第4話 ワンドロップ・ヘリオス
昼近くにようやくベッドから抜け出すと宗一郎が用意してくれていたブランチを一人で食べた、彼は鎧の再利用にむけて裁断と電解に没頭しているようだ。
新素材の活用方法がーと、はしゃいでいたが意味は分からない。
食器を片付けてから、運び屋の装備に着替える、これも新しい物が用意されていた。
頭が下がる思いだが、自分が出来ない女になったようで、ちょっと恥ずかしい。
戦闘後の服のままでは、汚れもそうだが鼻のいい者には、血や硝煙の匂いを感づかれる恐れがある。
エルーに跨り街のトランスユニオン(運送組合)に清算に向かう。
コンパクトボウは置いていく、戦槌のみを腰に下げる。
一週間ぶりに扉を開けて受付に顔を出すと、仲のいい受付嬢が出勤していた。
「あっ、メイちゃん、お帰り」
「やあ、帰ったわ」
「予定より一日遅かったから心配したよ」
「ちょっと寄り道してた」
「帰り道の近くでエルフの村がオーガの兵士たちに襲われて全滅したっていうから、巻き込まれたんじゃないかと心配してたのよ」
「なに、それ、知らなかった、そっちの道は通ってないわ」
「よかったぁ、メイちゃん、運がいいね」
「昨日、宗一郎にも言われたわ」
受け取りと精算表をだす。
「はい、領収書、お金はいつもの私金庫でいい?」
「うん、そうして」
「じゃあ、そうするね」
「今日は、なにか発注ある?」
受付嬢が台帳を捲りながら適当なものを探してくれる。
「片道3日であるのは……隣町までの商隊の護衛で弓兵要員かな、2日後出発ね」
運送組合では安全管理上の自衛は当然許されている、武装も自由だ。
「メンバーは誰?」
「隊長がミセス・セシル、副が山チャン、後はフリーでスバルと泉ね、みんな近距離戦闘向きで遠距離がほしいみたい」
皆、知っている者たちだ、隊長と副隊長はユニオンの専属のサラリーだ、セシルは女性、メンバー構成はスバルと泉が引っかかるが仕方ない。
5人編成は中規模クラス、まあまあな商品でないと金額的に見合わない。
「荷は何?」
「主に酒樽、あとは食料加工品……塩漬け肉」
「お酒飲みの盗賊にモテそうね」
「わかった、受けるわ」
「ほんとに、助かるぅ、メイちゃんならセシルも喜ぶわ」
「出発は2日後の早朝5時ね、食事は基本3食荷主もち、報酬は前5割、事後5割」
「馬の、とメイちゃんは鹿だっけ、は個人もちね」
「武器使用の際の清算はこっちの基準額になるけど、いいかな?」
「ああ、問題ない」
兵站の準備がいらないのはありがたい。
隣町までの街道には最近、盗賊の出没が報告されている。
清算と受注を済ませたあと、メイは父アスクレイの墓所を訪れた、隣には自分自身、イシスの墓と、名前をエイプリルと変えたメイの脳の一部を埋葬した墓もある。
街の花やで買った花を供えて両膝をつく。
1人目の復讐の報告を3人にする。
メイの父であり、脳移植という前代未聞のオカルトとも思える難手術を成功させたアスクレイの顔が浮かぶ。
脳死状態の娘を抱えアスクレイ自身も癌に侵され、自身の余命いくばくしかないことを医師としては悟っていたのだろう。
そんな中に大鹿の背に伏したエルフの女が背に矢傷を負った瀕死の状態で現れた、矢は身体の重要器官を貫通して多量の失血、身体の助かる見込みは皆無だった。
アスクレイは賭けた。
自分達親子の命と長命で治癒力の高いエルフ族の女。
アスクレイの精神状態は半分崩壊していた、道徳観念や社会的責任、余命のない自分と自我なく眠る我が娘の将来、成功するかもしれない技術と理論。
選択する道は他にはなかった。
アスクレイが行った脳移植は脳全体を入れ替えることではなく、自我と記憶を司る部分を移植し、残っていた脳細胞を侵食させる施術。
エルフの治癒力とIPS細胞の化学、そして回り続けるパドマ。
小脳や特に延髄から伸びる神経を接合することは不可能だ。
アスクレイが知っていたわけではないがエルフは心肺停止から脳死まで2時間以上耐えることができる、脳内の保有酸素が人間とは比較にならない程多い。
脳同志の拒否反応も意識疎外も起きなかったのは脳死状態のメイはもともと自我が存在していなかった事、エルフの持つ長命細胞が結合と同化を可能にしていたのだ。
