第34話 家路

 宗一郎が蟻獅子の新ハルバート制作に取り掛かって3日後にその人は工房にやってきた。

 飾り気のない馬車に乗ってやってきたのは中年の女性、緑の軍服は国軍の将校だ。


 「リードベット国軍 開発局のものです」


 「宗一郎さん、いるのでしょう」


 カンッ、カンッ、カンッ

 相変わらずベルトハンマーの音が響いている。

 


 「んんー、やっぱりマヤか……」

 宗一郎が小部屋から顔を覗かせた。

 「なによ、ちっとも嬉しそうじゃないわね」

 「久しぶりだな、元気だったか」

 「まあね、5年振りかしら」

 「そうだな、メイを引き取ってからだから5年だな」

 「今はいるの、会ってみたいわ」

 「残念だが出かけている」

 「そう……」


 少しの沈黙、2人の間に初冬の風が壁を作った。


 「んっ、それでね、考えてくれたかしら」

 「ああ、新型兵器開発の件だな」

 「今日は実物を持ってきたわ」

 「ほうほーう、それがミニエー銃というやつか」

 差し出された銃を奪い取る様に手に取ると細部を舐め回す。

 「ねぇ、掛けてもいいかしら」

 「好きにしてくれ」

 玩具を与えられた子供のようだ。

 「お茶もあったら頂きたいわね」

 「その辺にあるのを適当に淹れてのんでくれ」

 「セルフなのね、昔は淹れてくれたのに」

 「……」

 「メイちゃんには淹れてあげるのでしょ」

 演技だとしても明るかった声に、哀しい嫉妬が混じった。

 スッとミニエー銃をテーブルに置いてマヤに向き直る。

 「メイはアスクレイとクロエの娘だ、俺たちの親友の娘だ」

 「ごめん、今のは無し、忘れてって言っても無理よね」

 俯きながら髪をかき上げる仕草は少女のようだ。

 「……」

 「マヤ、俺を待つな、わかっているだろう」

 「あのね、宗一郎、わかったからって自分の気持ちを変える事なんて出来ないのよ」

 「お前はまだ若いのだ、老い先短い俺とは違う」

 「変わらないのね」

 「もう余命は過ぎているからな」

 「だったら!!」

 「俺が決めたことだ」

 「今後メイに会ったとしても、このことは言うなよ」

 「……」


 何回こんな冬を数えたのだろう、優しさが過ぎても壁になる、テーブルの間には過ぎ去った思い出が見えている。


 「仕事の話をしようじゃあないか」

 「……」

 マヤは唇を噛んで何かに耐えていた。

 「弾丸がほしいのだろう」

 「そう、プレートアーマーも貫けるほどの」

 「オーガが来るのか」

 「そう思っている、エチダ藩の件は知っているでしょ、でもあれはほんのお遊びよ」

 「そうだろうな」

 「今の弾丸の性能は?」

 「有効射程が50mくらいね」

 「連射は可能?」

 「無理ね、一発ごとに掃除をしなきゃ弾が入らない」

 「火薬の成分が問題だな」

 「解決出来そうかな?」


 「俺を誰だと思っている」


 軍開発局へ帰る馬車の中でマヤは泣きはらした顔で事務所へ報告に行かなければならないことを悔やんでいた。

 自分がこんなに泣くとは思ってもみなかった、5年の間に自分が大きく変わってしまったのかもしれない。

 正義の理想を夢として国軍に入隊したのは自分、あの人から離れたのは私だ。

 時間は無限にあると思っていたのかもしれない。

 「人の時間がこんなに短いなんて……知らなかったわ」

 

 マヤを乗せた馬車が街へ降りていく。

 

 明るい林の中を行く林道で鹿に乗った少女とすれ違う、背にはコンパウンドボウを背負っている。

 木漏れ日の中、懐かしい顔を見た。

 「!?」

 クロエの若いころにそっくりだ。

 「あの娘がメイなのね、クロエが蘇ったみたい」

 馬車の中から後姿を見送った。

 「ずるいよ、クロエ、亡くなってからも独り占めなんて……」

 

 若かったころの苦い失敗と、始まってもいない希望、夢見た世界、自分が歩んできた道がメイの背中と共に遠ざかっていくように思えた。

 いつから自分はレールを外れてしまったのか、もうクロエには追いつけない。

 恋人より仕事を優先した、よくある事だ。

 今になると途轍もなく大きな代償を支払ったのだと痛感する。

 

 あの娘と向き合ったとき、宗一郎との約束を守れるか自信がない。

 恥ずかしい姿は見せたくなかった、年齢と共に削れて芯だけとなったプライドがなんとか機能してくれると期待したい。

 とりあえず今は化粧を直すことが最優先だ。

 ハンドバックから取り出した手鏡に映る顔を見つめて呟いた。


 「……馬鹿な女……」

 

 宗一郎が珍しく感情的だった。

 帰ったメイを見るなり、走り寄ってきて強く抱きしめられた。

 

 「たっただいま」

 「無事で良かった」

 宗一郎の手が少し震えていた。

 そんなにも心配をかけたのかとありがたくも申訳なかった。


 「痩せたな」

 「最後に気を失っちゃって3日間寝てた、その間食べられなかったから」

 「そうか、じゃあ今夜はあんまり重いものじゃない方がいいな」

 「ううん、大丈夫、帰りの道中で慣れたから、何でも来いよ」


 帰る家があって、自分の無事を祈り待っていてくれる人がいる。

 それだけで、どんなに幸せな事か。

 心の奥で揺らめく鬼火は消えたりはしないけれど、宗一郎の手が人間らしい生活の素晴らしさを教えてくれる。

 以前に”誰かを見送るのは嫌、先に私が逝く”と強く宗一郎に言ったことは間違いだ。

 私が先に逝くようなことがあれば、この人の落胆は計り知れない。

 そんな思いを彼にさせることは裏切りに他ならない。


 宗一郎の幸せを願うなら、私は簡単に死んではならない。

 

 必ず生きて戻る。


 人との約束や責務、愛情や関わりは重荷じゃない、それは人を支える柱。

 何もなければ人は簡単に崩れ落ちる。


 宗一郎に抱きとめられた時、メイは登頂のパドマの還流を感じた。

 メイとイシスが手を繋いでいる。

 やはり、パドマを動かすためには癒しや愛情が必要なのだ、1人の力ではなく細胞どおしや、分子どおしが結合して強くなるように、人は正しい関わりの中でこそ強くなれる。


 その日、工房の煙突の煙は早くに消えて、代わりに暖炉と厨房の煙が立ち上った。


そして窓からオレンジ色の明かりと、料理の匂い、2人の声が漏れ聞こえてくる。


 木枯らしの吹く寒い夜に、そこには掛替えのない暖かな暮らしがあった。

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