人身御供5人か6人-6



「……シキくん?」

 額がズキズキ痛み、こめかみから頬に一筋の血が垂れ落ちる。世界から音を消し去る酷い耳鳴りと痛みに顔を歪めながら、マキナは頭上の助手席を見上げた。


 突如飛来してきた祠をぶつけられて、助手席側の窓ガラスには蜘蛛の巣のような細かい亀裂がはしっていた。そして溝に埋まったフロントは落下の衝撃でボール紙のように潰れている。

 そしてシキは……車外に出ていた。


「お嬢様!」

 上から手を伸ばしてくる。血雫で目がにじみ、彼女の表情は良くわからない。

「お嬢様、お手を!」

 耳鳴りの隙間から聞こえてくる切迫した声に、マキナは反射的に手を伸ばす。

 しかし……。


「祟りじゃああぁっ!」

 遠くからしゃがれた声が聞こえてきた。女の、歳老いて乾いた声。

 その後に続く「生贄を……」という、くぐもった低い合唱。


「なにが起きている。どうしたというんだ、シキくん? 外では何が起きている」

 目に血が入ってきて世界が赤く滲む。目前のシキの姿さえ見え辛い。

「お嬢様。そこから動いてはなりません!」

 と、シキは鋭い声で言う。

「あたしがなんとかします。落ち着いたら、また戻ってきますから。どうか、どうかしばしの辛抱を!」


 シキは身を翻して駆け出した。その直後、また老婆の金切り声が響いた。

「逃げたぞ。あの娘を捕まえろ、ナマナレ様への生贄に捧げるのじゃあ!」

 おお、という男たちの返答。そして、複数のドタドタという大勢の足音が遠ざかっていく。


 唐突に、しんと静かになった。一人とり残されたマキナは痺れる体にムチを打ち、車から抜け出す。

(シキくん。無事で……無事でいてくれ)

 道へ上がろうと側溝の上辺に手をかける。だが、手に力が入らない。目の前の景色がはるか彼方へと遠ざかる。


 そんな時、二人分の影がマキナを覆った。目の前で立ち止まった彼らは、クスクスと鈴を転がしたように小さく笑っていた。

(なんだ?)

 マキナは顔を上げて彼らの姿を見ようとするも、それより一瞬早く、意識が闇の中へと沈んでいった。


 ……


「てこずらせやがって」

 山のように大きな肥満漢が憎々しげに言う。単の着物はボロ雑巾のように破れ、顔や体には傷やあざができていた。

 男の周りにもナマナレ村の男衆たちが控えているが、肥満漢同様に傷ついていた。


 彼らの憎しみのこもった眼差しの先にはシキがいた。両の手を後ろに縛られて、ゴザの上に座らされている。

 シキは強い光の宿った双眸で村の男衆たちを睨み返す。額がほのかに腫れて赤くなっているが、これは男たちに打たれたのではない。自ら相手に頭突きをぶちかまし、弾みで腫れてしまったのだ。

「ほ、ほのひゃろ……ひゃひゃじゃひゅひゃへぇほ!」

 頭突きによって歯の殆どを折られた男が、フガフガ怒鳴る。それを大きな掌で抑え込む肥満漢。


「ぬ、ヌレ介さん。しかしこいつは」

 別の手下が不服な顔をする。

「おババの言いつけは絶対だ。コイツを生贄にする、それまでに傷ひとつもつけちゃならねえ」

「もうデコが腫れてやすが」

「一々つっかかってくるな! とにかく、コイツは罰当たりの生贄。ぜってぇに、傷一つなく、無事に儀式に出さなきゃならねぇんだっての」


「何が罰当たりですか。祠を投げつけてくる方がよっぽど罰当たりじゃあないですか!」

 今度はシキが吠えた。

「あなた方のやっていることは、見ず知らずの他人に因縁をつけてまわる卑怯で姑息な当たり屋です」

「んだと、クソガキ。ぶん殴られたくなかったらその口を閉じやがれってんだ」

「あの。今しがた、傷ひとつ付けるなって……」

 手下の顔面中央にヌレ介の分厚い拳がめり込む。そのまま手下の体はフワリと浮き、後方へと吹き飛んでいった。


「何の騒ぎだ」

 騒がしい場に響く男の声。皆が一斉に顔を向けると、上物の羽織に袖を通したやつれ顔の男と、年増女中に抱えられた不気味な黒装束の老婆の姿があった。

「お、オヤジ様。それにおババ!?」

 ヌレ介が二人の名を口にしたことで、シキは彼らがニジミ家の当主シミ蔵と彼の母親、タレだと見当をつけた。


「その娘か。此度の生贄は」

 と、タレがシキを見やった。シワだらけの乾いた顔は周りの村人たちと同様に具合の悪そうな土気色。しかし、シワとシワの間からのぞく裂け目のような双眸だけは、不気味なほどにギラギラしていた。