狂気と偶然の幸運がイシスとメイの命をつなぎとめた。
しかし、完全ではない、海馬で作られた記憶は、脳全体の細胞に保存される、メモリー全体を移植していないので当然記憶事態も切り取られているのだ。
そのためイシス時代、メイデス王に攫われる前の記憶がまったくない。
どこで生まれ育ったのか、親兄弟、幸せだったかもしれない記憶。
もっとも始まりの記憶が恐怖と屈辱、怨嗟に満ちたものとなっていた。
赤黒い肌、尖った爪が肌に食い込む激痛、猛烈な勢いで揺れる檻の中で転げまわりながら連れ込まれた先で受けた凌辱。
身長2.8mを超える巨人、身体を覆う赤い剛毛、強烈な獣匂。
ひとかけらの愛情もなく、物としか考えていないことが伝わってくる。
「お前は美しい、第4の王妃公妾として迎えよう、オーガに新しい血を入れるのだ」
「我らの子を成せ、出来なければ殺す」
一週間監禁されたまま、毎夜ぶっ通しで犯され続ける、オーガは睡眠をほとんど必要としない。
そして一か月、懐妊の兆候を見る。
大王でだめならとその息子たちが試す、一人5週間サイクルで6人、約10か月地獄が続いた。
結局、子は出来ることはなかった。
ああ、これでようやく終わる、死ねると喜んだのも束の間、王子たちは玩具として私をもてあそんだ。
骨が砕けたるまで殴り、踏みつけた。
肉が裂けるまで噛みつき流れる血を啜った。
やがてオーガの3人の女王たちも日頃のうっぷん晴らしを始めた、鞭で打ち付け、火で炙り、悲鳴をあげる私を楽しんだ。
玩具が壊れて動かなくなるまで。
あの下種で極悪な感情は忘れることは出来ない、いつしか私自身も、その感情が移ってしまったのかもしれない。
生きることに淡泊なエルフの私が、復讐の感情に身を焦がし、奴らを殺すまで死ねないと生きることの糧としている。
地獄の中で気が狂わなかったのは、唯一温かい感情を向けてくれたヘリオスの存在があったからだ。
毎夜の責め苦の後、私の身体を洗い清め、折れた骨を繋ぎ、癒した。
時には (死なせて、殺して) と泣き叫ぶ私を抱き留め、眠り落ちるまで、そのままでいてくれた。
オーガの男としては汚れ役、戦い征服し命を略奪するのが誉、奴隷公妃の世話役など下賤の仕事だったろう。
彼の感情からは慈しみや悲しみ、私に対する情が溢れていた。
汚いとも嫌悪する気持ちは伝わってこなかった。
ぼろぼろにされた私が、必死に介抱してくれる彼に、救いを求めるようになったのは当然だったかもしれない。
いつしか私の中には彼を愛する気持ちが生まれていた、毎夜、彼に抱かれて眠る事だけが現世に私を繋ぎとめる糸になっていた。
そんな蜘蛛の糸ほどの儚い情も、女王たちの戯れの遊びに散った。
彼女らは私を的にして弱い矢を射かける遊びを始めた。
何本もの矢が浅く刺さり泣き叫ぶ私に、最後は弓いっぱいまで引いた矢を放った、心臓近くまで達した矢に大はしゃぎしている女王たちをヘリオスは殴り飛ばした。
拘束を解き、エルーに私を乗せると逃亡者として一緒に冥界城を脱出してくれたのだ。
すでに瀕死で助かる見込みもない女に命を賭して一緒に。
彼と一緒に死ねたなら、そんなことを途切れる意識の中でぼんやりと考えていた。
最後に見たのは追手の兵士たちと竜巻のように戦う彼のハルバートが唸る音と姿。
「待って……置いて……いかないで……」
イシスの身体が最後に見て、発した言葉。
目覚めた時、既に私は私ではなく別人、エルフではなく人間になっていた。
周りの人間たちの驚きや畏怖、それを上回る愛と哀しみの感情は、これが現実であることを私に突き付けた。
( 生きろ 、そして戦え )
イシスの耳(エンパス)が最後に聞いた言葉が焼き付いていた。
( 生きてくれ、どうか )
メイの耳が初めて聞いた言葉。
忘れない、決して忘れない。
それなのに、大事な人なのに、愛しているのに。
ヘリオスの顔、声、姿さえも記憶から零れ落ちて戻らない。
神とはこうも残酷な仕打ちをするか……私からこれ以上なにを奪うというのか。
取り戻す、必ず……私の愛を。
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