第36話 冬の墓標

 オールド・オランド王位継承権第2位となったヒュクトーは蟻獅子討伐隊100名を編成して冥界城を出陣していた。

 「ヒュクトー様、1か月は探索を続けられます」

 「そうだね、北にある樹海近くでバカンスだね、寒いけど」

 

 討伐隊を出陣はさせたが、ヒュクトーにあまりやる気はなかった。

 

 「王位なんてどうでもいいさ、僕は自由に生きたいんだ」

 「僕たちはオーガさ、一生は短い、その間に楽しめることは楽しまなきゃ損だよ」

 「まったく変わりませんな、ヒュクトー様は」


 幼少より侍従しているジルは比較的ヒュクトーと年が近く、友人のような関係だった。

 二人とも基本的に自由人で権力に縛られるのを嫌い、王位争いからは距離を置いている。

 しかし、継承権第2位アエリア王子の死亡によって、にわかに注目を浴びるようになってしまった。

 「好きな時に食べて飲む、そして好きな時に女を犯す、それ以上ないじゃないか」

 「政治や戦争なんてバカバカしい」

 「そんなことは人間やエルフのように矮小な者どもがして居ればよいのさ」

 「このまま冥界城にいたら暗殺されそうだもんね」

 「騒動がひと段落するまで身を隠すのが賢明な判断ですな」

 「そういうことだね、蟻獅子狩りのついでに食料と女は現地調達しなきゃね」

 「はて、蟻獅子狩りなど、どうでもよいのでは」

 「まあね、建前の話だよ」

 「出会ってしまったら仕方いって程度さ、まともにやり合うつもりはないけど」

 ヒュクトーは背中の巨大な弓に目線を投げた。

 「400mを射抜くヒュクトー様の弓、もはやバリスタで狙撃するようなものです」


 全長4mを超える弓は長大な射程を生み出す、使われる矢も人間が使用する重戦矢の倍はある。

 その威力はプレートアーマー3人を貫通し、マグナム弾に匹敵する。

 「直接切り結ぶなんて危ないじゃん」

 オーガで弓を使用するものはほとんどいない、大剣至上主義の中にあって異端の存在。

 「死んじゃったらなんにも出来ないじゃん」

 「そのとおりです、ヒュクトー様、命は大事に使えば一生使えます」

 「あはは、うまいこと言うねぇジルは」

 ヒュクトー隊は初冬に蟻獅子狩りに託けた虐殺のバカンスに赴いた。

 

 ユニオンに適当な仕事は無かった、というよりオールド・オランドの侵攻が危惧される中、経済活動が縮小化し、流通が激減していた。

 いわゆる不景気というやつだ。


 「まいったわね、商売あがったりだわ」


 しかし、ユニオンで有益な情報を手に入れた、ヒュクトー王子が蟻獅子討伐に出陣したという。

 またしても敵は向こうからやってきてくれるようだ。

 メイの瞳に不敵な笑いが浮かぶ。

 「!」

 まただ、イシスはこんな女ではなかった、殺しの機会を喜ぶようなエルフではなかったはずだ。

 自分が自分でなくなっていくような不安が絶えず消えないでいる、復讐を果たし終えた時、いったいどんな変質を遂げてしまうのだろう。

 人間でもエルフでもない怪物か悪魔に堕天しなければ果しえない復讐。


 違う、これは希望のせいだ。

 メイとなってからの暮らしが、将来の希望や夢を持ち始めているからだ。

 復讐の終わりの先をメイは見ている。

 その希望をイシスは恐れている、一度燃え尽きた命は1人で生きることを恐れている。

 イシスの夢は復讐の炎で自らも燃え尽きること、儚く優しいだけのエルフだった娘は怪物となって生きていくことを拒んでいる。


 イシスの復讐にメイを巻き込むことの葛藤が心を焼く、いつか目覚めたメイの意識がイシスの意識を駆逐してくれれば良いのにと思う。

 復讐のことなど忘れてメイとして生きていくべきなのだ、この身体はメイのもの。


 迷いは命を、メイの身体を危険にする、必ず無事に返さなければならない。

 

「ごめん、メイ、もう少し……もう少しだけ」


 迷ったときは墓所にたちよる、自分の死を見つめていると冷静になれる。

 エルーの脚をイシスが死んでメイが生まれた墓所に向ける。

 もうこうして足を運ぶのは何回目だろう、イシス・ペルセルの名前が刻まれた墓標、一つ目の墓標、二つ目の墓標は春の街にある。

 二つも墓標があるのに自分は中途半端に生きている。

 夏に伸びた雑草が枯れて墓所を埋めていた、ちょっと墓碑銘も隠れてしまっている。

 

 「雑草刈っとこうかな」

 腰のナイフを抜いて墓標の周りの雑草に刃を入れる。

 無心に作業を続けていると不意に人の気配が背中にあった。

 