「おう、おう。ええイキじゃ。ええイキじゃ。これならマナマレ様もお喜びになられる。モレ蔵や、この調子で生贄を集めてたもれ。そうさなぁ、あのトラックにはこの娘の他にも人が乗っておったろう。運転席には可愛ゆいおなごもおれば、荷台には若い男も。そいつら合わせて……そうさなぁ5人か6人おれば、今回ばかりは、ナマナレ様もお気を鎮めて下さる」


「は?」素っ頓狂な声をあげたのは意外にも当主のモレ蔵だった。

「か、母さん。一寸待ってください。生贄は最低は一人要れば充分と。最初に聞かされた話とは全く違うでしょうに。だからあの女が……」

 狼狽えるモレ蔵を尻目に、シキは瞬時に「キレた」。

 連中はマキナまで狙っている。それはシキがこの世の何よりも許せないことだった。


「何が、5人か6人だ。適当に見当つけたように言いやがって! ウチの人に手ぇ出すってンならテメエら全員、容赦しねぇぞ!?」

 品の良い雰囲気を持っていたはずの少女の品の悪い口調に、モレ蔵は開きかけた口を半開きにしたまま瞠目した。


 そして、後ろ手に縛られた少女の殺気を宿した目つきに「ただならぬ」気配を感じて怖気付いた。

「お、お嬢さん。お待ちなさい。これには海より深いワケがダネ……」

「海より深いワケあんなら、そのまま溺れてくたばれやがれや、ボケナス!」

 彼女の両手首を縛っていた麻縄は、まるで絹糸のようにたやすく、音をたててちぎれた。


 その様を見ていた男衆は、乙女のような甲高い悲鳴をあげて後ずさる。

「小娘。祟りが怖いでか!?」

 タレが女中に抱きかかえられながら、数珠を握りしめた手を振り回す。それを真正面に睨み返すシキは胴間声で叫び返した。

「うるせぇ、クソババア! テメエから先にあの世に送ってやろうか!」

 シキは自らを縛っていた麻縄を両拳に巻き、自らを囚えた者たちを順ぐりに睨み返した。

「それとも、先に死にたいヤツがいるなら前に出ろ」

「ひ、ひえぇ……」

「お嬢様、申し訳ございません。シキはこれ以上、自分を御せる自信がございません!」

 敬愛する主人への謝罪の言葉を口にしながらも、少女は両脇から迫る屈強な男衆の群れを千切って投げ、殴っては蹴散らしていく。


 女中の小脇に抱えられて退散しながら、タレはこの世の終わりのように喚き散らした。

「た……祟りじゃあぁぁッ! これぞ本物の祟りじゃあ!」


 ……


「……う、ん?」

 沼のような深みから意識が浮かび上がってきた。マキナが重いまぶたを上げると、真っ先に飛び込んだのは、心配そうに覗き込む女性の顔であった。


「もし? もし、お気づきになれましたか?」

 すぐ横から発せられる柔らかい婦人の声が薄ぼんやりと聞こえる。覚醒して間もないせいで、まだ五感が寝ぼけているらしい。

 マキナは無意識に瞼をまた閉じようとしたが、寸前で気づき、慌ててかっ開いた。


「ここは? いや待て、待ってくれ……ああっ!? シキくん!」

 鉄砲水のように飛び込む記憶に混乱しながらも、大事な相棒の危機に反応したマキナ。

 ガバリと布団から体を起こすも、それが仇となって酷い目眩を催してしまう。

「急に動いてはお体にさわります。どうか、どうか落ち着いて」

 婦人はマキナの背中をさすりながら、そっと、別の方向へと声をかけた。


「わたしの鞄から小さな瓶を持ってきて下さい。ええ、そう。わたしが一度お願いしたようなやり方で、こちらの方にも同じように」

 程なくして、もう一人、小さい人影が近づいてきて、婦人に湯呑みを渡した。


「気つけ代わりのブランデイです。氷がないので、コレは飲まずに匂いを嗅いで」

 しかしマキナは婦人の忠告など聞く耳持たず、湯呑みの中に揺らぐおよそ30ml、シングルほどの量のブランデイをひと息に飲み干した。


「んぐ」

 案の定、むせた。咳き込むマキナに狼狽える婦人。マキナは掌を出して、大丈夫だと意思表示。

「し、失礼。つい気が動転していたようだ。みっともない姿をお見せしてしまったようで……」

 視線を向けたマキナはあ然とした。慌てて胸ポケットから写真を取り出す。それはヨルナラ村へ向かう前日、放談社のマノから渡されたものだった。


「あのぅ?」

 婦人は怪訝な顔でマキナを見返してきた。

