現実への逃避

sasada

 軽快なファンファーレが俺の1日を祝福する。ランクアップだ。このステージをクリアしたら終わろう、と思っていたアニメを原作としたソシャゲはまだ俺のことを離してくれないらしい。


「仕方ねえなあ……」


 俺は机に置こうとしていたスマートフォンを再び持ち上げ、画面を何度かタップする。画面にstage clearの文字が浮かび上がったのを確認すると、俺はカップラーメンの蓋を開け、少し伸びたその麺を啜り上げた。


 俺がこのスマホゲームを初めて、そろそろ半年になる。スマートフォンには「ホ」という文字がないのに、どうして世間はスマホと省略するのだろうか。


 ともかく、スマホゲームは現実逃避に役立つ。時間ばっかりあると気が滅入ってしまう。


「っとと……」


 敗北を前に気がはやったか、一手のミスがgeme overにつながる。余計なことを考えすぎていた。舌打ちを一度。そして、俺はゲームアプリを閉じてカレンダーアプリを起動した。カレンダーの6月23日には今日を示す印とレポート〆という言葉が並んでいる。テーマは現実逃避。この上なく今の俺に最適なテーマだ。


 前々回に提出したレポートはまずますの成績だった。前回提出したものはかなり評価が落ちていた。俺がそれら二つの文章を見比べてみても、どこが良くて、どこが悪いのかは分からない。小学生の頃から、忘れ物と未提出の宿題は絶えなかった。けれど、それ以上に俺はレポートという終わりの見えない課題が苦手だった。どこから始めたら正解なのかが分からない、どこで終わればいいのかも良く分からない。


 これが終わったらやろう。昼になったらやろう。夕食を食べたらやろう。明日になったらやろう、を繰り返しての今だ。要するに、今日の成果はゲームアプリの経験値である。 


 通知のバイブレーションで携帯と机が振動する。再チャレンジを押そうとしていた人差し指が、画面上にでてきたプッシュ通知に吸い込まれた。


「やっちまった、今△△△(ゲームアプリ名)より大事なことなんて……、え。」


 通知を押して飛ばされたのはとある記事。一人の画家への追悼と、その生涯をテーマとしたものだった。彼の名は××(ペンネーム)だ。俺は便宜上彼と呼んでいるが、性別は明かされていない、しかし、俺は××が男性だと思っている。


 彼は幼少期に見た浮世絵に影響を受け、版画絵制作をきっかけに絵画の世界へ足を踏み入れる。元々自然の風景を題材にした作品が多かったが、ある時期を境に海の描写にこだわり始め、印象派の光の表現をリスペクトして作られた作品群が世間に受け入れられ、無名の新人から一転、期待の新人として着実に実績を積み重ねていった。


 ××は自身で配合した青色のことを「現実の色」と呼び、作品の中で多用した。少し深い青色だったこともあり、遠海描写に使われることが多かった。彼の作品に度々現れる海はどれも激しく、芸術家として順風満帆なキャリアを築く彼の現実とは相反して見えた。


 そんな上り調子のさなか、一ヵ月前に彼は26歳の若さでその生涯を閉じた。その理由は伏せられている。果たして彼にとっての現実は、チャレンジャーを拒絶するような鋭い藍だったのだろうか。


 ××は類稀なる才能を持ち、その作品に周囲も魅了させられているように見えた。見えたのは、俺がまさにそうであったかもしれない。いや、そうだったのだ。どうして忘れてしまっていたのだろうか、受験やら入学手続きやらがあったからに違いない。そうでもなければ、忘れることなどあろうことか。辛いような苦いような、濃い食塩水の後味に似たような感情が込み上げた。彼の見た「現実」をこの目に収めたい。


 俺は一度、「現実の色」を再現しようと思ったことがある。その結果が、部屋の片隅に忘れ去られたかのようにおいてある画用紙だ。絵具から出したばかりの青色と、たとえようのないほどに醜い灰色だ。俺の拙い技術では、彼の絶妙な青の雰囲気を表現することは叶わなかった。元より及ぶとも思っていなかったが、足元にも及ばない。半年前の記憶がありありと浮かび上がってくる。


 どうして忘れてしまっていたのだろうか。


 俺はダイニングルームの椅子から立ち上がり、ショルダーバッグを肩にかけた。沢山のことを思い出せた今なら、彼と同じ青が見られる気がした。


 湿った空気の匂いがする。俺の鼻に雨が来訪予定であることを伝える。岩に打ち付ける荒い波の音を耳が捉える。次第に強くなってくる風が俺の肌を切りつける。こんなにも騒がしい海が、驚くほどに無色に見えた。素人が色を混ぜて作ったような醜い色をしている。


 ××の作品集の中でも、岩をテーマにした作品を集めた第三集。そのなかでも俺が好きなのは□□浜の連作である。第三集五作品目、□□浜の尖塔。マイナーな作品だが、この絵に描かれている尖塔の根本部分は、梅雨の季節にしか完全に見ることができないことを俺は知っている。つまり、いま目にしているこれが彼の見た現実なのだ。


 一体、青はどこに行ってしまったのだろうか。眼前の波は、チャレンジャーを拒絶するような醜い灰色だった。


 目を見張る才能を持った若者が急逝すると、必ずと言っていいほど花束の話が巷に流れる。人の集まりを花畑と見立てたとき、花を摘む神はどの花を摘むだろうか、と。


 この説明は正しく聞こえる。第一、才能のある若者が周囲の人物からも神からも愛されるという部分に一貫性があってわかりやすい。けれど、摘まれる側の人間の意思はいったいどこに行ってしまったのだろうか。


 周囲からその才能を持て囃され、実績を積み重ねていた××にとっても、チャレンジするということは非常に厳しい現実だったのだろう。しかし、その現実を少しでも鮮やかに描いている部分が、彼なりのメッセージだったのだろう。俺が鋭い藍だと思っていた厳しさの象徴は、実のところ××からの希望の提示だったのかもしれない。


 私たちが現実逃避をするとき、次元を落とした先が逃避先になりがちである。「二次元に住みたい!」などといった夢幻を耳にすることも珍しくはない。かくいう俺もゲームやアニメに逃避することが多い。


 それを踏まえるに、俺が今暮らしている三次元も、より高次元の現実逃避先になっているのかもしれない。現実逃避先では、現実では面倒で手を付けないような雑事を目を輝かせながら行える。現実ではないからか、実態よりも鮮やかに、美しく見える。彼らは俺たちの感じる悲しみを、苦しみを、辛さを、そして現実を、成功というカタルシスに至るための道筋として解釈する。三次元の現実は、現実ではない。


 四次元の存在は、三次元の人間が超えるべき艱難辛苦をやすやすと飛び越えて見せる。そして時折、スイッチが切れたかのように止まってしまう。それは、俺が文章の途中で飽きて、レポートのまとめや修正を諦めてしまうことと同じかもしれない。


 以上

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