第15話 蟻獅子の始まり

彷徨い始めて幾日経ったのだろう。

 樹海には全く道が存在しなかった、人が踏み入れた形跡がない。


 イシスの後を追いたかった、一縷の望みもないことは分かっているが、躯となっているならば野晒しにはしたくない。


 埋葬して弔ってやりたい。

 それさえも叶わない。


 自分がどこにいるのかのさえ分からない、樹海は暗く深い、なにより山がない。

 山頂がなければ見渡す場所がない。

 ひょっとしたらこれが地獄なのかと本気で疑った。

 しかし、自分は熱を持ち息もしている、腹も減れば喉も乾く、生きている実感がまざまざと目の前にある。


 木の根を齧り、夜露を啜りながら目標無く、彷徨い歩く、獣道さえない樹海。

 疾の昔に脂肪は使い切り、さらに筋肉も落ちて体内のミトコンドリアがATP(アデノシン三リン酸)を造る材料を体中からかき集めようとしている。

 植物以外を拒むこの森に、ここに伏せてしまえば、俺の身体からも、やがて木の芽が出でて、一本の木となることが出来るのだろう。


 それもいい、後悔も恨みも希望も愛も捨てて……


 違う!違う!違う!


 俺だけが安寧の中死ぬことなど俺が許さない。

 苦痛と不安と寂しさを抱えたまま一人で逝くしかなかった人に対して顔向けできない。

 きっとあの世でも会えない、謝る事さえ叶わない。

 

 もっと藻掻き、苦痛の山を越えていかなければいけない。


 昼夜を問わず、さらに彷徨い歩いた、幾日経ったのかも分からない。


 意識も途切れつつあるなか、静寂の朝靄に水の流れる音が聞こえる。

 幻聴かと進んだ先に小さな沢があった。

 「これは……」

 海から遡上してきた鮭たちの終着点、点々とその生涯をまっとうした勇士たちの屍が横たわっていた。

 「イシスよ、俺に何をさせたい?」


 答えてはくれない問いを生の始まりと終わりを前に口にする。


 「助けられなかった俺に生きていろというのか」

 

 死した勇士たちの躯から生きる糧を得て、ヘリオスは川を下って行った。


 そこから1日進んだ先の巨大な広葉樹に明らかな人の痕跡を見つけた。

 小さなツリーハウスは苔むして蔦が絡まり仙人の住処だ。

 樹海では熊や狼、鹿や猪、鳥さえ見なかった。

 ツリーハウスには獣返しがあった、この辺には脅威となる獣がいるということだろう。

 鎧もハルバートもない今、熊はどうしようもない。

 ナイフのひとつも残っていればと腐りかけた梯子を登ってみる。


 張られた床板は厚く体重を支えるには十分だ。

 戸板は丁番が外れて鍵が落ちていた、もちろん人の気配はない。

 戸を引いてみる。

 「!」

 驚いた、真正面に首無しの鎧が座していた、首は床に兜ごと転がっている。

 座したままミイラと化したのか。

 人間にしては大きいかもしれない、2mといったところ、ヘリオスと同じくらいだ。


 黒く蛇腹の鎧は埃をかぶり眠っているようだ。

 室内は寝所にミイラが座する椅子と作業台のみの造りだ、脱走犯か、武道に生きた者か。

 いずれにしろ孤独の中で死を迎えた。

 甲冑を着たままなのは覚悟してのことか、突然の死か。


 10年は経っているだろう小屋は、あと数年で再び宿った木に還るだろう。

 室内には刀剣の類が壁に掛けてあったようだが全て床に落ちて、吹き込んだ枯れ葉が積もっていた。

 退かすとハルバートが出てきた、この環境でも錆び一つなく妖しい銀光を湛えている。

 他にもダガーやナイフ等の刀剣類があったが、デッドソードなどの大型剣はない。

 人間だと思った、オーガは大剣を好む。


 思わぬ収穫だ。

 

 戸棚があった、中を開くと日記だろうか本がある。

 手に取り捲ると手記といっていいだろう、ミイラが生前に記したものだ。


 蟻獅子ミルレオ 著者名なのか。

 いや、伝説の怪物に自分を準えたのだろう、蟻の頭に獅子の身体、混血の怪物。

 「くくく、俺のことのようだ」

 「!?」

 「同じか、お前もワンドロップだったのか」

 振り返り首を膝に置いたミイラを見る。

 

 蟻獅子の鎧とハルバート。

 「お前が俺を呼び寄せたのか」

 手記の最初に記されていたのは “オーガを屠れ” だ。


 手記に記されていた男はオーガ王族の人間の妾から生まれた混血、やはり俺と同じ境遇、つまはじきにされて武に救いをもとめて山にこもり一人復讐の機会を狙っていたのか。


 「哀れなやつ、修行しているあいだに機会を失ったのか」

 

 その夜、一晩ミイラと向かい合った。

 ミイラはなにも語りはしないが、その怨念が鎧とハルバートから迸る。

 機会を失って何もなしていないと思っていたが、手記には100人あまりのオーガを屠ったと記されていた、その場所と致命傷となったのであろう斬撃までもが詳細に。

 

 失敗と成功の経験談は、どんな奥義の伝授よりも価値がある。

 この世に、誰もが繰り出せば、いつでも相手を屠れる技などありをしない、単なる突きでも人により、必殺技にも駄技にもなる。

 どこを狙い、初手から始め、崩し、誘導し、騙し、決定打に繋げるか。

 相手の技量、体格、数、武具、環境。

 考慮しなければならない要素は無数にある、その中で瞬時に優先順位を決めて戦術を組み立てる。

 実例こそ秘伝、経験こそが黄金の価値がある。


 なにも語らぬ師匠の前で、残っていた油に火を灯し、一晩中教えを乞うた。

 生涯、勝利と失敗、逃亡を繰り返して練られた戦術、非力なものが強大なオーガを相手に打ち倒すための奥義。

 蟻獅子ミルレオが生涯をかけて残した戦術、流派名も技名もない戦術。

 弟子は俺一人。


 翌日から架空に敵を描き、戦術の運びを繰り返す。

 1から100通りの組み合わせを辿る。


 何度も、何度でも、納得いくまで繰り返す。


 技と技のつなぎの間と呼吸、誘う速度と緩急、騙すフェイントのタイミング。

 そして決定打となる打ち込み。

 

 失敗例も試す、どこが駄目だったのか、なぜ、なぜなのか。

 自分の特技や優位も足し引きしながらハルバートを振る。


 オーガの戦技とは違う、オーガ狩りの剣技。

 寝食を忘れて打ち込んだ。


 気が付けば一晩の教えが一年を超え、傷は癒え、新たな身体が出来上がっていた。


 旅立ちの朝、師匠の鎧とハルバートを装備した。


 師匠の遺体をツリーハウスごと盛大に荼毘に付した、燃え尽きるまで見送り、黙とうの祈りに感謝を込めた。

 オーガへの復讐の術をくれた見ることも聞くことも叶わぬ師匠に、その怨念を引き継ぎ、復讐を果たし、この恩に報いる。


 ミルレオの怨念を纏ったワンドロップの継承者が闇に溶け、復讐に旅立っていった。

 

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