 写真の中にいるのは、見るからに人の良さそうな穏やかな面立ちに、鳥の巣と喩えても過言ではない、治りのつかない黒い癖っ毛。


 そしてマキナの目の前にいる婦人は、写真の中の女性と瓜二つだ。

 つまりこの人物は……。


「もしかしてヒヨスさん?」

 マキナは試しに、写真を彼女に手渡しながら尋ねてみた。

「それとも、クリス亭・アカザ先生とでもお呼びした方がよろしいかな?」


 マキナの口から飛び出した名前に、婦人は目をまん丸くさせる。

 そんな彼女の丸い双眸の奥に警戒の色を感じ取ったマキナは、急ぎなだめた。


「僕はあなたに害を与えるつもりは有りません。放談社のマノ編集長、それにサンズガワ先生はご存知でしょう。僕はあの人たちに頼まれて、あなたを助けにきた」

「編集長さんが……それに、サンズガワ先生まで!? あ、あなたは一体、何者なんです?」


「僕はサエグス・マキナ。残念ながら、あなたの小説に出てくるような探偵ではなく、ただの貿易商でして」

 マキナは口の端を緩めて、不適な微笑みを作ってみせた。幸いなことに胸ポケットには名刺が残っていて、それがよりマキナの身分を明らかなものにした。

「そう、なんですか。サエグスさん、でしたね。遠路はるばる有難うございます」

 クリス亭、もしくはヒヨス女史は警戒を解く。


「……まあ、こんな無様な出会い方では格好もつきませんがね」

 などと皮肉を交えつつ、周囲をぐるりと見回した。


 狭い小屋のような部屋。壁や床は色あせた木板を敷いただけの簡素な造りで、調度品は質素な座卓と座布団、それにマキナが使っている布団しかない。

(外に見張りがいるような気配はない。ということは、ニジミ家とは無関係の場所なのか?)

 それに。彼女は思案を続けた。

(ヒヨスさんは、ナマナレ様とやらの祟りを受けたと聞いている。実際にマノ編集長たちの前で、無惨な奇面を晒した。しかし、目の前にいる彼女は写真と何ら変わりない)

「あの。まだどこか悪いのですか?」

 ヒヨスが心配そうに尋ねてきたので、マキナはかぶりを振ってみせた。

「あなたが助けて下すったおかげで、大した怪我はなさそうだ。それで、ここはどこです? 僕もあなたと同様、ニジミ家に捕まった?」

「そうですねぇ、村から少し離れた山の中、とお答えした方が良いでしょう。ニジミ家とは無関係の、かつて木こり達が使っていた山小屋です」

「ニジミ家とは無関係?」

「あの子たちのおかげで、屋敷から逃げ出せたのです。それからはずっと、この山小屋に匿ってくれています」

 ヒヨスは小屋の戸口をそっと指差した。


 あの子たち。何となく嫌な予感がして指差す先へと視線を向ける。そこにいたのは、列車の頃からマキナの目の前に現れ続けていた、あの二人組の娘たちであった。

「死んでないね」

「残念だね」


「のわあぁっ!?」

 飛び退くマキナ。

「驚いた!」

「驚いた!」

 娘たちは袖口で口を覆いながら、互いに身を寄せあってくすくす笑いあう。ヒヨスは困ったように眉を八の字に曲げて説明した。


「この子たちはヨキコとキク。あなたを助けたのも、二人なんですよ」

「有りがたくおもえ」

「礼を言え」


 いったい何がどうなっている?

 マキナは混乱する頭をかいた。

「僕らはてっきりニジミ家を中心に、村全体が一枚岩になって人狩りをしているのだと思っていましたが」

「儀式を良く思わない人たちもいる、という事です。お子様を連れて屋敷を脱出したモレ蔵氏の奥様のように」

「ふむん。どうやら、あなたの口から語って頂かなくてはならないことが、山ほどあるようだ」

 マキナは布団の上で姿勢を正し、ヒヨスを真正面に見据える。その真剣な眼差しにヒヨスの瞳が動揺で揺れた。

 直後、気を取り直そうとしたのか小瓶の蓋を開けて、琥珀色のブランデイを豪快にラッパ飲みし出した。


 今度はマキナが驚き、たじろいだ。

「わかりました」

 ユリ・ヒヨス……否、女流作家クリス亭・アカザも座り直して真剣にマキナを見返す。


 その姿は、まるで彼女が紡いできた物語に登場するような、難事件を前にした探偵小説の主人公たちの姿を連想させるものだった。

「私でよろしければ」

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