母の躾①

崔 梨遙(再)

1話完結:1600字

 僕の母は亡くなっています。もう20年以上前に亡くなっています。今、振り返って、母の躾ってちょっと変わっていたなぁと思いましたので書いてみようと思いました。最初に書いておきますが、この作品に盛り上がりはありません。皆様にウケるかどうかもわかりません。あらかじめ、ご了承ください。



 まず、幼い頃、


「これから買うおもちゃを1種類に決めなさい」


と、言われました。僕は悩んだ挙げ句、当時流行っていたミニカーに決めました。


 それからは、“おもちゃを買ってもらう”度にミニカーでした。他のおもちゃが欲しくなっても、もう他のおもちゃは買ってもらえませんでした。要するに、ミニカーのコレクションです。僕はコレクターになったのです。母は、僕が飽き性に成長しないためにそういう躾をしたらしいです。持続力の向上のため、ということになるのでしょうか? 


 後になって、僕はこの躾に感謝することになりました。中学時代に勉強に飽きることもなく、社会人になってから仕事に飽きることもありませんでした。同じことを継続すること、凡事徹底というものが身につきました。



 僕は、幼い頃から“食”というものに無頓着です。幼い頃から、


「あれが食べたい、これが食べたい」

「ご飯まだぁ?」


など、基本的に言ったことがありません。用意された料理を、出された時に食べるだけです。


 なのですが、僕の母はPTAで活動するなどしていて、頻繁にお客さんが来ていました。3DKのマンションなのに。そして、そのお客さんが遅い時間までいるんです。で、お客さんが帰ってから調理して食事。晩ご飯が11時とか、最悪は0時になることも多々ありました。小学生の時の話です。晩ご飯が11時とか0時はおかしくないですか?


 その時、僕は長居するお客さん達と、お客さんの長居を許す母にいい加減腹が立っていました。だから、催促するほど食事を欲していなかったのに言いました。


「ご飯まだ? いつもご飯の時間が遅すぎるよ」


 すると、ビンタされました。


「武家の男が食事の催促などするな!」


と、言われました。子供心ながら、僕にも意地がありますので、2度と食事の催促はしませんでした。更に、


「男は味にケチをつけず、出された物を“美味しい”と言いながら食べていればいい」


と言われて、僕は食事が何時になろうと無言で待ち、出された物をありがたくいただくようになりました。


 まあ、おかげで最初の嫁の殺人的に不味い料理でも、文句を言わずに食べ続けることが出来たのだと思います。勿論、本当に美味しい物を食べたときは心から“美味しい!”と言いますけど。



 また、小学生だった或る日、正座させられて話を聞かされました。


「他人の否を正す刃を持たないのは憶病! 自分の否を正す刃を持たないのは卑怯! 武家の男は、いつも心に2刀を差しなさい!」


これは良かったのでしょうか? まずは先生、社会人になってからは先輩や上司に対しても、間違いだと思ったら反論できるようになってしまいました。これは得することもあったかもしれませんが、損したことの方が多いような気がします。


 ですが、母は、


「人として男として、美しく清々しく生きろ!」


と言っていました。僕は清々しく生きることができたのでしょうか?



「結婚したら、夜は自分から求めるな! 求められた時にだけ応えろ!」


 と、早めの性教育もありました。



 また、こう言われました。


「人は平等。生まれる家を選べない。例えば裕福な家に生まれるのと、貧しい家に生まれるのとでは人生が違ってしまう。親や家柄に惑わされず、本人を見ろ!」


 ちょうど、育ったのがディープな街でしたので、いろんな生い立ちの同級生がいました。親や家など考えずに一緒に遊んでいました。差別も偏見もありません。ですので、多分、僕は風俗嬢に気に入ってもらえることが多かったのだと思います。



 これが、僕が受けた母の躾の一部です。



 変わっていると思いませんか? これ、普通ですか?







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母の躾① 崔 梨遙(再) @sairiyousai

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