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