 ガラァァンッ


 突然、剣が地に落ちる音で後ろを振り向くと逆光に黒く巨大な影が立ち竦んでいた。


 蟻獅子とミロクだった、工房にハルバートを取り来たようだ、落としたのは真新しくなったそれだ。


 「!?」

 振り返ったメイにミロクが気付いた、嬉しそうに走り寄ると手を取る。

 「あうう」

  ⦅メイさん!⦆

  ⦅ミロク、元気だった?⦆

  ⦅メイさんこそ、無事だったのですね⦆

  ⦅ちょっと頑張りすぎちゃっただけよ、大丈夫⦆

 「いうう」

  ⦅蟻獅子様を紹介します、とっても会いたがっていました⦆

 立ち竦む蟻獅子の様子がおかしい。


 フラフラと墓標に近寄るとガシャと両膝をついて、冷えたその石に額を付けた。

 「人間の娘、メイだったな、この墓所、この墓所は……」

 「はっ!?」


 まさか!?


 「聞いている!この墓碑銘、イシス・ペルセルとはエルフの娘だったのか!?」

 

 ミロクも驚いて墓碑銘をみると、両手で口を押えた。

 「そっ、そうだけど、知っているの」


 「そうか……」


 蟻獅子は強く目を閉じ、両の拳を血が滲むほどに強く握りしめた。


 「ふっ、ふっ、ぐっ」

 「ぐあぁぁぁーっ、ああぁぁぁー」

 絶叫と共に蟻獅子は墓碑に縋り付いて泣いた、恥じ入ることなく泣き崩れた。

 ミロクが蟻獅子の肩に手を当てている。

 

 ああ、そうだったのだ、蟻獅子ミルレオはワンドロップのヘリオス。

 メイはイシスに縋りついて泣いてくれる姿を見て全てを理解した。


 あんなにも愛おしかった顔と声が今、目の前にあって、自分のために泣いてくれる。

 届かなかった背中に手を伸ばす。

 「……ヘリ」

 蟻獅子の激しい慟哭に声を掛けられなかった。

 メイのエンパスに哀しみと後悔、切なさと愛情が渦巻き暴れまわる。

 蟻獅子の慟哭は、地獄の冥界から離愁した日から、蟻獅子への変化と復讐の日々、ミロクとの出会いまでをメイに焼き付けるまで続いた。


 「すまない、見苦しいものを……見せた」

 蟻獅子が涙を流したまま顔を上げてメイを見た。

 

 伸ばしかけた手が地を指した、そこにはヘリオスの肩を支えているミロクがいた。


 何かがメイがイシスであることを伝えることを思い留まらせた。


 「この人は……イシス様は私が守り切れなかったエルフの女性、メイさん、ここに墓がある理由を教えてくれないか」

 

 顔を見て、声を聞けば地獄の中の唯一の愛を思い出すと思っていた、でも今、目の前にあるヘリオスの姿は記憶の中の顔と声のないヘリオスと重ならない。

 消えてしまった記憶は戻ることはないと思い知らされた。


 涙が川となって頬を伝った、唇が震えて嗚咽が漏れる。

 膝が崩れて落ちた。

 

 「おい、どうしたんだ」

 ミロクが駆け寄ろうとするのを、メイは手で制した。

 「大丈夫、ごめんなさい、蟻獅子さんの気持ちが入ってしまいました、私のエンパスはちょっと強いので……」

 「そうか、すまなかった」

 

 心臓が悲鳴を上げている、体中の神経がブチブチと音を立てて切れていくようだ。

 なぜ、こんな演技をしている、なぜ。


 「私にも詳しいことは分かりません、でも5年前にエルーの背に酷い矢傷をおったままに伏していたエルフの女性を、私の父アスクレイが助けたのだと聞いています」

 「ですが、治療の甲斐無く直ぐに亡くなってしまったようです」


 堪えても、堪えても途中途中に嗚咽と震えが混じる。


 「彼女の最後は苦しんだのだろうか」

 「いえ、名前は言えたようですが、痛みはなかったのではないかと思います」

 「そうか、夜露に晒されることなく逝けたのだな」

 「助けてくれたアスクレイ殿はどちらに?」

 「残念ながら亡くなりました、そちらの墓所がそうです」

 「話を聞きたかった、あなたはイシスと会ったことが?」

 「いいえ、私は5年前まで仮死状態でした、目覚めたのはその後です」

 「なんと、そんなことが……」

 「イシスさんが目覚めさせてくれたと父は言っていました」

 「彼女らしい、あなたと同じ強いエンパス体質で、周囲の悪意に苦しみながらも、私を気遣ってくれた優しい人だった」

 「儚くて脆くも、小さな虫の命さえ奪うことを嫌うような人だった」

 「!」


 演技をしている理由が分かってしまった。


 外見だけではなく、その心まで変わってしまった自分は、ヘリオスが愛したイシス・ペルセルではないからだ。


 今の自分はイージスの盾を展開し、強力な武力でオーガをも蹂躙する怪物、かけ離れた別人。


 突き付けられた現実は、思い出に縋ることも許さなかった。

 

 「生きろ、そして戦え」

 

 その言葉だけが真実だと、冬の墓標がメイの孤独を際立たせた。

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