王の引力 〜男抱山・女抱山・奥久慈男体山〜

早里 懐

第1話

蟲の王こと王蟲がユパ様を襲っていた。


するとそこに空飛ぶ飛行物体に乗った少女が来て瞬く間にユパ様を助けた。


金曜ロードショーで放映されていた風の谷のナウシカだ。


この一大スペクタクル巨編に見入っていた私に対して晩御飯を食べていた次男が言った。



「気持ち悪いからテレビ消して」と。



昔はこのような一大スペクタクル巨編を食い入るように一緒に見ていた我が家の第二王子は、今や蟲の王である王蟲をグロテスクな生物としてしか見ることができないらしい。


私は静かにテレビの電源を切った。


子供の成長とともに虚しさを覚えた私はこの思いを消化するために山に登ることにした。





今日は第二王子の部活動の送迎で栃木県にやってきた。


登る山は宇都宮アルプスの一角をなす男抱山と女抱山だ。

尚、今日は時間があるため土平山まで足を伸ばす計画だ。




実は登る前から少しばかりの懸念があった。


夏の低山だ。

蜘蛛の巣と虫に襲われるのは明らかだ。


ただ、それと引き換えても山に登りたい。


その一心で夏の宇都宮アルプスに挑んだ。


車は男抱山の駐車場に停めた。

駐車場はお墓の隣にあり7〜8台停めるスペースがある。


身支度を済ませて出発した。




私は出発してすぐにある異変に気づいた。


山には驚くほど虫が少ない。


いつも私の曇りなき眼に付き纏うメマトイがいないのだ。


私は喜んだ。

一喜一憂した。



しかし、その直後に蜘蛛の巣が私の顔に引っかかった。


私としたことが油断したのだ。


気を引き締め直して、キン肉星第58代大王のキン肉スグルになりきり肉のカーテンの構えで歩き出した。




暫くすると私にとって、この先も忘れる事はないであろう出会いがあった。


そう。

私は蜘蛛の巣を除去するために生まれてきた武器と出会ったのだ。


私はその佇まいからその武器にアトラスと名付けた。


昆虫の王の名だ。


アトラスがあればどんなに蜘蛛の巣が張り巡らされた山道でも恐れる事はない。


私は枝…いや、アトラスとともに突き進んだ。


まるで引力でもあるかのようにアトラスに蜘蛛の巣が絡まり、蜘蛛の巣が駆除されていく。


まさに、無敵だ。




男抱山にはあっという間に着いた。


あいにくの空模様であったが眺望は良かった。


少しばかり休憩したのちに、土平山を目指した。


途中、とてつもない大きなスズメバチに威嚇され恐れ慄いたが、すぐに飛び去ったためそのまま突き進んだ。


この山はアップダウンがあまりない。


とても登りやすいが、ジメジメとした空気は終始私の体にまとわりついているため汗が滝のように流れている。


程なくして半蔵山に辿り着いた。


眺望はあまりない。

すぐさま、土平山を目指した。


道中はしっかりと踏み跡がある。

迷うことはないため、足早に進んだ。



土平山の山頂も眺望はなかった。

絶景を期待してきたため少しばかり残念だった。



そんな落ち込んでいる私に対して、妻からある知らせがあった。


「帰りに牛乳買ってきて」と。

おそらくソファの上にいるであろう妻からの知らせだ。



アトラスとの冒険を楽しんでいた私を一瞬で現実世界に引き寄せたのだ。



それにしても妻も恐ろしい引力の持ち主である。


まさしく我が家の女王だ。



私は常々、王の権威というのは引力であると思っている。


人や物が集まるところに権威が生まれその後に王が誕生するのだ。



そういえばいつも妻はソファの上にいるが、あれは妻がいつもソファに座っているのではない。


妻の尻にソファが吸い寄せられているのだ。



そんなことを考えながら私はアトラスとともに帰路に着くことにした。


その時だ。

ふと我が家の女王の顔が頭の中に浮かんだ。


我が家の女王は家の中に無駄なものを一切置かない。


無駄を嫌うのだ。

生活感というものを排除したいらしい。


そんな女王に対してアトラスが無駄なものではないというプレゼンを行い、承諾を得る自信が私にはない。


アトラスを持ち帰ったら顔を真っ赤にした女王の頭にまさにアトラスばりの角が生えて罵られるのが目に見えている。


私はアトラスとの決別を選択した。


我が家の女王には敵わないのだから。




私は木の枝…いや、アトラスを土平山の標識の傍に置き、感謝の意を伝え走り去った。


私は振り向くことはしなかった。


その道中、いつまでも小雨が降り続き、私の顔を濡らした。

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